きっかけ
’72年3月、啓蟄を過ぎて暖かくなった陽気に誘われ、穴から這い出る虫のような思いでサークルの部室に出向いた。
体操を辞めて1年余り、家庭教師のバイトに行く以外は、学寮に引きこもって麻雀ばかりしていたのだった。 タバコを吸いながら後輩たちの書き込みのあるノートをめくっていると、いきなり黒幕のYさんが現れた。前年初夏の、学祭での展示後の打ち上げで飲んで以来だった。 「お前どうしてたの?」と尋ねるYさんに現況を話すと、「もったいないなぁ、ウチの研究室の仕事を手伝えよ」と「動物生態」の研究室に引っ張っていかれた。入試中止の影響で新4年生がいないため、研究室には学部生がゼロだった。 学生控え室には2人の院生がいた。一人は今をときめく(?)「構造主義生物学」の旗手、池田清彦さん、もう一人がその後ボクをダシにして飲み歩くTさん(研究室に遅れてくる言い訳が、「ハッシー!がやたら飲んだもんで…」)だった。 Yさんが「池田、T、こいつが『体育のチョウ屋』」と言うと、池田さんが、「君がそうなのかぁ、聞いてるよ。酔っ払っちゃそこらで宙返りすんだって?」。 確かにそうだった。ボクがサークルの入会に行ったとき、部室にはYさんとカトカラ屋のIさん、雑虫屋のKさんがいて、雌伏の1年が過ぎ、やっと入会しようとしている第1号が、理学部でも農学部でもない体育学部生だというのだから面食らっていたのだった。でも夏過ぎの飲み会で、「陸中のチョウアカを鬼採りして…」とか「早池峰のベニは展翅板の数を考えて30で…」とか吹きまくり、挙句には横断歩道をロンダード→バック宙で渡ったりしたもんだから、初めに抱いた懸念も何のそので、「面白いヤツ」となってしまった経緯があった。 Tさんは、「体操やってんなら木登りは楽々だろうし、力もありそうだから『材運び』にもいいじゃん」と言う。そう、当時、生態の研究室で大ブームだった「カミキリ」に引きずり込もうという作戦なのである。「チョウチョは時代遅れ」説を左右から吹き込まれながら小一時間経つと、M師が現れた。Yさんが、「あっ、先生、こいつが例のヤツです。使えそうなんで連れて来ました」。長身痩躯のM師は、「…君ね。今ここは学部生がいないから、Y君や池田君なんかの仕事の手伝いをやってもらえると有難いんだよね」と…。 いつの間にか理学部の「モグリ」になることが決まった。
by luehdorf
| 2007-12-13 13:05
| チョウなど
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