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白馬考

 田淵行男先生の「ギフチョウ・ヒメギフチョウ」を買った後だから、もう四半世紀にもなるのか…。5月3~5日に恒例の白馬詣でをした。
 バブルの頃、みそら野の別荘地は若い兄ちゃんやネェちゃんがあふれかえっていた。俳優のT氏のプロデュースする漬物屋もあったし、軽井沢や往時の清里を彷彿とさせた。その後はオリンピックフィーバーである。村がルードルフィアを天然記念物に指定し、採集禁止にしたのもこの頃だったはずだ。食草の有無を知るために、ネットを持たずに猿倉への林道脇の林に入っていたら、どう見ても「教員上がり」のオバハンが車の助手席から声をかけてきて、「ギフチョウは~」とかヒステリックに叫ぶので、「オレはネコじゃないから手ぶらでは翔んでるチョウチョは採れないよ」ってうそぶいてやったものだった。
 そういえばあのジャンプ台も国際競技規約に合わないので、ワールドカップなんかの大会には使えないんだとか…。そしてそのための改修にはまた億単位の経費がかかるのだとか…。国内大会とか、まぁTVのバラエティー番組の罰ゲームに使うとして、維持費が出るのかとひとごとながら心配になってくる。ペンションやテナントビルが廃屋になっているのも見かける。平家物語の冒頭を思い出してしまうのだ。
 まさかあんな建造物の数々を放置しておいて、200年とか300年後の「天然」記念物とか世界遺産の指定を狙ってるなんてことはないだろな。為政者のいきあたりばったりな施策がマイナス方向に進んだ格好の例だと思う。
 10年ほど前だろうか、教育委員会のOさんとやらが条例のコピーを持ってやってきたことがあった。理由は故A氏一派の何たらの会の連中にいちゃもんをつけられ、「クジラも減ってんのに…」とか訳の分からんことをいわれて腹が立ち、「役場の担当を呼べ」ってこっちがいったもんだから…。
 そもそもA氏は不勉強極まりないものだから大嫌いになった。SBC制作のドキュメンタリーに出て、「イェローバンドはギフチョウの『亜種』で~」とのたまったものだった。この言は彼の子分達にも行き渡っていて、飯森でペンションをやってる御仁が書いた白馬の自然案内みたいな本(道の駅なんかで売ってるから困る)にも出てくる。こんないい加減なことを検証もせずに出すメディアへの不信感とともに、単に「情緒的」に「保護してるから採るな」っていう論法にはどうしても(自分として)許せないものがあり、ずっと白馬行を続けている。
 Oさんは非常に理性的で、環境アセスのいい加減なことも、採集圧がそれほど大きなものでないことも承知し、決まったものであるから何とか協力を…という姿勢だった。話し合いというのはこういうものでなくてはならず、ただ自分の主張を闇雲に語ったって素直に聞く奴はいるもんじゃないと自省したものだった。ただひとつ、条文中のギフチョウの学名が「L.japonca」となっていて、「i」が落ちていたもんだから、「japonicaは採ってもいいんですね?」といったら絶句していたっけ。南神城から深空までをサンクチュアリにして、それ以外は「入猟料」を採ることにすればいいんじゃないかと提案したのもこのときだった。
 今年で5年、毎年お会いする町田の採り屋さんと、「年に1回、七夕みたいですね」と笑いあった。あと何年会えるかは分からないが、向こうも「定点観測」のような風情で白馬の様子を語る。ここまで続けてきたからには、これから白馬がどう変わるかを見つめてやろう。
 そういえば前述した飯森の御仁の西の杉林が「村道建設」とかで半分ほど削られていた。あそこはウスバサイシンの群生地でヒメギフがいるはずなのに…。
by luehdorf | 2007-05-10 00:52 | チョウなど
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