「ほっ」と。キャンペーン

やったね!

午後9時過ぎに帰宅すると、ニュースを見ていた飼育係が、「とったよ。『iPS細胞』が!」と…。
汗にまみれたTシャツも脱がずにTVの前に座り込んだ。
先駆的なものとして『ES細胞』があるが、これは受精卵を用いることから生命倫理の観点で実用化は難しいと思っていた。でも、『iPS…』は体細胞がベースだからその辺りがクリアできる。心筋細胞に分化させることができれば、心筋梗塞で壊死した部分と置換できるし、神経細胞に分化させれば、事故などで神経損傷を起こして車椅子生活を余儀なくされている方々への、社会復帰の道を開くこともできる。事実、一昨年であったか、慶応で、脊髄を壊して下肢を不随にしたサルを、『iPS…』で自由に動き回れるまで治したという成果の報道があった。
分化の際に組み込む遺伝子の1つに、発ガン性があるということがネックになるかと思っていたが、いわゆる『山中ファクター』と言われる4つの遺伝子からそれを除いた3つの遺伝子組み込みでもOKだということで、いろいろな方面への応用が模索されていくのだろう。
確かに、ガンていうのは成長遺伝子というか細胞増殖因子の「暴走」、つまり細胞が増えてちょうどいい状態になったとき、「はい、ストップ!」という停止命令に逆らってブレーキが利かなくなって生じるわけで、分化において細胞が増えていくことが不可欠である以上、増殖因子の組み込みってのは「両刃の剣」なんだろう。
とにかくこれで、ドジョウだってお金を出さなきゃならなくなる。文科省の管轄だとか厚労省の仕事だ、なんていう縦割りはやめ、ホントにいいものにはどんどん金を注ぎこむべきだ。山中さんが自身の体を張り、マラソンなんかを走ってスポンサーを募るなんてことは辞めさせなくっちゃ。製薬会社だって創薬の期待がたくさんあるんだから、訳の分からん化学製剤開発の研究費を削って援助しなさいな。
今回は改めて基礎医学の重要性を認識させられた。

もう一つ眼を見張ったのは、同時受賞のガードンさん。高校生物の教科書にも出てくる『分化全能性』を証明した方だ。
アフリカツメガエルの未受精卵の核を除き、そこにオタマジャクシの小腸上皮細胞(分化の終わった細胞です!)の核を移植すると、少ない割合ではあるけれど、それからちゃんとしたカエルの成体にまで成長するのだと。
つまり生物の体細胞はみな、遺伝情報のセットをすべて持っていて、分化に際しては必要な部分だけスイッチ・オンにし、不要な部分は休ませている。だから条件さえ整えれば、そのすべての情報を引っ張り出してやれるんだよ、と世に示したのである。
これが1962年の発表。何と!50年後にノーベル賞受賞なのである。1973年だったか、コンラート・ローレンツ、ニコ・ティンバーゲンとともに受賞したカール・フォン・フリッツ(ミツバチのワーカーが蜜源を他個体に教える、いわゆる『8の字ダンス』の解明者)が発表後46年であったのが最長かと思っていたら、それをしのいだ。受賞の条件の一つが「存命者」だから、ガードンさん、本当にご苦労様でした。
でもこの方、今年79歳だという。ってことはあの研究は29歳のときに成し遂げたわけ?それはそれでまたとってもすごい。
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# by luehdorf | 2012-10-09 11:10 | いろいろ | Trackback | Comments(4)

