追悼 小林繁氏…

1973年10月11日、前日夜から明け方まで、「緑のマット」の上での闘いにいそしんでいたボクは、午後になって目を覚ました。というよりも、寮内に響くラジオの音で目を覚まさせられた。どこの部屋なのだろうか、ガンガンと響いてくる。「5対0…、阪神タイガースの…」、断片的に聞こえる様子からは読売の形勢が悪いようだ。
そういえば、朝まで一緒に遊んでいたマツが、「今日は大変な日なんだよ。後楽園に行かなくっちゃ…」と言っていた。少しは眠ってから行ったんだろうなぁ~、と思いながらうつらうつらしていた。そうすると「よし!5対3!」という大きな声が聞こえた。完全に目が覚めた。歯ブラシをくわえてカラーTVのある後輩の部屋へ出向いた。案の定、2人して野球を見ている。「昨日はどうだったんですか?」という問いかけに、右手でOKサインを作って答え、廊下の水場でうがいをして戻ると、「長嶋がケガをして引っ込んじゃったんですよ」と…。サードには日ハムから移籍した富田が入っていた。
確か5回表、阪神の攻撃のときにピッチャーを変えようとしていた。「小林を出せよ!」とボクはTVに向かって叫んでいた。夏過ぎに夕食を食べながら見た、彼のピッチングの印象が強かったからである。でも出てきたのは高橋良昌(現中大監督)。「川上さんは実績重視だからなぁ」。確かに東映→日ハムと結構な実績はあったが、この年は中継ぎで大分失敗していたはずだった。そしてポコポコと打たれてリードを広げられた。8回の裏に代打萩原の同点スリーランが出て、その後の9回表に小林が出てきた。小気味のいいピッチングで三者凡退。それを見た後輩が、「こんないいピッチャーがいたんですか」と…。
試合は結局10対10の引き分け。後楽園に行ったマツは、萩原のホームランのとき、どこかの見知らぬオッサンと、ライトスタンドで手を取り合って「やった!やった!」とジャンプしていたのだとか…。

不思議なサイドハンドだった。これより前のサイドあるいはアンダーハンドのピッチャーといえば、大洋の秋山登さん、南海の杉浦忠さんが挙げられる。秋山さんは小さめのステップでボディスイングを効かせたアンダーハンド。杉浦さんは軸足から先足へ体重をきれいに移しながらそこに遅れて腕がついてくる体重移動型。ゆったりとした感じなのだが、全盛期の手元で伸びる球は、’59のペナントレースでの38勝4敗、勝率.905が示す通り。
小林はこの2人とは違っていた。軸足を少し曲げ、それを伸ばす勢いでピチッとくる。売れっ子になる前の明石家さんまがよく真似をしていたが、軸足を曲げるところまではまあまあでも後はいけなかったね。そういえばこのころ、林間学校の最後の晩に、「小林繁」、「小林繁の真似をする明石家さんま」というのをやって子どもたちからとても受けたことがあったっけ…。
’75に長嶋巨人で最下位。翌年からの2年間、小林は投げに投げた。そして沢村賞を受賞。このときだって、確か310勝の別所(このとき以来呼び捨てです)は、「本格派じゃない」といって反対したはずだ。オーバースロー=本格派、サイド、アンダースロー=技巧派、なんて誰がこんなカテゴライズをしたんだ?小林は真っ向勝負の本格派ピッチャーだったぜ。
その後、あの「空白の一日」に巻き込まれて阪神へ移籍。この事件はボクが読売ファンを止め、強固なアンチ読売になるエポックメーキングなことだった。よくやった。この年22勝!確か2度目の沢村賞。このときはだぁれも反対できなかった。
彼一流の美学を貫いて30そこそこで引退。引退後はいろいろなことがあったみたいだが、近鉄でコーチをやり、昨年からは日ハムの2軍コーチ。今年は1軍コーチに昇格だったというのである。
やり残したこともいっぱいあるだろうけど、あなたは「カッコ」よかった。ゆっくりと休んでください。
合掌。
by luehdorf | 2010-01-20 00:36 | スポーツ | Trackback | Comments(20)
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Commented by nomusan at 2010-01-20 06:14 x
”江川事件”をきっかけに巨人ファンと言うよりは”読売嫌い”になった方は多いようですね。この時は学生時代で京都にいましたが、関西でも結構巨人ファンの方はいたのですが、かなりの方がファンをやめましたね。
私も当時はかなり腹を立てた記憶があります。けど、特定の球団と言うよりは個人の選手を応援する傾向にある私は、江川さんが全盛期を迎える頃にはしっかり応援していた軟弱者です(笑)。

