追憶…

 かつて「TSU-I-SO」に何度か駄文を載せてもらった。ワープロ原稿で、バックアップをとっていたから大丈夫…なんて思っていたら、プリンターがパンク。ワープロを捨ててPCにシフトした。そのとき、フロッピーの読み取りソフトも導入したのだが、どうもウィルス除去ソフトとの相性がよくないらしく、うまく働いてくれない。そのためにいまだに過去の文章を引っ張り出せないでいる。仕方がないので記憶を頼りに書き直してみることにした。デッシー君とその息子ハム君と一緒に入笠へ行ったとき、ボクにここを教えてくれた亡きMさんのことを思い出したからである。

 窓から射し込む小春日の中で、ローストのきついコーヒーをすすりタバコをくゆらす。仕事の合間のまさに「至福のとき」である。しかし、届いたばかりの一葉の葉書に冷水を浴びせられたような思いにさせられた。薄墨の縁のある葉書は、Mさんの死と喪中欠礼を知らせるものだった。片隅に奥様の手で、「…逝きました。蝶を遺して」と…。
 1971年、岩手県の龍泉洞。通い始めて4年目でちょっとは訳知りの気でいた。洞の前の東屋で野宿した2日目の午後、午前中に宇霊羅山でカシワ食いのゼフを結構採って昼飯を済ませ、覚えたばかりのタバコをふかしながら、「ダイセンは何でsignataばっかりで
quercivoraが採れないんだろうな…」なんてことをブツブツと呟いていた。洞の入り口の方を見るでもなく眺めていると、橋を渡って一人の中年の男性がやって来た。そしてボクに、「チョウセンアカは採れますかな?」とニッコリと笑いながら声をかけてきた。独り言に飽きていたボクは、「川沿いのトネリコを叩くと結構飛び出すと思いますけど…」と答えた。「いやぁ、有難う!」、男性は長竿を取り出して上流の方へ向かった。
 3時過ぎ、下流側から戻って行くと、東屋でタバコを咥えたさっきの男性が手招きしている。小走りに駆け寄ると、「採れましたよ。時期的にダメかと思ったけど、完全品が3頭ばかりありました」と言う。「良かったです。お教えした甲斐がありました」と答えると、「今日はもうお帰りになるのかな?」と問う。「いえ、夕方のバスで田野畑へ行って泊まります」と言うと、「私もご一緒しては迷惑かな?」と聞かれた。こちらは実家に戻るまでチョウチョ採りばかりするだけだから拒む理由もない。「あぁ、どうぞ」ということで珍妙な二人旅が始まった。
 6時前、喜久屋旅館に着いた。当主のおバァちゃんに無沙汰の挨拶をし、二階の部屋に上がった。荷物を整理して着替えながら、まだ名乗り合っていない事に気づいた。「何て呼べばいいんだろう…」。若輩から名乗るのが順序であろうと、「ボク、ハッシーって言います。○×大学の体育の2年です」と言うと、「アハッ!こりゃ失礼、私はMで中野で不動産屋をやってます」と返してくれた。
 夕食の膳が出てすぐ、Mさんが右手を口の前でクイッとやった。頷いてしまったのが地獄への序章だった。ものすごいピッチで徳利が横になっていく。こちらは体育学部だから、年長の方の手を煩わせるわけにはいかないと、ふらつく足で一階と二階を行き来した。覚えているのは何度目かに下りたとき、一階のテレビに映っていた、オールスターゲームでの「江夏の9者連続三振」で、9人目の、阪急加藤英司のバットがクルっと回った瞬間だった。
 翌日は当然猛烈な二日酔い。しかしMさんときたら酒はまるで潤滑油だとばかりに絶好調。案内する先々でメタリックグリーンをネットし、それらを「ドル」と数える。10時過ぎには「やぁ、40ドルいきました!」。まだ1ドルが360円の固定相場の時代であるから、この日Mさんはどれだけ稼いだ事やら…。そして夜はまた喜久屋での「祝杯」という名目の酔乱…。
 出会って3日目の朝、岩泉に戻るバスの中で、「東京へはいつ帰られるのかな?」と問われた。「8月の10日頃にはと思ってます」と答えると、「中旬に3日ほど付き合ってください。今回のお礼がしたい」と言う。恐縮して断ると、「いや、東京の住まいの電話を…」と譲らない。寮の電話をメモして渡した。
 東京に戻った日の夕刻、寮内放送が響いた。「体育2年のハッシーさん、電話です」。「お電話」なら女性から、「電話」なら男性からの暗号が隠れている。Mさんの言を思い出して電話室に走った。急いでとった受話器から、「いやぁ、先日は有難うございました。私が是非案内したい所があるので、14日の夜に新宿駅の西口に採集に行く格好で来て下さい」とMさんの声が響いた。「は、はい、分かりました」とだけ答え、バイト募集の掲示板を見ると、「左官手伝い、3日間、1日5000円」というのがあった。寮委員に訪ねると未決であるという。すぐに募集受付の用紙を受け取って電話した。即決だった。翌朝の7時半に寮のすぐ裏のアパートに出向けば拾ってくれると言う。とにかく3日間、セメント袋を担ぎ、砂利をふるって捏ねた。結構な重労働だった。棟梁は「3日もつとは思わなかったョ。S君(同学年である)なんか半日で音を上げたからね」とバイト料に色をつけてくれた。足場板の端っこに乗ってしまい、三階から落ちて二階との間の支柱にしがみついて驚かれたのもこのときだ。地面に落ちた足場板の音に棟梁は顔色を変えて飛び出してきたが、支柱につかまったボクが「すみません!下は大丈夫ですか?」って言うのを聞いて、「そっちを心配したんだ」って怒鳴られ、後で「やっぱり体操やってるってのは身軽なんだな?」って感心されたっけ…。
