初めて…

見つけてしまった。

この曲、ガットギター1本で初めて楽譜を起こした曲。
夏に帰郷したとき、同級生のバンドが、みんなのたまり場になっていた喫茶店でやっていて、「何ていう曲?」って聞いたら、「『白い波』、ナベサダが作った曲だよ」。
東京に戻ると、同部屋の仏文のヤツがシングルを持っていた。「ジルベルトが好きだから…」。
1週間ほど借りて、ステレオのある寮の談話室で音を拾った。
3和音だけでないコードが使われていて苦労したが、冬に帰ったときに友達の楽譜を見せてもらうと、一部のテンションコードが違うだけだった。
今回知ったのは、作詞が出門英、そうヒデとロザンナのあの“ヒデ”さんなのですよ。

これで自信がついて、以後いろいろと採譜した。
面白かったのは、飼育係がポール・モーリアの「涙のトッカータ」を弾きたいのだが楽譜がない、と。
レコードを聴いてみると、左手はアルペジオだから、メロディーラインを採れば何とかなると思い、メロディを楽譜にし、コードをつけてやった。彼女はそれで弾いて楽しんでいた。
その後、どこやらでかポールモーリアのいろんな曲のピアノ譜を見つけてきて言ったのが、「『涙のトッカータ』、アンタの書いたのと同じだった」。やったね!

↓ のトア・エ・モアも…。

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# by luehdorf | 2012-02-27 23:14 | 音楽 | Trackback | Comments(4)

やはりね…

読売新聞の朝刊に、「日本数学会」とやらが、大学に入学したばかりの学生6,000人ほどで行った数学の調査の結果が載っていた。
やはり、である。
平均の原理が分からないものが24%。「偶数と奇数の和が奇数になる」ことを論理的に説明(2種類の文字を使えばいい)できないものが80%超。線分の3等分点を求める作図問題にいたっては正答率が4%なのだと…。
’02年からのいわゆる「ゆとり教育」でこうなった、という論調が見られたが、兆しはもっとずっと前にあった。
まず、「共通一次試験」の導入。これでマークシート方式が採用され、数学が結果重視の科目になってしまった。
そもそも数学はどんな風に考えたかという思考過程を見る科目で、結果すなわち答えは「付属物」である。筋道立った考え方をすれば正答にたどり着くのは明らかなのだから、計算をミスして解答を間違えたってきちんと部分点を与えるものなのである。ましてや、解答だけがポンと書いてあるだけなら、それがいくら正しくたって点数なんかやれるものではない。
たとえば、8-4×1という計算。四則の混合算においては掛け算・割り算を先にやる、いわゆる「乗除先行則」があるから、8-4×1=8-4=4とするのが正しい。ただこの計算は乗除先行則を無視して、8-4を先に計算した、8-4×1=4×1=4でも正答にたどり着いてしまう。
以前、中1のテストにこれと同工の問題を出し、計算規則を無視しても答えが同じになるようにしたことがある。どれくらいだったかは忘れたが、かなりの人数が乗除先行則を無視していた。
そうやってバツにされた連中が、「先生、これ答え合ってるんですけど」とやってきた。「答えは、お前さんたちのようにルールを無視しても同じになるように作ったんだよ。この問題は答えを見るんじゃなくって計算過程を見る問題なの…。答えが違うように出題したら、君たちの方法で正しい解答にたどり着けたって言える」でチョン。
いろいろ探ってみると、小学校に問題が多いように感じた。
まず、小学校教員養成課程をもつ私大は、入試で数学が必修でない。そうすると、「一般性」を重視する高校数学でこぼれた連中でも合格でき、教科教育法を無理やり取ってしまえば免許が下り、採用試験を通過すれば「先生」になってしまう。その後は、訳も分からずに教師用指導書をそのまんまなぞるだけ…。
教える側が分かってないんだからきちんと伝えることなんかできるはずがない。
分数の加減で通分する必要があるのはなぜなのか?という問いに、ちゃんと解説できた方がほとんどいなかったのだから…。
だから、小学校教員養成学部を持つ大学は、入試で数学(現行のⅠA範囲でいい)と理科(少なくとも1教科)を課すべきだと思うのだ。
また、大学側の事情による入試制度の多様さも問題があると思う。推薦制度しかりAOしかり…。
昨年まで一緒に仕事をしていた数学講師。首都圏の某大学で非常勤をやっている。理学部の数学科だというのにベクトルを高校で履修していないのがいるのだと…。
「そこってさ、AOとか推薦でほぼ100%近く採ってるんじゃなかったっけ?」。「何で知ってるんですか?」。「だって大学のレベルに比べて、一般で不合格になるのが結構できるヤツが多いから…。だから『あそこは滑り止めになんないよ。受験料がムダ』って言ってるんだ」。
教員採用試験の対策はきちんとやっているようなので、公立の教員になれるのがいるそうなのだが、県の教育委員会から「指導力が足りない」と大学にクレームが入ったとか。ボクは県教委の採用試験の方式に問題があると思うのだが…。
記事の後半では、企業が採用に際して、AOや推薦、あるいは帰国子女枠などで大学に入った連中を外すという対策をとっている事にも触れていた。そうなるだろうなあ。ミョーなのを採用したらドブにカネを捨てるようなものなのだから…。
対策は簡単なことだと思う。すべての試験を択一やマークシートをやめて記述式にすることなんだ。すべての科目をそうすれば、単に知識を詰め込むだけの勉強に意味がないってことが分かってくるはずだし…。
そういえば、昨日、一休みしに入った喫茶店で、運転免許の学科のテキストを開いていたネェちゃん、ページのほとんどがマーカーで赤く塗られてたっけ…。それってマーカーの無駄遣いだよ。いらないところを真っ黒に潰しちゃう方が労力が少ないと思うんだけど…。

