信濃ギフ

 4月28日、以前通りかかって偶然に見つけた南木曽町のあるポイントに出向いた。絶好の陽気なのに全くの姿見ず。食草はあのときよりもいっぱいあるのに、この10年でどのような変化があったのか? 来年以降、もう少し密に探してみようと思う。
 5月3日、白馬へ出向いた。いつも入るところに午前8時に到着。気温はもうずいぶん高くなっていた。9時少し前、ペットボトルを口にした瞬間に背後の斜面から足元に降りてきた。あわててネットを手にするも下のブッシュに入り込まれてしまう。5分後、タバコに火をつけようとしているところで目の前に影が…。脇に挟んだネットのフレームの部分だけを振ったら入った。オスで完品。どうも何か他の事をやろうとするタイミングで飛び出してくる。
 例年なら、林道からこのポイントに入る道沿いに登ってくる個体があるのだが、今年はそれが見られない。視点を背後の林と東の鉄塔への道に移した。林の中に動きがあった。大き目の個体が下りてくる。グライディングしながら鉄塔の脇に来たところでネット。メスだった。この頃から活性が高くなり、東から飛来したオスがバンドで、さらにヨッシーへのお土産にオスを2つ追加して納竿。水分の補給をし、タバコを吸いながら飛来個体のカウントしてみると、30分ほどで15頭を数えた。
 10:30、前夜ほとんど睡眠をとらずに出発してきたものだから、少し体を気遣って引き上げることにする。帰途、池田や堀金の「道の駅」に立ち寄って買い物などをし、R20に入ったのが13時ごろだった。宿に入るには早いので、松本・崖の湯周辺のヒメギフを覗くことにする。3年前の5月5日に入り、もうメスの全盛期だったのだが状態の良いオスを含めて5、6頭入れた場所に車を止めると、地元ナンバーのセダンが1台。午後になってしまっているので余り期待を抱かず、ネットのみを持って脇道に入ってみる。やはり翔ばない。200mほど行った空き地の周辺をブラブラしていると奥からネットマンが戻ってくる。声をかけると余りよくないらしい。しかも昼過ぎからは全く姿を見ないという。気になっているところを2、3ヶ所周ってから撤収。
 3日にあれほど湧いていたのは久し振りだった。決して少なくはなっていないことに安心した。
 5月4日、前日に予想以上の成果だったからのんびりと出かける。同じポイントに10:00入り。昨日よりも気温が高い。キャップに汗が染みてくるのでタオル鉢巻に換える。30分ほどの間に飛来したのが3頭。オスばかりなのでリリース。下の道を戻らずに作業路で帰ることにする。浮いた石が多く足元に気を取られる。そのために飛翔個体の発見が遅れ、3頭をカウントするのみ。石のない道に入ったところで足元から舞い上がった個体をネット。メスで、すぐ脇のスミレで吸蜜をしていたところだったようだ。小広くなっているところにはカタクリが咲いている。注意して見るも何もいない。
 車に戻って上流のポイントを目指す。杉林の中にはまだ溶け残りの雪がある。ここでのもう一つの目当てはコシアブラだったのだが全部摘まれている。意地になって奥ヘと歩を進めるもみんなやられている。山菜採りの人たちの執念を感じた。そんな中、陽当たりの良い所に飛来したオスを3つキープして終了。パートナーがお気に入りの、鬼無里の「観音そば」へ行くが「売り切れ終了」。11時開店でまだ1時30分前なのに…!。それなら「いろは堂」のおやきだと車を進めた。季節ものの「ノビル」と「野沢菜」、「あんこ」を頼むと、おまけに「野菜ミックス」が…。これの味付けが何とも絶妙でうまかった。ラジオでの天気予報は明日の天気が下り坂であることをいっている。明日こそは「観音そば」だ。
 白馬に戻り、ちょっと気になっているところを覗く。ここは6、7年前に古い記録で知った場所で、午後に寄ってみたら車を止めた脇でテリ飛翔する個体がやたらと見られたところなのだ。その後、ちょっと気に入らないことがあって見られる数は減ったが、寄れば必ず2つ3つは目にできるところである。ネットだけを手に降り立って林の脇を歩いていくと、木々の隙間から陽が射し込んで明るくなっているところを一直線に翔ぶ個体がある。よしよし。