 もらったばかりのバイト料を手に新宿駅へ行くと、中央線富士見までの切符を手渡された。「あの~、お金は?」と言うと、「私がお礼をするのだから気にすることはないんです」と言われ、「お腹がすいてるでしょう?何か食べますか?それとも…」と右手をクイッ。「ボクが行きます」と売店に駆け出し、弁当とビールと酒を買ってくると、「あなたはお客様です」とお金を渡された。そして発車前からこの前と同じ状況になった。
 早朝、富士見駅に着くと、駅前にはラジオ体操に集まった子ども達がいた。バスの発車までにまだ時間があることを確認すると、「子ども達に体操を教えてきなさい」と言われ、まだアルコールの残滓が残ったまま、壇に立たされて体操をした。
 マナスル山荘は初代がまだお元気だった。受付の上の壁の標本箱にはキベリタテハやコヒオドシそしてベニヒカゲなどが並んでいた。キベリの縁はまだ白くなっていなかった。荷物を置くと、照りを増した夏の陽射しの中を南沢辺りまで下った。初めて見るアサギマダラに興奮した。黒く速い影はコヒオドシ、止まっては逃げるのを3回目でネットに入れた。南沢の斜面からはベニヒカゲが舞い降りてくる。焼石や早池峰と違いちょっと大きかった。汗をかきアルコールが抜ける頃、入笠のファンになった。
 その後も折に触れては誘いの電話があり、飲みに連れて行ってもらった。「うちはね息子がまだ小さいんですよ。早くこうして息子と飲んでみたいな…」。下北沢の居酒屋でだった。
 年賀状に「結婚しました」と記すと、「連れて飲みに来なさい」と返信があった。都合が合わずにぐずぐずしていたら会わせる事ができなくなってしまった。
 マナスル山荘の風呂場で背中を流してあげていると、ひょいと振り向いて視線を下げ、「これなら大丈夫だ」と悪戯っぽく笑った目が忘れられない。合掌。
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by luehdorf | 2007-06-09 23:52 | チョウなど | Trackback | Comments(4)
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Commented by nomusan at 2007-06-11 21:24 x
追想文、ゆっくりと拝読させて頂きました。素晴らしい出会いがあったのですね。一生の想い出にふれさせていただき、ありがとうございます。
 マナスル山荘、昭和52年のGWに泊まりました。おばあちゃんが切り盛りされえちたように思いますので初代の方だったのでしょうか・・・。この時山菜うどんを食い逃げしてしまった事、私の一生の想い出です(笑)。
Commented by luehdorf at 2007-06-11 22:58 x
お読みいただき有難うございます。
もう古くなりましたが、その後入り口からみて左側に「新館」を建てまして、3代目(もう40近いかも…)が星好きと言うので天体望遠鏡を設置してドームを作ったのが20年ちょい前だったと思います。諏訪清稜高校ということで、ミヤマシロで高名な「三石」先生のエピソードなんかを聞かせてもらったことがありました。そして土星の輪っかが縦になってるのを見て驚きました。
昭和52年ですと初代の奥さんですね。初代は牧場開発のためにメギがやたらと伐られてしまったことを憂い、「オレがメギを残したからミヤマシロがいるんだ!」って威張ってました。チョウ屋には優しいけど頑固なじーさんでした。
ボクは牛乳を飲んでお金を払おうとしたら、「はいありがと」ってさっさと奥へ入られてしまって払いそびれて得したことがあります。時効ですね!
Commented by nomusan at 2007-06-11 23:47 x
私、その時のメギで捕ったミヤマシロの幼虫、当時下宿していた京都に持って帰って飼育しましたよ~。あれはluehdorfさんのお陰だったのですね! ただ、蛹化率悪く、羽化率悪く・・・。けど、わずかに羽化した個体は今でも私の票本箱にありますよ~。 
私の食い逃げも時効ですよね(笑)。
Commented by luehdorf at 2007-06-12 22:37 x
ホント、九州の方たちは産地や生態、飼育方法に関する情報に詳しいですよね。何年か前によく出会った福岡出身のO君は、九州の仲間から関東の産地の情報をもらってあっちこっち動いてました。山梨のヌスビトハギ食いのアサマや上○原のキマルリなんか、ピンポイントで教えてもらったんですから…。さらにはあるところの「お姫」の卵を採ったとも言ってましたっけ…。
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