今日の1曲はこれ…。

白鳥さんの透明感のある声、好きなんです。そしてボッサだし…。
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# by luehdorf | 2012-02-26 01:33 | いろいろ | Trackback | Comments(5)

別れのサンバ

’69の夏頃だったろうか、夕食を食べながら見ていた音楽番組で驚いた。おフクロはもう知っていたようで、「この人、目が見えないのにスゴイんだよ…」と。
確かに凄かった。
ギターのテクニックもそうだけれど、感性も…。最後のフレーズ、「あなたの愛したこの髪さえ今は泣いてる」って、19歳の男の感性なの?
翌年、上京して学寮に入ったらHさんという“音楽の天才(?)”がいた。「軽音楽同好会」の“影の黒幕”とかで、渋谷のクラブでバンドのバイトをしていて、体操の練習に忙しいボクとは初めは接点があまりなかった。
ある休日、「ハッシー、お前さんギター弾ける?」と聞かれ、「コードなら少しばかり叩けますけど…」と言うと、「じゃ、これで…」とコード譜を渡された。「リズムは『タッ、ターン』の繰り返しでいいよ」。
Gmから始まるコード譜通りに弾くと、Hさんはフルートを取り出してこちらのギターに合わせて吹き始めた。
ハービーマンの“Coming Home Baby”だった。
1度通した後、「1ヶ月で何とか聴けるようになった…」と…。フルートを始めて1ヶ月だというのである。マジかよぉ~であった。
そんなHさんが、「やっぱり『別れのサンバ』くらいはやれるようになった方がいいぜ」と。「あれ、難しいでしょ」と言うと、「レコードをしっかり聴いて音をとってごらん」。
体操からドロップアウトする頃からやってみた。イントロや間奏での音、曲中での指使いなどがいくらか分かり、完コピではないが“らしき”音にはなった。
ただ、長谷川さんはカポなしCmなのだがこちらは3カポのAm(カポなしではとても指が届きません!)。
そのときに聞いたのがこれである。