 ここで気になっているのは、ここのギフが何を食っているかということで、林の西側にはウスバサイシンしかなく、内部と東側でのみミヤマアオイを見ることができる。しかもミヤマアオイの数が余り多くないことから、ひょっとしてサイシンを食ってるんじゃないかと思っている。地面を見るとウスバサイシンはすでに開葉している。中に入ってミヤマアオイを探すと、まだ落ち葉の中に新葉が隠れている状態で、メスの産卵に一苦労も二苦労もしそうなのである。目につくサイシンを片っ端からめくってみるが産んでいない。二週間後くらいに再訪できる時間が取れればいいのだが…。
 そういえば4年前、変なサイシンがあったのでめくってみると、卵つきのサイシンの葉っぱが待ち針で止めてあった。どなたさんかが他の場所から持ってきてここで出そうとしたのだろう。こいつはしっかりと持ち帰らせてもらって家で飼ったらヒメギフだった。蛹になったところで鉄兄イに贈呈した。素性が分からないので鉄兄イは、翌年出てきた個体をギフとかけ合わせ、累代飼育しているのが今年F3にまでなったとか…。「ギフの特徴が強くなってくるんだよね」っていってた。
 宿に戻り、入浴前に体重を量ると、朝湯に入ったときよりも1.2kgの減。朝も昼もそして間食もしっかり摂ったというのにである。汗をかきながら山の中を歩き回ることがいかに重労働なのかを改めて知った次第。
 メタボリック・シンドロームの克服に最良なのは「チョウチョ採り」かも…。
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by luehdorf | 2008-05-11 18:03 | チョウなど | Trackback | Comments(22)
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Commented by カトカラおんつぁん at 2008-05-11 19:45 x
 メタボ…も案外騒ぎ過ぎじゃないでしょうか。だいたい身長の差も関係なく胴回りの数値だけが問題にされるのっておかしいですよね。そうは言っても自分の腹を見るとこのまま放置しておいたらやばい…と感じるのは私だけではないでしょう。
 こんな虫以外の話はおいといて、ギフに限らず生きているチョウを追い回すのは快感ですよね。今年どこに行っても不作であえいでいる私にとっては、ギフを追い回す記事を読むだけでも興奮します。ぜひ卵をとって分けてくださいな。いま、買ったギフに食わせていますが、我が家のサイシンはまだ余裕ですので。
Commented by luehdorf at 2008-05-12 14:35 x
カトカラおんつぁん様
最初のメスを帰りに寄った所で採ったウスバサイシンとともにビニール袋に入れて採卵を試みたのですが、開いた葉っぱではどうもうまくないようで、産みたがっているようなそぶりは見えるのですが産みませんでした。
この後、もう1,2度出向いて見ますので産みましたら送らせていただきます。
暑くなると食いが悪くなってなかなか育たないものですから、いくらかでも気温の低いそちらの方が有利だと思いますので…。
Commented by カトカラおんつぁん at 2008-05-12 22:12 x
たしかに宮城ではギフはほとんどえさだけやって放ったらかし状態でも何とか蛹になれますもんね。とはいえ、10頭の幼虫でもえさはすぐに不足しますから、少ない幼虫を大事に飼いたいものです。東北以外のギフを飼ってみたいと思っていますので、よろしく。
Commented by luehdorf at 2008-05-12 23:17 x
カトカラおんつぁん様
承知しました。グァンバリます!
Commented by goldpony767 at 2008-05-13 06:10
すごい執念というか、蝶に取り付かれていらっしゃるのが良くわかります。熱中時代の人、熱中人ですね。
蝶もこれだけ熱心に見てもらえば幸せですね。
Commented by luehdorf at 2008-05-13 16:58 x
goldpony767様
蛙太郎さんですよね?
いつも植物の勉強をさせていただいています。
チョウチョに関係があるか、食べられる植物以外は「マジメ」にやってなかったものですから、「へぇ~?」と思わせられることが多く、買っただけで余り開くことのなかった樹木図鑑などを見ております。
チョウチョとの付き合いは50年になります。何とか中断することなく細々ながら続けてきました。
年齢のせいか、最近の方が執念深くなってきてます。
先が余りない事を意識してなのかも…(爆)。

