追悼…

 昼過ぎから会議があるとの知らせを受けたので、ちょっと早目に昼食をと思って入った店で、遠藤幸雄さんの死を知った。
 「1964年の東京オリンピックで体操の…」とラジオから流れてきたとき、まさか遠藤さんだとは思わなかった。
 1960年のローマオリンピック、団体総合はソ連に勝ったものの、個人総合では小野喬さんが0.05という僅少差でユーリー・チトフに勝てず、「あの」戦争で返上してやっと巡ってきた東京オリンピックでの、体操個人総合の金メダルは至上命題だった。そのために産み出されたのが「ウルトラC」である。
 当時は、A、B、Cの3難度で、C難度が「最高級難度」だった。「体操ニッポン」の地位を磐石にするために考えられたのが、そのC難度を超える技ということで、それらにつけられたのが「ウルトラC」という呼称だった。
 国内予選で落ちたために日の目を見ることはなかったが、ローマの床運動(ローマの時には「徒手」といっていた)の金メダリスト、相原信行さんが開発した「首はね起きからの十字倒立」、いまはあん馬や床で普通に使われている「下向き転向1080度(カザフスタンのフェドルチェンコの名がついている)」は、実際には使われなかったが、「プロペラ旋回」と称されて、三栗崇さんが挑んでいた。さらに跳馬の「ヤマシタ跳び1回ひねり」、鉄棒の「キリモミ(大伸身とびこし1回ひねり下り)」など、中学に入ったばかりのボクには「何であんなことができるの?」と思われるものばかりだった。
 予選(規定問題)をトップで通過した遠藤さんは、個人総合では吊り輪スタート、鉄棒の終末も「キリモミ」を使わずに順調に得点を積み重ね、最後のあん馬のときには、9.00を出せばよいという状態だった。
 プレッシャーは相当なものだったのだろう。途中で1回停止。終末、「シャギニアン」という連続技で引っ掛けてしまい、結局はB難度での下りになってしまった。得点が出るまでが長かった。主審の脇の得点板がくるっと回って見えたのが9.10だった。悲願達成の瞬間である。
 その後に行われた種目別では、神様といわれたユーゴのツェラールがいたあん馬、「ヤマシタ跳び」の松田(当時もう結婚されて夫婦養子になり、改姓していたはず)さんのいる跳馬以外の4種目で金メダルの可能性があったのだが、個人総合をとるという緊張感から解放されたためか、吊り輪の2回宙返り下りで手つき、鉄棒の「キリモミ」で失敗して平行棒しかとれなかった。
 しかし、体操を、単に難しい技をベタベタとつなげるものではなく、きれいな体線と技を流れるようにつないで余韻を感じさせねばならぬという、いわゆる「日本の体操」の最初の具現者であったことは間違いない。
 それはメキシコ・ミュンヘンと個人総合をとった加藤澤男さん、ロスの個人総合の具志堅幸治、そして昨年引退した富田洋之や鹿島丈博らに脈々と受け継がれてきた。
 高3になる年の春、母校の中学での新体育館のこけら落としに、遠藤さん、早田さん(この方が東京オリンピックの吊り輪の金メダリスト)、三栗さんご夫婦そして松久みゆきさんがおいでになった。器具のセッティングや身の回りのお世話のために卒業生であるボクに声がかかり、高校の体操部総出で出向いた。中学の体操部の連中だけではと思われたか、遠藤さんのお声がかりで我々も床やなんかをやらされることになった。当然みんな舞い上がった。体操少年にとっての「遠藤幸雄」は、野球少年の「ON」と同じなのだから…。
 遠藤さんは演技解説を担当され、時にはユーモアをまじえて楽しい雰囲気を作ってくださった。自分では気づかなかったのだが、伸身宙返りで足が少し割れる癖を注意され、次にそこを修正すると、「言ったらすぐに直す。すばらしいですね」とほめてくださった。
 控え室に戻って皆さんが着替えを終わり、ボクらが御礼に出向くと、「しっかり練習するんだヨ…」と…。
 翌年、小6のときからの思いを達成させ、何とか遠藤さんの後輩になれた。体操部専用の体育館は、こんなところで金メダリストが出たの?と思えるほど古くボロボロだった。しかし、熱いものは感じられた。秋遅くにつぶれて体操からは離れたが、体操が大好きであるのはずっと変わらない。
 あの東京オリンピックのモノクロ映像がその原点にある。
 金メダルをとった、平行棒の前方屈伸宙返りひねり下りよ永遠に…。そして、鉄棒の「前方浮き腰回転倒立」、すなわち「エンドー」はあなたのことを体操ファンの心にずっと刻み込む技です。合掌。
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by luehdorf | 2009-03-26 12:51 | スポーツ | Trackback | Comments(8)
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Commented by nomusan at 2009-03-29 09:58 x
’58年生まれの私、東京五輪は記憶に残っておりません。6歳なので多少は覚えていても良さそうなんですけどね・・・。記憶に残っているのはメキシコ大会からでしょうか・・・。
 体操に関しては加藤澤男さんから記憶に残ってますし、今でも体操の名選手は?と聞かれたらこの人の名前がでそうです。
 ”ウルトラC”は流行語と言うか、今でも独り立ちした慣用句になってますよね~。それが”C難度を越えた技”という意味だと知ったのはかなり後になってからのような気がします(笑)。今は・・・”ウルトラE”くらいなのでしょうか?
Commented by カトカラおんつぁん at 2009-03-29 21:19 x
こんばんは