その後、Hさんとは部屋でよくガチャガチャとやったものだった。時にはHさんの高校同期のSさんが、一升瓶とともに乱入してきて、3人で酔っ払ってまで…。

最近、仕事の合い間にYou Tubeで見てみると、もはやマネなんかできないギターになってます。

(もっと音やバックのピアノのいいのがあったのだが、「埋め込み不可」になっていた)
それにしても凄い。

面白かったのはこれ。

坂崎氏が珍しく臆した感じなのが微笑ましい。

今度久しぶりにやってみようかな…。
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# by luehdorf | 2012-02-24 00:03 | 音楽 | Trackback | Comments(8)

早2月…

正月早々にゴタつくことがあり、その後は仕事が忙しく、あれよあれよという間に2月になってしまった。
昨年来いろいろ“お勉強”したことをまとめて書きたいのだが、それはまた次の機会ということで…。

先日、夕刊紙を読んでいたら『1箱1000円のタバコ…』という記事があった。『The Peace』という、ピースの究極型なのだとか…。
自販機やコンビニには置かず、いわゆる「タバコ屋さん」の店頭でのみの販売だという。
飼育係の勤務先の隣には、見たこともないタバコまで置いている店がある。出向いて聞いてみると「ある」という。早速手に入れた。
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これがそうで、ずいぶんと大きい。
中はハードケースで、1本の長さは100mm。
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昔、缶入りのピース(両切り)を喫っていたのだが、タール23mgの威力はすさまじく、指は黄ばみ、痰がひどくなってメンソール系に変えた。でも、バージニア葉の香りが忘れられずに、時折両切りを買ってはいた。
今度のはフィルターつきではあるが香りはしっかり楽しめる。タールは10mgということだから、普段喫っているのと大差はない。でも値段が値段だから、家で気分転換するときのためにでも置いておこう。
新聞によれば喫煙者率が20%程度になったという。様々な形での世間からのバッシング、さらにはお上からの増税という“不当”な弾圧が喫煙者減少に拍車をかけたのであろう。
でもヘソがあさっての方向を向いているボクは、少々調子が悪くたって“タバコはやめない”という意思を固くした。一昨年の増税後には一日の消費本数が増えたのだから…。
アルコールとカフェイン、そしてニコチンに依存して世にはばかっていくつもりだ。
ちと遅くなったがこれが「年頭の誓い」(笑)。

ついでに先週末に出かけた際の富士山画像を…。
富士川のSAで…。
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韮山から熱海に抜ける峠で…。
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今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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# by luehdorf | 2012-02-02 00:35 | いろいろ | Trackback | Comments(12)

還です…

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N様のブログみたいだなぁ~(笑)。
ピントがうまく合ってくれない。

午後、仕事に出向いたら、No2のI氏と若いO君が、「ハッシー、これ…」と細長い包みを出す。
「えっ?」。「誕生日、しかも“還暦”でしょ。ささやかに用意させてもらいました」と…。
びっくりした。
ありがたく頂戴して我が領土へ向かうと、今度はチョコレートが3箱。
ロッテの『ラミー』が2つと『バッカス』が1つ。これはもっと若い連中からの、やはりメッセージつきで…。

うれしいものですね。
明日は休みだからのんびりと飲らせてもらうことにします。

この仕事場、一昨年に前任者が突然辞め、八方手を尽くして人探しをしているとき、知人を介して何とかならないか?と連絡をしてきた。
こちらの空いている曜日を知らせると、合わせるからすぐに入ってくれとのことで、世話になるようになった。
呑ん兵衛のI氏は、「一番困っているときに助けていただいて…」と一席設けてくれ、さらにこんなプレゼントまで…。
ボクからすれば空いている時間を埋めてくれた“有難い所”と、逆に感謝しているのだが…。

お互いに大事にしあっていけば、もっとよい仕事ができるだろう。大切にしよう。

“赤”っていうのは、“還”にかけたO君の茶目っ気だろうなぁ~。
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# by luehdorf | 2011-12-24 20:26 | 酔っ払い | Trackback | Comments(14)