よろしくおつきあいのほどを…。
Commented by nomusan at 2008-05-13 21:20 x
ええなぁ~・・・。
私もこんなに余裕を持った採集行をやってみたいもんです。
蕎麦も良いですが、おやき! 食べたいなぁ~・・・。
一番最近信州に行ったのが、ちょうど10年前のGWの白馬でした。
私ね、ブッシュっぽいピークのポイントって好きじゃないのですよ。数は少なくても山を見ながらギフ見たい。特に信州まで行ったのなら、あの環境の中でギフを見たいですよね~。

最高の運動療法でしょう。ただし、その後のビールの量にもよりますが(爆)。
Commented by luehdorf at 2008-05-13 22:23 x
天気がよかったから余裕が出るんですよ。
今回、2日目は、パートナーが「久し振りに行ってみる」って、最初のポイントまで暑い中を歩き、ほんの往復40分ほどでも山道を歩けたのが自信になったみたいでした。
何せ、治療で体重がずいぶんと落ちたものですから…。

いろは堂のおやきは「蒸し」じゃなくて「焼き」なんです。だから皮が「パリッ」としてて、ね! 一度食べに行きましょう…。

ボク、東北育ちなんで、ルードルフィアは低山の道の際を「ペタペタ」と翔ぶチョウのイメージがあるんです。だから関東の人たちがヤブを掻き分けて鉄塔などのあるピークへ登る様を、「なんだ?」って思いましたもの。

ビールをいっぱい飲んでも大丈夫なくらい落とせばいいんでしょ?(爆)
Commented by 仙台人 at 2008-05-19 17:02 x
始めて書き込みさせて頂きます。
長野までギフを求めて出かけていらっしゃるその熱意に驚きました。
ブログを拝見していて、採集家の方の気持ちがいまいちわからないのは、何度か同じ場所を訪ねて採集されておられるのでしょうが、なぜ同じ場所のものをまたぞろ十何頭も採集されるのかな?ということです。
気候条件などの変化に伴って起こりうるかもしれない、年毎になにか斑紋や形質上の遺伝的ドリフトの変動なんかを研究しておられるのですか?それとも、ただそこにギフがいるから採らずにはいられないからですか。
生き物の命を奪うということに対する感受性の磨耗を感じてしまいますが、たかが相手は感情移入のしようのない昆虫だからですか?
Commented by luehdorf at 2008-05-19 23:59 x
仙台人様
コメントを有難うございます。
東京―長野は、中学・高校時代に小牛田―蔵王の採集行をやったときと同じくらいの感覚で、つくづく便利になったと感じております。
白馬は四半世紀、今度の日曜に行く入笠山は38年目になりますが、毎回新しい発見があります。そして、四季や年毎に移ろう自然の様子を見ることがまた面白いのです。
>生き物の命を奪うということに対する感受性の磨耗…
’80年代、旧文部省が、小学校の理科からフナの解剖、中学理科からカエルの解剖を削除しました。寒々しい事件が多くなったのはこれ以降です。所詮、動物が生きていくためには他の生物の生命を奪っていかなければならないのです。それをどのように考えるか?ボクは養豚場のブタを殺すのは「必要悪」だなどとはいいません。「必要悪」という言葉が正当化のための詭弁と思えるからです。
ボクは、「採れてくれてありがとう。一番きれいな姿を残してやるよ」です。
そして、「たかが昆虫」とも思ってはいません。交尾拒否をされて翔び去っていくオスのチョウは、心なしか元気なく、肩を落とした翔び方になるんですよ。身につまされます。
一度ご覧になってみてください。
Commented by 仙台人 at 2008-05-20 15:06 x
luehdorf さま

早速のレス、どうも有り難うございました。
いきなりの、わたしの極めてぶしつけで、受け取り様によっては悪意に満ちた(?)コメントに対して、スルーすることなく、luehdorfさんの誠実なご返事を戴きましたことにお礼を申し上げますと共に、私の非礼をお詫び申し上げます。

私は、長年田舎で蝶の姿を眺めるのを楽しみにしているものですが、自分の収集の楽しみのために必要を超えて(その必要とはどの程度かは、人によって違うのでしょうが)採りまくる採集者の気持ちを、いつも苦々しく思っておりました。
最近はどうかわかりませんが、採集を趣味とする人たちは、よく「採集によってある種が絶滅することなどありえない。むしろ環境を根こそぎ破壊する開発のほうが問題だ」という言い方をして、自分たちの行為が自然破壊に加担していないと主張していたものですが、理屈はその通りであっても、そのようにして採集行為を正当化する精神は、自然保護とは別の次元で、生き物の命を奪うということに余りにも無神経ではないかと思ったものです。
Commented by 仙台人 at 2008-05-20 15:09 x
上からの続き