あの時の小林さんは本当に格好良かったですね。理不尽なトレードに泣き言一つ言わず、翌年巨人に8戦8勝。喝采したものでした。間違いなく一時代のヒーローでしたね。合掌です。

さんまさんのあのCM、関東でもやってたんですね。
Commented by luehdorf at 2010-01-20 08:21
呑むさん様
小林さん、強烈なダンディズムを感じました。

「江川事件」もボクは江川さんにはあまり「悪」は感じませんでした。
大正力と呼ばれた正力松太郎さんは、戦後、野球界が発展していくには、ということで、宇野、白石など自軍の選手を他球団に放出しました。
それなのに息子は自分の利益だけを考えて、「欲しいものはどんな策を使ってでも手に入れるんだ」とばかりに、全体の了解事項を「法的に定められていない」と無視したんですよね。
この「セコさ」が何とも許せませんでした。
’75の最下位の年、後楽園球場に何度通ったことか。(1勝1分けであとは全部負け!)
あるとき、後輩が「ハッシー!さん昨日後楽園にいませんでした?」。「いたよ」。「すぐ後ろにいたんですよ」。「何で声をかけないんだよ」。
彼は小さな声で、「だって大きな声ですごい野次…」。
そうでした。ライトスタンドで大洋の長崎を思い切りくさしてましたっけ…(爆)。

野球もしばらく見に行ってないなぁ~。
Commented by カトカラおんつぁん at 2010-01-20 13:01 x
ルーさん こんにちは

小林投手が亡くなっていたんですね。
男は黙って・・・8戦8勝。見事に「恩返し」をなさってましたから、私のようなアンチ巨人ファンでなくても、贔屓にしていた方々が大勢いましたね。
会社員にとっても、なんか鬱憤をはらせた事件だったのでしょうね。
Commented by itsuki at 2010-01-20 20:20 x
今晩は~
 驚きましたね・・・・・まだお若いのに・・・・早すぎますね
 野球に興味を持ってから ずっと「G・ファン」のボクですが
 この時はショックでしたね・・・・
 「法政の江川」は是非とも欲しいピッチャーでしたが あんな入団の仕方では
 彼も随分苦労したでしょうが 小林さんにとっては「晴天の霹靂」
 いきなり「阪神へ行け!」・・・・なんて非情のトレードでしたね
 その後の意地の勝ち星には感動を覚えました
 ・・・・まだ57才、人生これからって時なのに・・・悔やまれます

 
Commented by luehdorf at 2010-01-21 02:03 x
カトカラおんつぁん様
そうなんですよ…。
ちょいと用事があって出かけたのですが、ラジオからこのニュースが流れてきたとき、少しハンドルがブレました。ショックでした。

横紙破りに文句も言わず、ホント「男は黙って」結果を出した方です。

あと浅川マキさん、「かもめ」が好きでした。
学生時代に一度、長谷川きよしさんとのジョイントコンサートを聴いてます。
「アンニュイ」という仏語は彼女のためにあるのでは…?
Commented by luehdorf at 2010-01-21 02:07 x
itsuki様
ちょいと調子を悪くして弱気になってるのでしょうか。小林氏のニュースはとてもショックでした。
57ってことは「辰」、ボクとI 様の間に入るのですものねぇ~。

いつ何があるか分からないのだから、今を目一杯楽しんでいきましょうかぁ~!
まずは“ミッションG”での大騒ぎ。練習しておくぞぉ~!
(どこが弱気になっているんだか…(爆))
Commented by itsuki at 2010-01-21 08:35 x
アハハ~~~~
 ルーさまに「弱気」は似合いませんね~~~(爆)
 今から手首を鍛えて クイックでネットを振る練習をしてくださいね~~
Commented by カトカラおんつぁん at 2010-01-21 12:14 x
長谷川きよしさんは最近衛星テレビのほうでか見ましたね。
まだ演奏活動やっているようです。