還イヴ

あと4時間足らずになってしまった。
ちょうど30年前の23:45を思い出す。「鳥かつ」で、短冊の上の時計を見上げて「あと15分で“三十”になっちゃうよぉ~」と言いながらチューハイを飲んでいた。
そのことがついさっきの出来事のように思い返せるのだ。

幸いに仕事が早く終わった。
23:45まで「鳥かつ」にいて、「あと15分で“還暦”になっちゃうよぉ~」ってやってこよう。
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# by luehdorf | 2011-12-23 19:57 | 酔っ払い | Trackback | Comments(2)

ハッシーの体操教室(運動力学の観点から…)

伸膝前転というマットの運動がある。前回りをする際、膝を伸ばしたまま立ち上がるのである。これ、結構難しいもので、小学校時代、「膝の脇に手を着け!」とか言われた。でもうまくやると手を着かずに立ち上がれるのである。
大学時代の体操実技のとき、指導者は金子明友といって、ヘルシンキオリンピックの代表になった方。当時はFIG(世界体操連盟)の技術部長かなんかやっていたのではなかったか。とにかく、技術論では世界ナンバー1の人だった。
言われたことはただひとつ、少し速い前転をやってかかとが着く瞬間に上体を開き気味に起こしてしまえ、と。体操経験者の何人かがやったらあっさりとできた。肝心なのは上体を起こすタイミングで、それさえつかまえられれば誰にでもできるのだ。
先生の説明は力学そのもので、回転のモーメントを前向きの力にしているのだから、上体を開いてやや後ろに起こせば合力は上向きに働くのだ、と。その合力が上向きになるタイミングのつかまえ方だけがキモ。
目からうろこだった。
実は跳び箱だってそう。普通に足を開いて跳ぶ開脚跳びでいい。
まず、上にドンと乗ってしまうコは、走ってきた勢いを踏み切りの前で殺し、さらに踏み切りが前にかからないからちょうど跳び箱に乗ってしまうのだ。こういうコには跳び箱なしの状態で踏み切り板を踏ませ、両足踏み切りでできるだけ遠くに跳ぶ練習をさせる。
次が着手。これ、ほとんどが前にいこうという意識があるものだから、またの下で手を掻くようになる。これがダメ。実は意識としては走ってきた方向に突き返すようにするのだ。そうすれば先の伸膝前転と同様に上向きの合力が働いて上体が起き、足が入ってくることでスムーズに着地に持っていけるのだ。
意識と身体はなかなか連動しないから、突き返しができないことで前にのめることが多い。そこが分かってくるまでは指導者が跳び箱の先に立って肩を支えてやれば危険はない。
高校時代、物理は苦手な教科のひとつだったが、こんなことから力学的な見方の必要性を感じたものだった。
鉄棒の車輪は典型的な単振動の延長。振幅を大きくしていくうちに腰を少し曲げ(これを腰を「とる」という)、半径を小さくしてやることで鉄棒を越えて回るのだ。腰をとるときには体を締め(力を入れて緊張させるんですな)、上方から下りてくるときには腰から下を緩める(これを「抜き」という)ことで半径を大きくする。この「抜き」と「締め」が体操やる上でのひとつのキモと言える。