体操の話になると、あつく語るルーさんって、素敵です。男に言われても困るだけでしょうけどね。
何かに燃えるって今じゃダサイなんて排斥されそうですが、何にも燃えるものがない人生を生きるって哀しいです。なんにでも燃えすぎるのもどうかと思いますが、ヒトの迷惑にならないことならば、何であろうと燃えなきゃつまらんでしょう。団塊世代の心情としては、
ついつい力んでしまいますね。
Commented by luehdorf at 2009-03-29 21:46 x
呑むさん様
中学に入って本格的に体操を始めて半年経ったときにオリンピックでした。
床でやっとバック転からバック宙がしっかりできるようになった頃、TVでみる世界最高峰の演技はオドロキものでした。
澤男さん(そう呼ばせてもらってました)は体操でいう「線」のきれいさでは、肩を並べるものがいないと思います。富田君は確かにきれいでしたが、ボクは「残像」で加藤さんが上と見ます。そう、演技がボキボキせずに流れるようにつながり、残像を感じるのが線のキレイさなんですよ。
間近で見て、「こりゃ、ダメだ」って田舎体操の限界を感じさせられましたから…。
アテネまでは確かE難度まであり、それにひねりを加えたりすると「スーパーE」って言いました。採点法が変わってFができたみたいです。
ウルトラ、スーパー、…、今度はどんな「冠」がつくんだろう。
Commented by luehdorf at 2009-03-29 21:59 x
カトカラおんつぁん様
体操とチョウチョ、何とも奇怪な組み合わせに夢中になったものだ、と自分でも笑えるほどです。
吊り輪や鉄棒のフィニッシュで器具から手を離したとき、タイミングがバッチリと合った場合の「浮遊感」は快感でして、不思議なことにいまだに指先が覚えています。
高校時代、我が校は育英学園、東北電子、白石工業に先を行かれ、団体ではいつも県で4番目でした。おかげで白石工業の連中とは個人的にも仲良くなり、卒業後、国体予選などで後輩の応援に行くと、試合後に呑みに引っ張っていかれました。
大学に入っていたのに一番丁で補導されそうになったことも…。まぁ、学生証を持っていたので助かりましたが、それを見せるまで、あの婦警、厳しかったなぁ(爆)。
こんな感じでずぅ~っと年をとっていくんでしょうけど、おつきあいください(笑)。
Commented by カトカラおんつぁん at 2009-03-30 19:35 x
こちらこそ、お見捨て無くお付き合い願います。宮城つながりで別サイトでもけっこうおしゃべり交わしてますが、読んでくれるお相手が居ればこそ、書く楽しさも大きくなるってもんです。

私は町の合唱団に入っていた高校生の頃に、ハモった瞬間の快感を味わったことがあります。教会で賛美歌を歌っている時なども、歌っている人たちはきっと心地よい忘我の境地にいるんだろうなあと想像しています。

大学生で補導ですか、笑えない笑い話ですね。
よほどの童顔だったのでは。(笑)
Commented by luehdorf at 2009-03-31 21:45 x
カトカラおんつぁん様
形は違っていても「ヤッタァ~!」っていう感覚、いいものですよね。
吊り輪の輪っかを離すとき、中指と薬指の指紋の真ん中が引っかかったらバッチリなんです。タイミングがずれ、指のほんの先っぽがかかったときは早目なんで、回ってる最中にいろいろとコントロールしなきゃならなくて…。
最近は「初ギフ」のネットが快感かも…(笑)。
Commented at 2009-04-05 00:01 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2009-04-05 00:02 x
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