「別れのサンバ」真似して弾いてましたが、途中の間奏でこけちゃいましたね。今でも鼻歌できよしさんの曲をうなっていることがありますね。

浅川マキさんの曲は、ヒットした「夜が明けたら」もジャズっぽいイントロが印象的でしたね。
うちのカミさんは「赤い橋」ってのがお気に入りでした。
Commented by kenken at 2010-01-21 23:02 x
179cm,63kg・・・デビュー当時の小林さんの身長・体重は、私の高校時代のそれと同じでした。あの10対10の試合、TVで実況中継を見ていたのをはっきり覚えております。
長谷川きよしの「別れのサンバ」私も必死でギター練習しましたが、引ききれませんでしたね。名曲です。
合掌。
Commented by luehdorf at 2010-01-22 00:46 x
itsuki様
>ルーさまに「弱気」は似合いませんね~~~(爆)
やっぱりそうですよね。

手首を鍛えるとビートルズの“ALL My Loving”のあの3連符ガシガシを弾いちゃうかも…(笑)。

実はちょいと気になって、パープルシャドウズの「小さなスナック」をYou Tubeで探したんです。そしたら画像の中に、彼らによる「別れても好きな人」があったんです。
ロス・インディオス&シルビアと趣きが違っていて良かったですよ。
コードを拾ってます。
Commented by luehdorf at 2010-01-22 00:54 x
カトカラおんつぁん様
長谷川さん、最初の奥さん「ヨーコさん」と別れ、次の方とも別れ、北海道の方でマッサージ師をやってたとか…。
4、5年前にまた弾き始めて、横浜の大道芸コンクールなんかで、ライブをやってました。
ギターのテクニックはさらに磨きがかかって、とっても真似なんかできません。
初期の「別れのサンバ」、あの間奏はちょいとごまかして、らしくやってますけど…。
この曲を作ったとき、長谷川さん、17かそこらなんですよ。
♪あなたの愛したこの髪さえ いまは泣いてる…♪
なんてマセてんだろう、って田舎の高校生は思ってました(爆)。
Commented by luehdorf at 2010-01-22 01:06 x
kenken様
小林さんが注目を浴び始めた頃、こちらは「大グレ」の最中でした。
あの年(’73)の2月の半ばからの1ヶ月で、半荘600回以上打ってましたから…。
学生麻雀の常として、「仕送り精算」でしたので、1回ごとの収支がノートにつけられてるんですね。暇なときに、「何回やった?」って数えてみたら…。
この年の4月からは、近所に下宿していたC大のヤツとその仲間が、腕試しとばかりに寮まで乗り込んできましたし、潜っていた理学部の仕事とバイト以外の時間はずっと卓の前でした。
そんな折に目にした小林さんの快投はとても新鮮でした。
10対10の日の夜、ほとんど寝ていないマツは、「話は打ちながらでもできるから…」と「萩原の同点3ラン」の興奮を喋ってました。
結局、彼が大沈みしましたけど…(爆)。
Commented by itsuki at 2010-01-22 08:27 x
All My Loving を初めて聞いたのは・・・・・
 丁度中3の冬・・・受験勉強もロクにせず 毎日深夜ラジオを聴いていました
 ビートルズの名前だけしか知らない当時 凄く感動して 翌日クラスメートに話したら
 「知ってるよ・・・」って奴がいて・・・・悔しかったなぁ~・・・・
 当時は新譜を自慢するのが流行っていましたね
 この頃からカーペンターズに嵌り 雨の日と月曜日は好きになれないんですね~(笑)
Commented by nomusan at 2010-01-22 21:50 x
1973年というと私は高校1年かぁ・・・。本格的に野球見だした頃ではありましたが、土地柄かパリーグの方に関心があったかなぁ。西鉄が太平洋クラブに身売りして、前後期制が導入されたのもこの年だったかな。って、思い出したぁ、この巨人-阪神戦って・・・・・あの試合でしたかっ(爆)。
ところで、小林さんをまねたさんまさんのCM、確か最初は大阪ガスかなんかのローカルCMじゃなかったかなぁ・・・。
Commented by luehdorf at 2010-01-23 00:04 x
♪Close your eyes and I'll kiss you tomorrow I'll miss you…♪
中学時代、周りが ビートルズ!って騒ぐのに、へそ曲がりのボクは背を向けていました。(GS至上主義でしたから…(爆))
東京へ出てきて、同室の先輩Hさんから最初に、「ビートルズは原点だよ」って言われて、ハマったのが“All My Loving”でした。“Yesteday”、“Fool On The Hill”とともに、お気に入りなのですが…。