円運動をしている物体の支えをとると接線方向に飛んでいく。これが車輪からの宙返りの基本原理。高さを必要とするには離れるときのスピードが関係するから、最後の車輪では振り下ろしのときに腰のとりを大きくしていきなり抜く。そのタイミングが合えば前上方に雄大に宙返りできるのである。
ところがこのタイミングが問題で、ぴたりと合ってしまうと高さは出るのだが回転のスピードは落ちてしまう。だから2回の宙返りはいいのだが3回にはちと苦しい。そこでかつての3回宙返りは、両膝を思い切り開いて体の回転半径を小さくすることで回転スピードの不足を補っていた。
今の技術を見ていると、下りに入る前の車輪が極端な横楕円軌道を描くさばきになっている。これは真下を通過するときの半径を小さくすることで円運動の回転速度を上げようとすることがひとつ。もうひとつは手を離すタイミングをわずかに早くして、このタイミングのずれで宙返りの回転速度を速めようとしているようなのだ。この技術の開発がなければ、伸身の月面や新月面の誕生はなかっただろう。ただ、このわずかに早い手離しは、覚えたての人間が失敗して飛ばされるときと同じなので、知ってるものが見ているとちと怖いときがある。
こんな感じで力学の観点からいろいろと論ずることはできるのだが、生身の人間がやっていることなので難しいことが多々ある。
ひとつは空中に浮いた時点でのいらぬ身体の緊張である。これは回転を殺すひとつの要因になる。どちらかといえばリラックスしてそれまでの流れに身を任せてしまえばいいのだが、支えのない状態であると瞬間に緊張するのだ。これは繰り返しやることで慣れを生じさせるしかない。
高校2年の夏の合宿、同僚が吊り輪で2回宙返りをやれと言われた。ボクが伸身宙返りの1回ひねりというC難度の下り技をやっていたのだが、ヤツは鉄棒の下りで後方宙返りをやるのにひねりが苦手で、吊り輪ではB難度の下りしかもっていなかったからだ。
厚い補助マットやら補助ベルトなどを用意して練習が始まった。さすが宙返りの感覚はいいヤツだから30分ほどで形になってきた。そしたら3年の先輩とコーチに来ていた大学生の先輩が、「お前もやれ」と…。
いやでしょう。「オレ、ガンツ(1回ひねり)を持ってるからいいですよ」よ言ったのだが、「メシを食わせないぞ!」。何ということを言うのだろうか。メシを食いたさに補助ベルトをつけてぶら下がった。そしてなるようになれって夢中で離して膝を抱えた。何とか足から着地していた。
「いいじゃん」とか言われ、何回かやると補助ベルトなしでいくようになっていた。そして気づいた。離すときの指の感触で、「早かった!抱えてよう」とか「少し遅い、早く開かなきゃ」と回っているうちに判断できるのである。そして、回転中に瞬間に目に入るマットや天井が、着地をとるときの助けになることも…。
結局は試合では使うことがなかった(だってボクの後方伸身宙返り1回ひねりは、仙台の大学生にベタほめに褒められるほどよかったし、3年になったときには単発で2回までひねってたんだから…)けど、とてもいい経験をした。
身体をリラックスさせながらもつま先は緊張させて伸ばしておく。こんな生体の反射をぶっ壊すことに心血を注ぐのが器械体操なのですが…。
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# by luehdorf | 2011-12-07 01:40 | スポーツ | Trackback | Comments(10)