オレンジ不発…

先月末、鉄兄ィから連絡があり、仕事の後に出向いた。
「やっぱりクモツキを飼育したいんだけどどうにかならないかなぁ?」。
10年ほど前に過労から眼をやり、また体力的にも不安を覚えている鉄兄ィは、フィールドへ出るのを控えて飼育に血道をあげている。
自らのネットワークを駆使して、ダレがこんなのを持ってるの?と思えるような産地のモノを飼っている。そして自分のところの食草のキャパシティを超えると、こちらにおコボレが回ってくる。と言うよりも、『コボス』ことを念頭において入手しているようなのである。今回は、まだ来ていないが、まぁGの仲間のひとつ(日本海の向こうのヤツ)の打診があった。
そんな話があればこちらも動かざるを得ない。手近なところで入笠を目指した。R158で釜トンネルの手前の梓川沿いなら確実な所があるけれど、飼育係同道での日帰りはちと辛いからである。(まぁ、ここは、来年以降、夜立ちでの強行軍あるいは1泊2日で行かなければならない所ではある)
入笠はこのところ「マイカー規制」がかかっている。調べてみると、GWの前から土日と祝祭日、7月以降は8月末まで毎日である。これが富士見からのメインルートでのことなのである。
そこで青柳から入った。この金沢林道、高遠あるいはR152方面からの林道とぶつかるまでダート道なのである。しかし、以前、GWの末期に下ってきたときに、ヒメギフがブワッと湧いてきてしばらく遊んだ記憶がある。今回は違った。T字路を左折して頂上へ向かおうとすると、ナビシートの飼育係が「ヒメギフじゃない?」と左を指差す。そう、車の前を道路右の伐採地の方へ翔ぶヒメギフが…。路肩に車を寄せて飛び出すと、カラマツの疎林の中へ元気にはばたきながら消えていった。
でも当初の目的は『オレンジ』なのだからとにかく上を目指す。そしてゲートの前に着くと、2年前と同じ看板が…。帰宅していろいろ調べてみると、相当にひどい崩落であったらしく、現在のところ、歩いて通過するしかないのだとか…。とすれば回り込んで旧長谷村(現伊那市)側からアプローチするしかない。日曜日だから工事は休んでいるはずで、行ける所まで車で突っ込み、そこから歩くことも考えたが、飼育係からストップがかかって断念。遅めのヒメギフ探索にシフトした。
まずは牧場の北門まで戻り、その脇の斜面に入った。いつも下から吹き上がってくるので、斜面を下ってサイシンを探す。傾斜が急になって両足だけでは支えられなくなる辺りまで下がるもなし。もっと下なのか。そこから30mほど下は枯れ沢になっていたが…。
登り返すと、道路に出る辺りに翔ぶものが見える。「あぁ、いる…」と駆け上がってネットをかぶせると、大分スレたオスだった。リリースすると、驚いたように斜面を下っていき、枯れ草色の中で静止して日向ぼっこを始めた。1時間弱粘るもこの1頭だけ…。
場所を変え、初めに目撃した地点に戻って周辺を探索。最近盛んに伐採をかけている所のようで、ずいぶんと開けている。作業路に沿って下りながらサイシンを探すが見当たらない。発生地は別の所なのか?まぁ、ここも来年のGW後半にでももう一度…。

行きのダートコースの途中にカモシカが立っていた。車に驚いて斜面に駆け上がってこちらを見ている。
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これはサルオガセの成長途上か?
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帰途、いつものように立ち寄った温浴施設での帰り際、ロビーで立ち番をしているオネェちゃんが大騒ぎをしていた。ハチが入ってきたと言うのである。
この時期でしかも夜だから、そんな大騒ぎをすることでもないと思って見てみると、ハチなんかではなくカミキリ。
ほうきを持ってこさせて叩き落すとキマダラカミキリ。「もらっちゃうよ」と言って手づかみして携帯灰皿に放り込もうとしたら「刺されますよ」と…。「だからぁ、ハチじゃなくてカミキリムシ」と言って顔を上げると、事務室との境の扉の所で若いニィちゃんが顔色を変えている。「えっ?K君もムシがダメなの?」と聞くと、情けない顔をして「ダメなんです」。
「何があったって、お客さんをそっちのけにして自分たちがパニくっちゃダメでしょ?」と言うと、恥ずかしそうに頷いたものだった。
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# by luehdorf | 2012-05-29 00:25 | チョウなど | Trackback | Comments(17)