もちろん、栄養摂取を他の生き物から得ているものならば、人に限らず他の生き物の命を奪うわけですが、そうした生命の必然とは異なる、自分の楽しみのために命を奪うことに対する倫理性の感覚を閉じてしまっているのではないのか、ということです。
もちろん、楽しみのために殺す=反倫理的ということにはならないかもしれません。
シャチが食べもしないオタリアの子供を嬲り殺すなどということもありますしね。
わたしは、蒐集の趣味や楽しみを全否定する気はありません。
ただし、その程度や自然に向き合う姿勢が問題なのだと思います。

同好者のブログや掲示板などを見ていると、毎年同じポイントや地域変異の違いなど見られないような連続した個体群の他の地域の産地の同一種類を、毎年繰り返し何十頭と採集するという方が少なからずおられるようですが、その真意は何なのでしょう。
標本箱に産地が異なる標本を網羅したいという欲求でしょうか。
もしそういうことなら、蒐集に限度はないでしょうね。
Commented by 仙台人 at 2008-05-20 15:10 x
上からの続き

それがたとえすべての種を網羅することであっても、同一種の地域や個体の変異を網羅することであっても、蒐集という行為とはまさしく底なし沼であって、そうした不合理な欲求を満たすことを自らの楽しみにする以上、そうした欲求の犠牲となるものへの慎みや行為の自己制御は当然あるべきなのではないでしょうか。
それこそが自然の生き物に対する倫理的な態度というべきではないかとわたしは思うのですが。
Commented by 仙台人 at 2008-05-20 15:10 x
上からの続き
luehdorfさんが仰っているように、「採れてくれてありがとう。一番きれいな姿を残してやるよ」というような、自分が採集しその命を奪うものへの感謝の思いがあるならまだましなのかもしれません。しかしそれとても、採られる蝶にしてみれば「勝手な理屈だね」というかもしれません。未交尾のまま一見「虚しく」死んでいくオスを捕まえて立派な標本としてその姿をいつまでも残してやることが、その行為を行っている当人以外に、何か意義のあることでしょうか?
そもそもあぶれオスの存在自体が無意味だなどと思っているのは誰ですか?
あぶれオスとは、個体群が種を維持していくために必要不可欠な安全装置なのであって、個体として交尾という目的を完遂するためではなく、消耗雄の後補充として必要な存在なのではないでしょうか。