大きなお世話…

福岡国際マラソン、生で見ることはできなかったがニュースで見て驚いた。
川内優輝がまた日本人でトップ!
一昨年、箱根の山下りで学連選抜のメンバーとして走るのをチラッと見て、「学習院にこんなのがいるんだ」と思ったっけ…。そして今年の2月に東京マラソンで3位、大邱の世界陸上の代表になってしまった。
仕事を午前中だけやって後はトラックやロードを走ってる、アマチュアとは名ばかりの連中とは異なり、公務員の仕事をきちんとしながら練習時間を工面しているランナーだ。
本人が言う、練習時間が絶対的に足りないから、休日にレースに出ることでその不足分を補っているというのは理にかなっていることだと思う。それをまた、陸連のマラソン部長(大塚製薬の監督?)だとかが難癖をつけている。「レースを走り過ぎ」だとかさらには「タイムがどうたら…」と…。
おいおいちょっと待て、きちんとしたスケジュールでレースに合わせてきたはずの、テメェの子飼いの連中の不甲斐なさに対する反省はなしかよ。コーチもトレーナーもついていない環境で、手探りでそして自己流でここまでやったヤツをまずは褒めろって…。さらに自分らのやり方のどこかに綻びがあるんだってことにも気づかなきゃならないだろ…。
川内君のトレーニングの様子をTVで見たけれど、普段はクロカンを取り入れているようだ。不整地を走ることでバランスを崩したりすることへの対応を体に覚えさせることができるし、自然なインターバルトレーニングとなっている。女子のチームでこれを取り入れているところがあったけど、トラックでのタイムアップに繋がっていると聞いた。
大体、陸連って、駅伝やら何やらのブームで、岸記念体育会館に入っている団体で一番金のあるところでしょ? だったら、川内君に専属トレーナーでもつけてやってもバチは当たらないと思う。
本人の意地なのだろうが、あくまでも一人の“市民ランナー”としてオリンピックを目指しているようだが、それはそれで面白い。エライさんが余計な横槍は入れてはイカンと思う。
かつて女子マラソンがブームになり始めた頃、たった1回だけいい記録を出した若いオネェちゃんをオリンピックだとか世界選手権に出して何度失敗し、そしてそのコたちを潰してしまったのか?(あの頃いろいろ言ってたのは、メルボルンの三段跳び代表の小掛照二さんだったなぁ。去年だかになくなったか…)
川内君のメンタルはすごく強いように感じる。そして愚直なまでに一本気である。メダルなんて余計なことは言わずに、今回の結果だけで代表にしてやればいい。それは近代オリンピックの祖、ピエール・ド・クーベルタンの言ったこと、「オリンピックは参加することに意義がある」そのままであるからだ。
走る、跳ぶ、投げるという最も原始的なスポーツである陸上だからこそ、彼のような“一般人の代表”を産み出せるのだとも思うし…。
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# by luehdorf | 2011-12-06 17:16 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

安全に…

2月にサイクルコンピュータを導入し、11月28日で総走行距離が2274kmになった。旧メーターの不具合で5,60kmほど少ないのだが“消費税”以下の誤差だから無視してもいいだろう。
自転車乗りを再開したのが昨年9月で、今年1月までの5ヶ月はメーターなしで走っていたのだが、週当たりの走行距離を計算してみると少なく見積もっても1000kmを超える。1年3ヶ月で3000kmを走れたのは間違いないだろう。

itsukiさんや呑むさんがいろいろと案じてくれるので現状を詳述してみたい。

まず、四半世紀前と比べて“コワイ”のは「自転車」なのである。道路の右側を平気で逆走してくるヤツ、歩道から後方確認もしないでいきなり車道に飛び出してくるヤツ、脇道から一時停止をしないで右折してくるヤツ…。そしてとにかくひどいのがケータイをいじりながらとかヘッドホンをつけてとかの連中(これは当然のことながら四半世紀前にはいなかった)がやたらと目につくことなのである。
今、ピストレーサーがやり玉に上がっているが、本当のところは上に挙げたような輩の方が数が多く、一番厄介な存在なのだ。
それに比べたら車はずいぶんとマナーが良い。こちらが守ることはただひとつ、「明確な意思表示」である。
車での「意思表示」には、ウィンカーはもちろんのこと、クラクション、前照灯のオン・オフあるいはパッシング、ハザードランプと様々あるが、自転車も後方の目視をきちんと行うことと手信号による「意思表示」で立派にコミュニケーションがとれるのである。
それらを励行していると反応が良いのがタクシーである。昨今、ドライブレコーダーが搭載されているから、きちんと距離を置いて手信号を出している自転車に突っかかったなら自分が全面的に不利になることが分かっているのであろう。
路上駐車の車を避けるために右に寄るとき、アクセルオフにしたとはっきり分かるのがタクシー(これに加えて大型トラックも結構好意的である。エンジン音が下がるのでよく分かる)で、通過後に直ちに左へ戻り、脇を抜ける瞬間に右手で軽く御礼の挨拶をすればOKなのである。時として左手で“了解”の挨拶をしてくれる運転手もいる。信号待ちの車の前に出るときも同じ。きちんとアイコンタクトをとってから前に出る旨を手で示せばうなずいてくれる。
要は「お願いね」という気持ちをきちんと伝えればいいのである。でもこれができている自転車は10%にも満たない。その数少ない「仲間」と同じ道を走るときにはとても楽しく走れる。
夏前のこと、青梅街道を新宿に向かっているときに前を行く自転車に追いついた。きちんと手信号を出しているのでそのままついて行き、路駐の車を避けようと後方確認をする際に、先に後ろでブロックをして「後ろOK!」と声をかけた。彼は右手で“ありがとう”の仕草をし、以降、同じ状況のときに「OK」を繰り返し、快調に新宿西口まで走った。直進する彼と代々木方面へ抜けるボク、最後の交差点で「後ろで楽させてくれてありがとう」と声をかけると、「こちらこそ後ろを見てもらって…」と笑い返してきた。
路上で行き交っただけなのに、この短い会話で疲れが吹っ飛ぶ楽しい思いに包まれた。
自分勝手に走っていたら事故を誘発するだけなのである。自転車に乗るならまず、そこのところをきちんと考えるべきだと思うのだ。