一関市釣山公園

東北本線一ノ関駅の西方、1km足らずのところに釣山がある。標高100mにも満たないのだが、かつてはヒメギフの記録もあり、頂上でテリ飛翔をするオオムラサキにはネットが届かず悔しい思いをした。
今はどうなっているのかは分からないが、当時、ボクのよく使っていた入り口から登り始めると、程なく頂上方面と山腹を巻く遊歩道の分岐になった。
頂上方面に行く道の右側には、戦前に作られたプールが、使われることもなく大きな水溜りになっていて、ギンヤンマなどのトンボと闘うのに最適な場所だった。また、分岐の所にはネムが1本生えていて、花の季節にはアゲハ類が吸蜜に来るのだが、これも当時の竿では届かないものだから、指をくわえて見つめるばかりだった。
遊歩道は道脇に小さな水路が沿っていて、これがクロ、オナガ、カラスなどのアゲハ類の蝶道になっていた。よく座り込んで待ったのが、南が開けて太陽が射し込む所だった。それよりも奥に入った神社の辺りで、同級の女のコの兄ちゃんがアオスジアゲハを採った。松島まで行って採ったことはあったが、まさか一関で採れるとは思わなかったから、地方紙にデカデカと載ったのを見てうらやましかった。そのコに、兄ちゃんにいろいろ教えてもらいたいと頼んだら、教えてやるからおいでとのことだった。さぁてと思っていたら、高校の理科実験室で何をいたずらしたのか爆発事故を起こし、指を飛ばしてしまった。これは中央紙の地方版に載った。それでしばらく入院加療が必要とのことで、結局話が聞けないまま、年度末に親の転勤で転校していった。
遊歩道のマイポイントからは1軒の家が見えた。子供心に「あんな所と下を行ったり来たりするのは大変だろうなぁ…」と思っていた。
’74だったろうか、思わぬところでこの家と再会した。音楽関係の月刊誌をパラパラめくっていると、『NSP天野君の生家』とキャプションがついて写真が載っていたのである。「あれ?あそこだぁ…」。
とすれば、磐井川の河原までは遊歩道に下りてきて北へ4~500m。 ♪こんな河原の夕暮れ時に呼び出したりして…♪って、あそこだったのか。

呑むさんの『耶馬溪にて』のオナガアゲハ画像を見て、こんなことを思い出してしまった。

そして

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# by luehdorf | 2012-05-19 23:39 | いろいろ | Trackback | Comments(11)

甲州ヒメギフ

ヒメギフチョウ、宮城の実家からほど近いところで初めて採ったのが’67だった。
今はリンゴ農家をやっているSと、高校に進学したという昂揚感から、何のあてもなく自転車を走らせてたどり着いたらそこで翔んでいたのだった。
驚きもあったが、「こんなにもあっさりと採れるものなの?」という感が拭い去れなかった。そんな訳でヒメギフはたやすいという思いがあり、この30年余りはギフ一辺倒になっていた。
しかし世の情勢は“ギフ採り”には何とも愉快でない状況になってきてしまった。そして、あぁじゃ、こぉじゃとうるさく言われるのも気に食わないものだから、この数年は松本近辺でヒメギフと遊ぶのが常になった。
先日、長野からの帰りに思った。「甲州のヒメギフはまだ手をつけていない…」。
増富、櫛形山など有名どころの名は一応知ってはいたが、他はどうなんだろう?以前にどこやらで、「甲州のヒメギフは標高1000ンm以上の林道が…」とかいうのを見たことがあり、地図を見てみた。
合点したことが一つ。旧牧丘町から西、増富にかけては2000mクラスの山(金峰山など2500m超)を挟んだ北側が長野県。特に牧丘の北の川上村はヒメギフの濃厚な産地ではないか。ならば山の南側のこちらにだってベタにいてもよさそうなもんだ。
とりあえずは増富の東の木賊峠に東、すなわち甲府側からアプローチしてみようと思った次第。