えっ?“Rainys Days And Mondays”で何か?
何があったのか。“G”が楽しみです(爆)。
Commented by luehdorf at 2010-01-23 00:27 x
呑むさん様
そう!あの試合です。
このあと、甲子園での最終戦までもつれるのですが、「あと1勝」の阪神は、名古屋で中日に勝てなかったんですよね。
近藤唯之さんの記述によれば、読売のメンバーはそれを名古屋を通過中の新幹線の車中で知って盛り上がったとか…。
V9の歴史の中で、最も「アブナイ」勝利だったのですよね。
小林さんはその中で最も輝いていたと思います。

さんまさん、東京のTVのバラエティで結構やっていたような…。
Commented by nomusan at 2010-01-23 06:17 x
そうでしたそうでした。名古屋での中日-巨人戦はTVで観てました。で、当時の名古屋球場の、三塁側内野席とレフトの観客席の隙間から新幹線が通過するのが見えて、アナウンサーが「今、巨人軍の選手を乗せた新幹線が通過しました!」って叫んだのを憶えています。阪神はこの試合を落とし、甲子園での最終戦で巨人に0-7で負けてしまった・・・。高橋一三さんでしたっけ・・・。この日は祖父さんの葬儀だったなぁ・・・。
で、嘘かホントか、名古屋で先発した星野仙一さんが「真ん中にしか投げてないのに勝手に打ち損じやがって・・・。」って言ったとか言わなかったとか・・・(笑)。
Commented by luehdorf at 2010-01-24 00:35 x
呑むさん様
名古屋の試合をご覧になってましたか。
確かに星野仙一さんは↑のようなことを仰ってました。
ただ、あの頃は阪神の経営陣も優勝は望んでいなかったというような話も聞こえてきていましたし、ヤクルトのオーナーだった松園さんなんか、はっきりと「読売が勝たないと金にならない」みたいなことを言ってましたから…。
バリバリの読売ファンであったボクもこの年は、「無理だろなぁ~」って思っていました。

初めて後楽園に行ったのは、’75年3月、オープン戦の阪神戦で、川上哲治氏引退試合でした。
代打で出てきた川上さんがライトフライ。誰だったでしょうか、外人選手があっさりとキャッチしてしまったのを、「日本人だったら『偉大な方の打球が飛んできて涙で霞んでしまって…』とか言って落とすのになぁ~」なんて見てましたね。
途中、王さんがセカンドからサードを周るときにふくらはぎの肉離れを起こして退場…。
長嶋巨人の最下位を予見させるような出来事でした。
Commented by nomusan at 2010-01-24 07:57 x
そう、松園さんははっきりと「巨人が勝った方が良いんだ。」って言われてましたよね(笑)。

で、”75年春の引退試合”なら長嶋さんの引退試合では? 前年の最後の公式戦(中日とのダブルヘッダー)、試合の合間にグラウンドを一周したのをTVで見てました。その部分は録画だったのかなぁ・・・ただ、試合後のあの”巨人軍は永遠に不滅です。”は生放送で見たような・・・。
Commented by luehdorf at 2010-01-24 12:50 x
呑むさん様
そうです!長嶋さんの引退試合でした。
川上さんが勇退なさるので、長嶋さんが審判に代打を告げ(左バッターのまねはせず、ベンチを指しながらでした)バッターボックスに立ったんでした。

前年秋の例のときは、潜っていたM師の研究室にTVが持ち込まれ、仕事をしながら見てました。
最後の挨拶のときは、M師が「おぉ~い!仕事はストップして歴史的なシーンをしっかり見ておくこと…」とか言ったので、みんな集まって見ました。
「…私はきょう引退いたしますが、我が巨人軍は…」というフレーズ、よかったなぁ~。
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