警察もヌルい。立ち番のお巡りまはるで“墓石”か“記念碑”で「立ってるだけ」ある。
踏切で警報が鳴り始めたから止まった。そこをジーさんの乗った自転車が右側走行で渡ってきた。目の前を通過されてもウンでもスンでもない。
「ねえ、お巡りさん。何で今の自転車の逆走をきちんと注意しないの?」と声をかけた。そこで「あっ」と気づいたのだろう、しどろもどろしてまともな返答は返ってこない。「大体さぁ、踏切の中の“グリーン”の帯の所は自転車が走っちゃいけない部分じゃないか。そこを走ってきてんだぜ」と続けた。「あっ、でもあそこは“歩道”ですから…」。見事に引っかかった。「君は“税金泥棒”って言われても仕方ないな。あそこは『通行可』の歩道ではないはず。多分向こうにある標識の下の補助標識に『ここまで』があるはずだよ。だからそこの“グリーン”を乗ってきた自転車に君は赤切符を切らなきゃいけないんじゃないの?」…。通行人がニヤニヤして見ているから、「勉強して」とだけ言っておいたが…。
巣鴨へ出向くのが週に一日になったから見なくて済むようになったが、板橋警察署の警察官の自転車の乗り方のいい加減さにはあきれた。
目の前で信号無視して左折、追いかけて行って「信号無視!」と言うと、「自分の認識では…」とか言う。「じゃぁ信号が赤でも『自分の認識』でOKならいいってこと?」と聞いて、やっと「申し訳ありません、気をつけます」。
夜、ライトが右側を走ってくる。こちらが避けずに左を行くと、柵で仕切られた歩道(これ「自転車通行可」ではありません)に入り込んだ。近くに来てよく見るとお巡りだから、「どっち走ってんのよ」と言うと、「いや最初から歩道を…」とか意味のない言い訳をする。こちらのライトが見えてから入った(向こうが街灯の下だったからよく見えた)ことをまずきちんと認めさせてから、「この道のどこに『通行可』の標識があるのか、当然言えるよね」と続けたらもう答えられない。だってありっこないんだもの…。
きちんと市民に教えていかなければならない警察官がこの有様だから、まともな自転車の乗り方が普及するなんて夢物語としか思えない。
とにかく対自転車のもらい事故だけは食わないように注意していく。6月の事故で、“アブナイ”車の判別の能力もついたみたいだし、車に対してはきちんと挨拶をして共存のお願いをしながら…。
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# by luehdorf | 2011-11-29 00:55 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

