「ほっ」と。キャンペーン

ハッシー!の駅弁図鑑(3)

先週の「栗おこわ」の隣りにデンと置いてあって、とても気になった弁当があった。何せ二段重ねだったから。
ただ、値段が¥1,000。これは本来仕事に出た際の昼食という観点からは高い。でも1回はいいかな?とお試しで…。
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前回同様、NREの製品である。
中はこうなっている。
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とにかくあれやこれやと盛り沢山で、途中でおかずを肴に呑みたくなってしまった。
JRはずるいよ。こんなお弁当を買ってお酒を呑んだら、絶対にタバコを吸いたくなるじゃないか。
その衝動を抑えるため、無我夢中で食べてしまった(笑)。
量も十分で満足できたけど、今度買うなら夕方過ぎだね。お酒も一緒に買っておかずで2,3本やっつけたら、漬け物でご飯を食べてしめる。下の3つの俵は茶飯で、味もしっかりしているからこれもつまみにできるかも…。

次回からは、また¥1,000未満をいろいろと物色してみるつもり。

帰りの1本は、
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しっかりとした飲み口でシューマイに負けなかった。
こちらは次回は300mlの瓶になるかな?
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# by luehdorf | 2012-12-05 23:31 | いろいろ | Trackback | Comments(6)

ハッシー!の駅弁図鑑(2)

自分の性格の「モロい」部分がはっきりと出てしまった。

まず「限定」とかに弱い。
いつものように新宿のエキナカ。先週よりも多種類の駅弁が並んでいた。魚介系を見繕っていてふと目を上げると『季節限定』の文字が見え、“秋モノ”が置いてあった。ポップに「国産もち米…」とあったから迷わず手にしてしまったのがこれ。
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製造は「NRE(日本レストランエンタープライズ)」って、これ以前の日本食堂?
中身は…。
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うまかったです。特に野菜の煮しめ、レンコン、ニンジン、たけのこそしてコンニャク、みんな味がよくしみていてよかった。これら、一緒に煮るんじゃなくって同じつゆで別々に煮て、1つずつ盛りつけてるんだろうなぁ。そうしないと手間がかかって大変だろうし、なんてことを思いながら食べていた。

これを手にとってレジへ行こうとしたとき、レジにいたネェちゃんが「シュウマイが残り1個になりましたぁ」と…。
知っていた。「あっ!1箱あるなぁ」と思いながら見ていたから…。これの弁当があったらそっちにしていたろう。
「崎陽軒」、改札を出たところにある売店では『シウマイ弁当』(“シウマイ”という表記、創業者が栃木の出身で、「シュウマイ」と発音できずに「シウマイ」と言っていたことからだとか…)を売っているのだが、直営ではないところにはそれは置いていないみたいなのだ。
とにかくネェちゃんのその一声を聞き、すぐにきびすを返してしまった。
どうして「あと一つ」に弱いんだろう…(笑)。
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10個入っているのをつまみながら小さなミスに気づいた。
「帰りのつまみでもよかったじゃん…」。
そう、もう寒い季節なんだから帰りまで痛むことはない。乾き物よりずっと豪勢な酒の友じゃないか…。
来週は、と反省。

そして1本。
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蔵元は一時ブームになった“清里”のある大泉。
八ヶ岳の麓だから水はいいんだろうなぁ。
口当たりが柔らかくってすいすいいけるお酒である。
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# by luehdorf | 2012-11-29 01:27 | いろいろ | Trackback | Comments(4)

ハッシー!の駅弁図鑑(1)

P様をパクッてこんなネーミングにしてみた。

今日は「鯖」と横から見たときの厚みで決めた。
“青い魚”はやっぱりいいなぁ。寿司屋でなら、コハダ・アジ・サバ・イワシのローテンションで、最後にちょっと白身を食べれば幸せいっぱいだ。
ノルウェイ産の鯖の干物がまたいい。北の海を泳いでいるためか、脂がたっぷりと乗っていて、焼き立てにちょっと醤油をたらすと「ジュン!」と弾ける。
大分の『関鯖』とか相模湾の『松輪鯖』などでサバのポジションもずいぶんと上がった気がする。以前、仲間と呑んでいるとき、話の種にと『関』の刺身を食べたことがある。身の色などは、これがサバ?と思うほどきれいで確かにうまかった。でも短冊に書かれた値段をみて、「サバでこの値段ねぇ~」と感じたのも事実。