結論を先に述べると、結果はnull。しかし、木賊峠の手前の観音峠への道すがら、地元のチョウ屋と思しき7、8人の集団がネットを拡げていて、話を聞くと「まだ出ている」と…。そして上述の「…標高1000ンm以上の林道…」説を確認すると、「ああ、それは言えるかも…」と…。
来春以降の楽しみがひとつ増えた。
さらに、越冬のキベリタテハを大分見かけた。切通しの陽当たりのよい斜面のある所はもちろん、大菩薩や入笠で“当たり場所”だった「橋」でテリを張るのも3ヶ所ほどで…。
昇仙峡の奥の“奇岩”の景色が気に入った飼育係が「また来ようよ」って言ってるから、キベリの盛期に出向こうかと思っている。

実は今回、不精をして地図でのルート確認をしっかりとせず、ナビを利用しようとした。これが失敗の元で、“おまかせ”にしたら、やたらと高速に誘導したがる。それに逆らって“リルート”を繰り返していたら、こんどは轍はあるものの道の真ん中には丈の高い草が生えている(明らかに1年近くは車が通っていない)道へ誘導しようとする。そんな道には助手席の飼育係が難色を示す(当然か…)から、そこもナビを無視して別ルートへ…。
そんなことを繰り返しているうちに“リングワンデリング”をしてしまい、結局一度下へ降りるはめに…。この時間ロスが1時間半ほど、これが痛かった。帰宅して地図を確認すると、すべてナビの指示を無視していれば最短で木賊峠に着いていたようなのである。
それを話すと、「今まで機械に頼らずにやってきてうまくいってたんだから、今までどおりにやればいいってことなの…」と飼育係に諭された。下調べは綿密にやらなくては…。

ということで、撮ったのは…。

初狩PA(下り)からの富士山。今の季節にしてはすごくきれいに見えた。
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こんな風にスミレもきれいに咲いてました。(上ってきたヒメギフが日向ぼっこするには好適と思える場所で…)
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(どうも近いのはピンがうまく合わない。老眼鏡が必要か…?)

入笠ではこんなヤナギで吸蜜してたっけ…。
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木賊峠から望む富士山。
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帰りに下っていたらいきなり八ヶ岳が見えました。
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# by luehdorf | 2012-05-15 01:11 | チョウなど | Trackback | Comments(6)

新東名

先週、“ミッションGⅢ”の帰途、静岡に湯治に来ている飼育係と合流した。汗を流してさっぱりした後、マッサージの受付に行くと、飼育係がいつもお願いしている方が2名ともいない。お一方は休みでもうお一方は体調不良で早退したと…。そんな訳で少しばかり不満足な思いを抱えて東京へ帰ってきた。
そして昨朝、「どうする?」となった。山梨と静岡のどちらに出向くかでである。飼育係は距離の関係から山梨でいいと言うが、ここのところずっと気になっていた『新東名』が開通したばかりだから走ってみたい。「静岡!」と宣言して家を出た。
東名自体はいつもの休日よりもずっと空いていて走りやすい。御殿場ICを過ぎていよいよジャンクション。ナビシートの飼育係が「速いよぉ~」とボヤキながら撮ったのがこれ…。
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その後、駿河湾沼津のSAに入ろうとしたら、何と入り口渋滞が2km以上。最後尾には公団の黄色い車がハザードランプを点滅させている。前者と一緒に空いた所に潜り込む。そこから1時間あまりツゥー、ペタッの繰り返しが続いたから、停まっているときに周辺を運転席から。