原点回帰…

高1の生物の授業、細胞分裂の際のDNA複製について、「これは新しい指導要領で入ってきたことなんだけど…」と、染色体中のDNAの“二重らせん”構造、そしてDNA塩基であるアデニンとチミン、グアニンとシトシンの“相補的結合”による複製の仕組みについて教えられた。
そのときは、「へえぇ~、うまくできてるもんだ」と感じたのだが、分子レベルで生物を見るということに違和感があり、深く突っ込もうとしなかった。だって、「生物の最小単位は細胞」と習ったのに、分子ってのはそれより小さくて非生命体なのだから…。
この傾向は「動物生態」の研究室に潜ったことでさらに強くなった。生態学は分子生物とは逆にマクロに見るもので、種すら無視して生態系中の役割でカテゴライズする。たとえば生産者、消費者っていうように…。これがとっても性に合った。だから「分子生物」とは距離を置いてきた。
10年とちょい前、仕事の関係で「高校生物」と向き合う必要が生じた。生理や生態はいい。しかし、発生や分子は…。
まず、発生。高校のときもそうだったのだが、なぜにウニの発生を拡大した図で細々と追わなければならないのかが解せなかった。だから「ウニは『発生』の過程よりも成体の精巣や卵巣の方が重要だ」とか「ウニの採れない長野県や山梨県の連中には入試で不利だ」とか言い続けていた。
分子については上述したように、「分子は生物じゃない」と…。
しかし飯のためにはそんなことは言ってはいられない。何か興味を惹くものがないかと考えつつ自学を始めた。少しずつ目を開かされることが生じてきた。
発生ではシュペーマンなどの技術についてだった。イモリの受精卵での移植では、あんな小さいものの特定の部分を切り取って別の卵へ植えるという作業がどれだけ困難なものなのか。高校時代、テキストなどには大きく示されているから気づかなかったが、改めて見てみると凄いことをやってたんだと感じさせられた。
分子については、かの福岡伸一大先生が「生物学史上最もエレガントな実験」と称する、メセルソンとスタールの実験手法をなぞったときだった。
DNA複製に関しては、「二重らせんがほどけて一本鎖になり、分かれたそれぞれが鋳型となって新しい二本鎖ができる」という、いわゆる“半保存的複製”が行われているのは今や常識だ。しかしワトソンとクリックが“二重らせん”の仮説を発表した後、複製の仕組みに関しては、二本鎖がそのままコピー元となって新しい二本鎖が生じる「保存的複製」やDNAがランダムに切れてそれが複製される「分散的複製」ってのだって考えられるよね、っていうことから、「半保存的複製」が行われていることの証明が必要になったのだ。これを何ともすばらしい方法で解決したのがメセルソンとスタールで、1958年に窒素の同位体を使ってあっさりと証明してしまった。神戸大学の入試問題(確か’00年)にこの実験の手順をなぞる設問があり、それを解いていて「これすごい!」と感じ、分子生物にハマることになってしまった。
とにかくこの2人がなぜノーベル賞をもらえなかったのかが疑問に思えるくらい“カッコいい”ものなのである。
以降、’70頃からこっちの分子生物の流れを必死で追いかけた。あまり夢中になって夜中遅くまでやっていると、目を覚ました飼育係に、「受験生よりも頑張ってんじゃないの?」と励ましなのか皮肉なのか分からない声をかけられることもあった。
先日、本屋の棚を目で追っていると ↓ があった。分子で生物を見ることの、いわば原点である。福岡氏が仰る「ウラ」については述べられていない(当たり前か…)ものの、あの仮説に達するまでの“産みの苦しみ”みたいなものは、「合コン」の合間もDNAの虜になってたんだというような筆致のわずかな隙間から感じられた。
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そして次の課題はC.ダーウィンの『種の起源』である。
これはずっと以前に岩波の八杉先生の訳を読んだのだが、どうにもつらい作業だった。そこで、あるところで原著第5版のぺーパーバックを見つけ、辞書を片手に取り組んでみたものの、ダーウィンの文章ってのは回りくどくって分かりにくい。訳が悪いのではないのだということを30ページほどやって気づき、放り投げてしまった。
最近、池田清彦さんがどこかで、「大体において、生物学者でもダーウィンをちゃんと読まずに『種の起源』の中身はあぁだこうだと言ってる場合が多い…」と書いているのを見て、生物学者ではないがまるで自分のことを言われているような気がしてしまった。
幸いに光文社から新訳が出ているので、まずこいつをやっつけようと思っている。
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# by luehdorf | 2011-11-22 01:22 | 読書 | Trackback | Comments(11)