で、これ。
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中がこう。(ちょっと暗かったか?)
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表書きによれば、焼き鯖の身をほぐして“米飴”を加えた汁で煮たのだという。米飴って米のデンプンを糖化させたものだろうから水飴と同じようなつくり方なんだろうか?
シイタケとシラタキも鯖のほぐし身と一緒に煮て、それが錦糸卵を散らした酢めしの上に乗っけてある。数えて「四目?」と思ったら、梅の花弁風に切ったニンジンの煮つけが添えてあるのも加えて五目、と一応納得した。
食感はカツオのフレークの缶詰と煮ているが、少しばかり焼いたことの香ばしさを感じた。酢めしとのマッチングも結構良く満足はできたが、何と厚みに似合わぬちょっと上げ底(笑)。
でも、またしばらくしたら買ってしまうだろう。

帰りの1本はこれ。(もう1本は先週と同じ『笹一』)
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富士川町(旧増穂町)の萬屋という蔵の『春鶯囀(しゅんのうてん)』。以前、これの純米を呑んだことがあり、後口の良さが気に入っていた。ネーミングが何と、与謝野晶子なのだと…。
これはカップ用の本醸だったけど、すいぃ~と1本いけてしまった。ウマイ!
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# by luehdorf | 2012-11-21 01:23 | いろいろ | Trackback | Comments(6)

呑ん兵衛誕生!