起点がどこなんだろう?
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ここまでおよそ30分。まだ余裕でしたけどね。
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駿河湾が見えた。
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あと少し…。
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何とかSAに車を入れて建物に入るとごった返している。それで気分はずいぶんと萎えた。昼食をどうするかで、ボクは弁当(おいしそうな「いなり寿司」があったから…)を買って外で食べることを主張したが、飼育係はそばを食べたいという。それで彼女が「桜海老のかき揚げそば」、ボクはいつも通りに「もり」。
これがまた時間がかかった。コールがあってカウンターに行くと、そばにネギが入っていない。「ネギはどこ?」と問うと、「今日はネギが切れました」と…。そっちはネギが切れたかもしれないが、こっちは気分がキレた。「そばをそれだけ用意したら、ネギがどれだけ必要かプロなら分かるだろう。普通ならネギがなくなった時点で店を閉めるもんだ」と毒づいてしまった。これがうまけりゃいいんだがまずくって…。とにかく温つゆがやたらと甘い。そばに根性がない。これなら都内の駅の周辺にある、立ち食いの「富士そば」や「吉そば」の方がずっと上である。さらには人のいっぱいいるところでTV朝日が撮影を始めたために雑然としてくるし…(よゐこの濱口とギャル曽根がいたみたい…)。

ほうほうの体で逃げ出して外へ。ロケーションはとてもいい所で景色は楽しめた。
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対岸は伊豆半島?
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トンネル内は照明の照射方法を変えたとかで明るくて見やすい。さらにアップダウンやカーブの少ないのも確かだ(自転車で走ってみたくなったくらい…)。
でも半年くらいは他でもSAなんかがムチャクチャに混んで大変だろうなぁ~。
そして仮にこのSAに来ても「S井のそば」は絶対に食べない。
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# by luehdorf | 2012-04-16 16:12 | いろいろ | Trackback | Comments(8)

アーモンド

アーモンドの花が咲いた。
四半世紀ほど前、400円分の切手を送るとアーモンドの種をくれるという、アメリカのアーモンド会社の企画があった。少しばかり興味があったから迷わずに頼んだ。
1年目と2年目、マニュアルには「外殻を金づちなどで叩いて割れ目を入れて植えろ…」とあった。しかしこれが難物で、力加減がうまくいかない。この辺でと思って少し強く叩くと中の種子ごとグシャっとつぶれてしまう。それでみんなダメにした。
3年目、「水に浸して充分に吸水させてから植えろ…」と。そうして3週間ほど経ったとき、変な芽生えが生じていた。マニュアルでは「発芽まで6週間ほど…」と書いてある。それじゃ土に混じっていたなんかの種から生じた芽生えだろうと思って引っこ抜いた。その先には変色した外殻がついていた。
4年目、前年の失敗を糧として慎重に育て、秋の終わりには30cmほどになっていた。「冬越しは室内がよい…」とあるから窓際の机の上に置いた。表土が乾くたびにきちんと水やり。実はこれが裏目に出た。早春、葉が枯れて落ち始め新芽も変色してきた。根腐れだったのである。
この4年の出来事がトラウマとなり、さらにはバラ科植物が「自家不稔」、すなわち同じ花の花粉では受精が起こらないというのを知って熱が少し冷めた。だから、近くの園芸店などで鉢植えを見つけても手に入れることはしないでいた。
昨年4月、静岡で見たローカルニュースで“おき火”に焚き木が入ってしまった。浜松市の公園で満開になったアーモンドの花の映像だった。
帰宅して調べてみると、アーモンドは他のバラ科に比べると「自家不稔」の傾向が弱いことが分かった。ネットを巡っていると苗木がある。販売元にメールした。「実つきを良くするには…」と…。そうするとヤマモモが同時期に咲くのでそれを併せて準備するとよいとの返事が返ってきた。
同じ時期に咲くバラ科といえば、我が家にはスモモがあった。これは飼育係の好みでアンズと一緒に手に入れたものだった。もちろんスモモ自体これまで一度も実を結んでいない。お互いのためにいいだろうと考えて“ポチッ”とした。
3日後に届いたのは想像よりも大きな株だった。切り詰めた主幹が1mほどで脇の枝が10本以上ある。早速大きな鉢に植え替え、過保護にならないように育てた。
東京辺りなら屋外で越冬ができるとのことなので、今シーズンの寒い冬も外に置き、表土にひびが入るまで水をやらなかった。
年が明けて2月、新芽の膨らみが大きくなってきたので生きていることが確信できた。そしてやっと咲いた。

