よ~く考えよう

 「自然保護」って本当にできるのか?
 地球上に生命が誕生したのは35億年前…、なんてことが生物の教科書には書いてある。その後の流れを見てると、みんな繁栄そして絶滅なんだよね。ってことは今少なくなってる種ってのは、繁栄の時期を終えて静かに消えていく、いわばこれまでの生物がたどった「必然」の道程にあるってことじゃないのかな?なんてことを最近は思うようになった。だから、「自然を大切に」とか「貴重な(これが一番嫌いな言葉!)生物の保護を」なんてスローガンを聞くと虫酸が走る。そんなことに一生懸命な人に、「ゴキが少なくなったら保護するんですか?」、「「オオスズメバチは何で助けないんですか?」って聞いてみたい。どう答えるんですか?
 ある生物の数が少なくなっていく、これって必然ではないかと思う。150年近くも真理とされている、C.ダーウィンの「自然選択説」が正しいなら、まさにその通りでしょ。「自然」に、「お前はダメ」って選ばれなかった種は滅びるしかないんですから…。何もそんなに我々ヒトの活動の結果そうなったなんて、責任を感じる必要はないんではないかと思うのだ。
 ウソっぽいんだよ、「地球に優しい」とか言う文句は。何をそんなに偉ぶってるのって言いたい。偉そうにしてながら、まだ地震がいつ来るかさえ分からないでしょ。コンピュータを使って大丈夫ったって、揺れて壊れない道路すら作れないのが我々なんですよ。もっと謙虚にならなくちゃぁ。「自然」は我々が過保護なまでに守ってやろうとしなくったって、十分回復する能力を持っているんですよ。
 ボクの住む板橋区、ユスリカ対策のために新河岸川の堤防にはブラックライトが並んでいる。ユスリカって言っても別に「恐喝」もしないおとなしい蚊なのに、ましてや吸血もしないのに、「蚊」というだけで嫌われる。それでいながら「トンボが翔ぶ~」だと。トンボはユスリカを食うって。餌がなかったらトンボは増えないって…。トンボは電池で翔ぶんじゃないから、彼らの食うものだって確保してやらなきゃいけないんじゃないのかな? 勝手に「不快昆虫」とかの肩書きをつけてユスリカを排除する。どこか変ではないですか?ましてユスリカは汚かった水界がきれいになり始めたって言う、指標生物じゃないですか。
 そろそろ「ヒト至上主義」を捨て去る時期に来ているのではないか。そもそも我々は、藍色細菌(ラン藻)が大繁栄して光合成をし、大量に酸素を放出したという「大気汚染」の結果を利用して生活活動のエネルギーを得ているんだから。
 自分(ヒト)は他の生物とは違うっていう考えはとてつもなく大きな誤解があると思う。ヒトだって単なる地球上に生きる「種」の1つなんだよ。
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by luehdorf | 2006-10-28 01:55 | チョウなど | Trackback | Comments(2)
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Commented by デッシー at 2006-10-29 09:33 x
自分の種は自分で守る。ヒトも同じ。それが環境問題に対する取り組みであるべきだと思います。石油垂れ流し大国の行く末を想像すると、子孫に負担がかかるのは明らか。片や採集禁止の保護活動はなんだかよくわからないうちに保護しているのが現実では。かつてどこかの市の蝶にホソオチョウが選ばれたというナンセンス。知識と想像力が欠如している。地球のためを考えるならヒトが絶滅するのが一番ですから。ただ、私は孫の顔が見たい。そのためだけにヒトには節制を呼びかけたいと思います。結局は自己欺瞞なんでしょうか。ただ、ゴミは投げ捨て、闇雲な開発をし、便利を絶賛する大手優遇の偏った資本主義に腹が立つだけです。少なからず、私も環境破壊をお手伝いしています。
Commented by luehdorf at 2006-10-29 18:50
>~私も環境破壊をお手伝いしています。
 そこまで卑屈にならなくても…。何がよくて何が悪いかを考え、与えるダメージを小さくする方向性がもてればそれでよいのでは…。少なくとも、何も考えずに世の風潮に流されていくのとは違ったスタンスですから。大体、CO2の排出量を減らせないなら、それの少ない国から買い取って構わないなんて発想は、先々までを見据えて何かをしようとは考えていない場当たり的なモンですよね。
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