口実はともかく、実際は、きれいな「完品」の標本が欲しいからには、あぶれオスかどうかは関係なく野外では新鮮な個体を捕まえれば、雄だろうと雌だろうと、その場で胸を押し潰してしまうのではありませんか?
それとも、どうせ交尾拒否されて虚しく一生を終わる前に、親切に雄の間引きをしてやっているのだとでも?
Commented by 仙台人 at 2008-05-20 15:13 x
上からの続き
昔、奥多摩のギフを求めて血眼になって採りまくっていた人たちをわしは知っていますが、彼らが「採集で居なくなるのではない。開発のためだ」「いま標本を遺しておかなければ永久に失われてしまう」といいながら、気息えんえんと生き残っていたギフチョウを根こそぎ採集するそのエネルギーの100分の一でも、奥多摩の開発を止めるために一般の人々を啓蒙するエネルギーに注いでいれば、今のような状況にはならなかったかもしれません。宅地開発や、杉やヒノキの植林事業を差し止めたり、規模を縮小させるためにいろんな働きかけができたでしょうに。
開発のほうが問題だとしたり顔にいう採集家が、それではその開発をいくらかでもストップあるいは緩和させようと働いたという事例を、わたしはほとんど知りません。
Commented by 仙台人 at 2008-05-20 15:14 x
50年前に採集された奥多摩のギフの標本だけが蒐集家の標本箱に遺されましたが、彼らは「自分たちが採集して標本にしておいたからギフの奥多摩地域群を含めたギフの地方変異を研究できる。それも採集のメリットだ」というかもしれませんが、彼らのそうした言葉がほんとうに学問に資することを望んでいるのだとしたら、標本を遺すことにではなく、生息環境を残すことになぜ精力を傾注しなかったのかと、わたしは尋ねてみたいものです。
ですから、採集家の言う「採集も自然の合理に叶う」「学問に資することもできる」というのは、あくまで生き物の命を奪う楽しみを正当化する口実であり、結果論でしかない、ということではないかとわたしは思っています。
Commented by 仙台人 at 2008-05-20 15:15 x
それと、luehdorfさんが仰っておられる
「’80年代、旧文部省が、小学校の理科からフナの解剖、中学理科からカエルの解剖を削除しました。寒々しい事件が多くなったのはこれ以降です。」という話も、一種の還元論だと思います。
子供達がフナやカエルの解剖実習をしなくなったことが、命の生々しさ、それを自らの手で奪うことの残酷さを身を持って体験する機会がなくなったので、凶悪な犯罪への感受性を失った、というのは事実でしょうか。
それが本当なら、子供達に人間の命の尊さを実感してもらうためにも、フナやカエルなどといわず、ゴリラやチンパンジーの生体解剖でも実習させて見たらどうでしょうか。それは極論だと仰るかもしれませんが、大学の医学部や製薬会社ではラットやウサギや類人猿あいてに、残酷にもさまざまな生体実験をしていますしね。
そもそもフナとカエル、哺乳類や類人猿との命の重さに違いがあるのでしょうか。
単に、その生き物に対して感情移入ができるかどうかの違いでしかないのではないかとわたしは思います。で、虫なら全く平気、というわけです。
Commented by 仙台人 at 2008-05-20 15:16 x
子供達の凶悪犯罪が増加しているとされている原因として、「そんなことも一要素として考えられる」程度の信憑性はあるかもしれませんが、わたしはそれ以上に子供を取り巻く親達が生活している現代社会全体の問題だと思っています。
例えばの話ですが、いまここで話題になっているような、採集家が自分の楽しみのために「学問への貢献でもある」と言って無限定に虫を殺すことに何の心理的痛みも感じないように自分の動機を合理化してしまうといったような、ありのままの自分の姿から偽善的に目をそらしてしまう精神のありようも、その人の主観的意図は別としても、子供達に影響を及ぼしてしまうのではないでしょうか。
Commented by 仙台人 at 2008-05-20 15:16 x
わたしが言いたいのは、採集をやめろとか楽しみのために殺すなということではありません。
人は自分が欲望する楽しみを理性的かつ合理的に制御できるほど英知がある存在ではないのですから、せめて自分の享楽や慰みのために他の命を奪っているのだということ、その理不尽な残酷さをしっかりと見つめている必要があると思うのです。
その上で、始めて自分の楽しみのために死んでいくものに対する感謝や慈しみの思いも生じてくるのではないでしょうか。
そうした心で生き物に接し、採集を行うなら、単にその場の狩猟欲求に身を任せた不合理な採集などということは自ずとできなくなっていくのではないかと思います。
そして、単に採集して楽しませてもらうだけでなく、その楽しみの見返りとして生息地の環境保護、個体群の保護などという行動も自然に自分の喜びの行為として生じてくるのではないでしょうか。

暴言多謝(汗)
Commented by luehdorf at 2008-05-20 17:37 x
仙台人様
字数の限られる「コメント投稿」、何とかならないものですかねぇ?(笑)
字数を合わせたりしてるうちに、どうしても舌っ足らずになってしまいます。
でも、この方法があったか!と…。
御教示多謝であります。

昨今、与太話を綴ることに楽しみを覚えていましたので、ちょっと本気で色々綴ってみるか…、と気を引き締めております。
それによってボクの中身を知っていただければと思います。
Commented by 仙台人 at 2008-05-23 15:03 x
りゅーどるふ さま
わしの長いコメントにもかかわらず、ちゃんとレスを戴きどうも有り難うございました。
やっぱり、わしがにらんだとおり、いろんなお話ができる方だということがわかり、とても嬉しいです。
じつは、るーさんの他の記事を拝見して、単なる衝動に身をまかせる採集家ではないなと感じていたものですから。
そんな方に、論議を吹っかけてしまいましたが、積年のいわゆる採集オンリーのマニアへの思いを自分なりに整理するきっかけともなりました。その意味でも、異なった論点や議論に対してオープンな姿勢を貫いておられる るーさんに心から御礼を申し上げたいと思います。
今後とも、お互い建設的なお話が続けていければいいですね。
どうぞよろしくお願い致します。
るーさんのブログ、楽しみにしております。
Commented by luehdorf at 2008-05-24 02:09 x
仙台人様
ちょっと仕事が立込んで書く時間がとれません。
'66年春にR.カーソンの存在を知り、以後20年ほど「カーソニスト」でしたが、ゆえあって、「自然保護」は無意味であるとの立場に立っています。
そのあたりのいきさつ、週明けにも…。
懲りることなくおつきあいのほどをお願いいたします。
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