開いたばかりのは中心部の赤が鮮やかである。
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開いて2日ほど経つと[中心部の濃い赤みがなくなる。
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これはパートナーのスモモ。うまくいくとこちらも今年は実をつけるかなぁ~。
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それにしてもピントが合わせづらい…。
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# by luehdorf | 2012-04-10 16:33 | いろいろ | Trackback | Comments(4)

宵っ張り…

最近でこそ明るい時間にいろいろとやれるようになったが、元来は完璧な夜型。
とにかく周りが明るかったらまるで集中できないので、受験勉強も深夜放送を聴きながら、手元だけに光を当ててやっていた。
ボクが聴いていたのはニッポン放送で、深夜1時からは当然『オールナイトニッポン』であった。(これ、公式には’67年10月に放送開始となっているが、’66年10月ではないか? 転校のためにまるで習わなかった“江戸時代”を苦労した記憶に、大好きだったパーソナリティ、常木健夫さんの声がハマっているから…)
その前の時間帯に聴いていたのは、『フレッシュイン東芝 ヤング・ヤング・ヤング』と『荒木一郎の星に唄おう』で、前者のDJは亡くなったマエタケこと前田武彦さん。一般から曲を募り、最優秀になったのが「今日も夢見る」だった。葉書を送れば楽譜つきの葉書をくれるというのでもらった。これより20年ほど後、仕事場の後輩でフォークやGSの好きなT君に、「こんなのあるんだけど…」って見せたら、「欲しいですけどガマンします。マニアに売れば絶対に葉書の値段の500倍以上(もらったときはまだ葉書が5円)になるはずです」と…。あれからさらに20年以上経っている。果たして今はどれくらいになってるんだろう。

この曲を歌った万里村後れいとタイムセラーズ、まだお元気に活動なさっているとか…。
後者は後々にいろいろと物議を醸すことをおやりになった荒木さんが、おとなしめに語り、そして曲をかける番組。テーマ曲だったのかなぁ、「梅の実」がすごく印象に残っている。楽譜起こしにハマッたとき、記憶を元にして作ったのがあるのだが、今聴いてみるとイントロがちと違っていた。

’69年になり、これらの裏で東北放送が独自の番組を立ち上げた。その中で、よせばいいのにリクエストでのランキングをやり始めた。
何せローカル局である。いたずら好きの高校生の餌食になった。どうも端緒は我が高校の仲間たちのようで、組織票(40枚も葉書を出せば1位になっちゃう)で校歌をランキング入りさせた。最初は「残念ですが音源がないのでかけられません」とかやっていたが、やがてベスト5が県内の高校の校歌になってしまってあえなくランキング自体が消滅した。
その末期に、“伊賀の影丸”という名前で、「昨今のF高校の学力低下は、校歌をランキング入りさせるために夜な夜な葉書ばかり書いている暇なやつらが多いことが原因…」とか書いて投稿したら、即読み上げられた。翌日、同じクラスの陸上部のEに、「ハッシー、昨夜のアレお前だろ」と…。「よく分かったな」と言うと、クラスノートに書き込むボクの文章のタッチと同じだと。さすが“文転”して正解になったヤツである。
最近は全く深夜のラジオを聴かなくなった。パーソナリティのラインナップを見るまでもなく、ゆったりと音楽を楽しむ番組ではなくなっているようだから…。
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# by luehdorf | 2012-03-23 02:32 | 酔っ払い | Trackback | Comments(12)

人為と天然の境界は…

朝のニュースで、小笠原諸島のヤギの駆除の話をやっていた。
あそこのヤギは移入されたもので、野生化して、世界自然遺産に登録された『固有の生態系』に影響を及ぼすほど増えてしまったから、それの保護のために駆除しているのだとか…。父島の近くの弟島(無人)は何とかすべて駆除することができ、今度は父島で大作戦を展開すると…。
ヤギにすればはなはだ迷惑なことであろう。ご先祖様がヒトの勝手で連れてこられ、世話が面倒になって野に放たれ、幸いに捕食者がいないので個体数を増やして自由を謳歌していただけなのだから…。それでも彼らに、こいつは小笠原固有種だから喰っちゃダメ、あっちはどこにでもあるヤツだからOKみたいな知恵があればいいのだろうが、まぁ無理な話。
しかし人為移入だからといって敵視するのはいかがなものか?
確か、慶良間諸島に分布するケラマジカも人為移入だったはずである。移入による隔離で、本土のシカと形態的な差異が生じて“亜種”になっていたのでは…。
そしてこのシカ、天然記念物に指定されている。何で?
形態の差異は本土産に比べて体が小さいということだったろうか。まぁ放熱の関係で、高緯度地域に棲むヤツは体が大きくなり、低緯度地域に棲むヤツは体が小さくなるという、『ベルクマンの規則』の具現例でしょ。
3~400年経ってちょっと形態に差が生じると、「人為」が「天然」に変わってしまうって不思議なことだ。
小笠原のヤギと慶良間のシカ、どちらも人為移入なのに、一方は駆除される運命にあり、他方は「天然記念物」として保護される。この天と地ほどもある扱いの違いには首を傾げざるを得ない。
誰がどのようにしてその線引きをするのか?
また、ニュースでは「貴重な小笠原の自然…」というようなフレーズを使っていたが、何が貴重なのか判然としない。少ないから?珍しいから? じゃぁ、逆に普遍的な種は貴重ではないから何にもしなくてもいいってことなのか。
地球の大きな変化すら事前に知ることもできない人間の、勝手な思い込みで自然を支配しようとするのは浅はかなことだと断ずるのは暴論だろうか…。

そうだ、ヤギと同じように敵視されているグリーンアノール。これもハエ取り紙みたいなのを仕掛けられて、捕まえられている。何でも原産地のアメリカ南部では絶滅が危惧されているのだそうだ。生け捕りにしてアメリカに送り、原産地での復活ってのはいいアイディアでは…。

今日はこれ。

確か、フォークルが「やぎさんゆうびん」を歌っていたはずだと思って検索したけれどヒットしない。それで同じ草食の哺乳類だから…。
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# by luehdorf | 2012-03-03 01:33 | いろいろ | Trackback | Comments(5)

工業暗化は…?

昨年の秋ごろ、ちょっと考えていて「おや?」と思った。『工業暗化』についてである。
これイギリスの工業地帯で、工場から排出される煤煙で樹皮が黒ずんできたために、オオシモフリエダシャクの白いタイプが目立って、天敵に捕食される機会が増え、代わりに突然変異型である黒いタイプが、隠蔽効果で捕食機会が少ないので個体数が増えてきた、というもので、方向性選択と呼ばれる自然選択の一類型として例示されている。
では、工業が衰退したり、排出ガスの浄化などが推進され、樹皮を黒くする要因がなくなってきたらどうなるのか?
当然、雨などによって黒ずみの原因が除かれ、白っぽさを生んでいた地衣類も再生してくるのではないか。そうすると、今度は黒いタイプの生存に不利になってくるはずである。とすれば選択の方向は今度は白へ傾いていくのだろうか?と思ったのである。そして、白と黒を行ったりきたりする、まるでオセロのような変遷を「進化」と呼べるのだろうかと。
いろいろと調べてみたら、池田さんの近著にあった。
やはり、環境の浄化によって最近は白いタイプが増えているのだと…。さらには黒いタイプは突然変異などではなく、幼虫が黒い餌を食ったことによる生理的な変化なのだと言う説も出ているとも。
また、福岡伸一氏の本(だったかな?)には、教科書などに載っている黒いのと白いのが写っているあの写真は、実際にはピン刺しの標本を置いた、いわゆる「やらせ」なのだとまで…。
ん~ん、やっぱりこれは「進化」とは言えない。単に環境の変化に対応した個体変異の大きさの揺らぎでしかないのではないか。
C.ダーウィンの『自然選択説』からもう150年が過ぎた。そろそろこれを「淘汰」する説が現れてもいいと思う。

今日はこの曲。

「月影のナポリ」なんかでスマッシュヒットを出していた森山さんの、復活の曲と言えるのかな。
オオシモフリエダシャクの白色型、そして西の方でのモンシロチョウ初見へのエールとして…。
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# by luehdorf | 2012-03-02 00:01 | チョウなど | Trackback | Comments(2)

南岸低気圧

絶え間なく降る雪を見て、上京した年を思い出した。
あのときは確か3月4日、学科試験の2日目だった。
3月の東京でこんなに降るのかよ、と思いつつ電車に乗り、新宿の中央改札で小田急に乗ってしまった。
窓の外の景色が前日と違う。?と思って停車駅の表示を見ると『下北沢』。知らないよこんな駅…。間違いに気づき、慌てて飛び降りて反対側のホームに来た上りに乗り換えた。
新宿の改札で駅員に事情を話し、そのまま通過させてもらって京王線にダッシュした。
自動改札の現在なら、小田急の改札に切符を投入したときにはじかれたのだろうが、当時は駅員がパンチを使っていた頃だから、乗り換え切符のチェックも結構いい加減だったのだろう。
下車駅からもダッシュして試験場に着くと、開始から5分経っていた。正門前では「あの頃」のことであるから、院生や4年生が警備に立っていた(オリンピックチャンピオンの加藤さんもいたから驚いた)。「すみません。新宿で電車を乗り間違えて遅れてしまいました」と受験票を出しながら言うと、一人の方が、「大丈夫だ。一緒に来い」と言って教室までついてきてくれた。その方が小さくドアをノックし、監督官に事情を伝えてくれて入室を許された。
問題用紙を渡されて落ち着いたけれど、結構動揺したなぁ。
この2日後が実技の初日。グラウンドにはまだ雪が所々残っていた。
最初が陸上のハイジャンプ。助走路はアンツーカーの保護のためかむしろが敷いてあった。それが濡れているので踏み切りの際に足が滑る。そして着地点は砂場で、これも濡れて砂が硬くなっている。試験官は「無理はしないでいいぞ」と言ってくれたのに、周りはずいぶんと一生懸命にやってたっけ…。
実はこのとき、こちらはヒドイ二日酔いだった。前日に学科が終わったら、寮の先輩たちが「合格祝いだぁ!」と…。
電気ポットで燗をした日本酒そしてサントリーのレッドの大瓶。初めて呑むのだからペースなんか分からない。注がれるままに呑み、気づいたらベッドに寝かされていた。
朝、「時間だぞ」と声をかけられて起きると、周りがゆがんで見える。「大丈夫か?」と言われても「ダメです」とは言えない。着替えの入ったバッグを肩にかけて電車に乗った。
順番を待つ間、中学、高校と一緒だったSがやってきた。「おはよう」と言うと、「お前、何?すごく酒臭いぞ」。そうか、道理で自分の周囲にあまり人がいなかったはずだ。訳を話すと、「お前ネェ、まだ試験があるんです、って断らなきゃ」。「だよなぁ」と言いつつ、それができる性格じゃないと心の中で思っていた。
とにかく、バーが歪んで見えてどう跳べばいいのかも分からない。「無理するな」の試験官の言葉に従い、1本だけ跳んで、「終わります」と宣言した。走るのと投げるのもあったのだが、雪のせいでグラウンド状態が悪いから、1種目でいいとなったのもラッキーだった。
このときの呑み方が幸い(?)だったのか、入学すると、先輩たちからは何かにつけてお誘いがあった。だから南岸低気圧はすぐにお酒と結びついてしまう。

今日はこの曲。

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# by luehdorf | 2012-03-01 01:05 | いろいろ | Trackback | Comments(9)