1970年3月1日早朝、東北本線の小牛田駅上りホームに、見送りの母とともに特急「はつかり」を待っていた。あれやこれやと気遣う母をよそに、約5時間後には“トーキョー”に足を踏み入れるのだと言う高揚感に浸っていた。
ホームには人はまばらなのに、跨線橋からぞろぞろと一団が降りてきた。よ~く見るとその中心に“同期の星”のA川君がいる。きちんとネクタイを締め、スーツを着込んだ父親、普段着の母親、そして我が母校の事務職員をやっている彼のネェちゃん。最後にくっついていた巨体を見て驚いた。数学のKトちゃんではないか…。そういえば前年、職場結婚でネェちゃんを嫁にし、A川君とは義理の兄弟になったんだっけ…。
Kトちゃん、ボクに気づくと気まずそうに目を伏せた。あっさりと、「あっ! ハッシーも今日発つのか。頑張ってこいよ」とか言えばいいのになぁと思った。そしてこの日は卒業式。Kトちゃんも朝早く起きて義理の弟の見送りをし、それから式典に出るって、何て大変な1日を送らなきゃいけないんだと同情した。
因みに我が家は、親父が代理で卒業証書をもらいに行ってくれたのだが、帰省したときに出た話は、謝恩会でH君の父親と楽しく呑んだということだけで、卒業証書がどうなったかは知らない。40ン年たった今も見たという記憶がない。普段全く呑まない親父が、呑んで楽しく語らってきたということの意外性の方がインパクトが大きかったので…。
どうやら向こうは父親も同行しての受験のようで、一人で出向くボクは、何の根拠もないけれど合格できるような気がしてきた。
幸い乗る号車が違っていたから助かった。だって、年明けにタバコを覚えたものだから、車窓の景色を眺めながら一服するのに、近くに知り合いがいたら気詰まりだもの。
東京での宿は学寮だった。前年にクラブの先輩のSさんが、ボクの志望と同じところに入学し、暮れに帰郷なさった際、「試験のとき、何処に泊まったらいいですかネェ」と相談すると、「寮のオレの部屋でもいいぞ!」とおっしゃってくださった。何とラッキーなことか。宿代がタダ!
上野駅でSさんと落ち合い、山手線、東武東上線と乗り継いで寮に着いた。
旧陸軍の兵舎をそのまま学寮にしたとかで、敷地の西側にはおよそ5m四方のコンクリートを打ったところがあった。何と高射砲を据え付けた場所だと言うのである。
部屋は4人部屋、新学期から3年になるOさんと、後の3人はみなSさんと同学部の同期生。まぁそれも当然のことで、前年は、「安田講堂」の闘争の影響で東大と我が大学の体育以外が入試をやめちゃったんだから…。だから寮には体育の新2年生がわさわさといて、Sさんに連れられて挨拶に回ったのだがコレが大変だった。
4人部屋に4人いて、どこで寝ればいいんだろうと思っていたら、Sさんは同期の人たちが2人でいる部屋があり、そこで色々“つきあい”があるから大丈夫だと。まぁ、夕食を食べてのんびりした頃にその“つきあい”が分かった。夜に寝るヒマなんかあるわけがない。
半日を過ごし、いたく気に入ったもんだから、合格したらここに入ると決めた。
何せ4棟で300人余りの学生がいる。近くのお店にとってはビンボーな連中でもお客さんだ。定職屋が2軒、1軒はちょいとオシャレでいいものを出すところだった。それでも天ぷら定食¥120だから…。もう1軒は朝の5時からやっているという、何とも便利なところで、卵納豆定食¥65!
銭湯も寮生割引があったし、こういう所もあるんだよ、って連れて行かれたスナックも、リーズナブルなお値段だった(このときは「試験の前だから…」って呑ませてもらえなかった)。
3日に始まった学科試験が5日に終わり、やれやれと思って寮に帰ると、H島さんが、「おい!ハッシー君、ちょいと買い物に行くよ」と…。二つ返事でついていくと、メモ用紙を見ながら日本酒だレッドだと買い、荷物をこちらに渡してくる。「H島さん、こんなに呑むんですか?」と尋ねると、「いや、君の『合格祝い』だって…」。「ハァ?」である。翌日から2日間、まだ実技試験が残っているのに…。
つまみだなんだも買いこんで戻ると、部屋長のOさんも帰ってきていた。「Sから聞いてるから…。君は絶対大丈夫だって。だからこれからお祝いね」。実は身体も立派で性格も豪快なOさん、ボクはてっきり体育だと思っていたのだが、何と教育、しかも障害をもつ子どもを相手にする「特殊教育」が専攻なのだと…。
夕刻になると、部屋にはぞろぞろと体育の先輩方がやってきた。口々に「実技?んなモン何てことないヨ。学科で終わっちゃってるんだから。今日呑んで、少しリラックスした方がいいよ」とおっしゃる。ならばなるようになれである。有難く頂戴することにした。
最初に口にしたのはレッドのストレート(チェイサーなし)。いがらっぽい感じがしたので、薬缶の水を入れようとしたら、柔道部のMさんに、「ウィスキーは生のまま呑むもんじゃ」と…。お酒の燗は一升瓶から電気ポットにゴボゴボ入れて、沸騰寸前にコードを抜く。湯のみ茶碗に注がれた熱燗は鼻にツ~ンとアルコールが…。
でも慣れいや酔いは恐ろしい。徐々に手酌でやるようになってしまった。体操部のNさんが、「得意技をやらんか」と振ってきたものだから、調子に乗って床にうつぶせになり、そこから勢いをつけずに倒立に上げるという、当時の最高級難度(Cですな)の技をやったら、「お前、力だけなら○さんに勝てる」と、酔ってるとはいえ、オリンピックチャンピオンの名前を出してきた。
近隣の部屋にはさぞかし迷惑なことだったろうが、大騒ぎはどんどんエスカレートしていった。途中、呑むのは初めてでペースを知らないボクでも悪酔いの兆候を感じた。「トイレ行ってきます」と中座して廊下に出ると、床が歪んで見える。何とかトイレにたどり着き、胃のひっくり返るキツ~イ初体験。すっきりして洗面所に行き、冷水で顔を洗ってうがいをするとずいぶんと楽になった。帰りは廊下の歪みも小さくなっていた。
戻って湯飲みに残っていた酒を空けた。何せ注がれた酒は全部呑まなきゃいけないと教えられたのだから…。そしてまたポットから酒を注ごうとすると、正面で椅子に座っていたTさんが、「お前大丈夫か?今部出してきたばかりだろ?」と…。「えっ、分かります?」と応えると、「だって顔色が悪いんだもん」。酔っ払いの状態が顔色で分かるということを教えられた。「すっきりしたからもう少し…」と呑み始めたら、「コイツ、ホントに呑ん兵衛になるよ」と評された。
日付が変わる頃、「おぉい、オレたちは寿司屋(1人前¥300のところが、線路の向こうにあった)で呑み直すから、君は明日に備えて休みなさい」とOさんが言う。楽しさにも酔っていて「ボクも行っちゃだめですか?」と言うと、Sさんに「一応、明日も試験に行かなきゃなんないんだから寝ろ!」と厳命され、ベッドに押し込まれた。
そこから朝どうやって起きたのかまでが記憶の“ミッシングリンク”になっている。とにかく試験場までは行った。ひどい二日酔いで頭はガンガンするし、胸はムカムカ。運動着に着替えてグラウンドに出ても、まともに足が地に着いていない。
最初はハイ・ジャンプだった。砂場の前に受験番号順に整列させられたとき、自分の周囲にちょいと空間があった。そしてバーを見ると2本に見える。後ろの方に同じ高校のJがいたので手招きし、やってきたところで「バーが2本に見えるんだよな」と言うと、「お前、昨日何やったの?やたら酒臭いんだけど…」。酒に酔うと、呑んだ日だけでなく翌日も辺りに迷惑をかけるのだということを学んだ。事情は説明したが、2本に見えるバーについては説明してくれなかった。高い方を跳べばいいや、って開き直り、2回目で140cmまでクリアして後はパスした。
その後は砲丸投げを登録していたのだが、1種目でいいってことで終わった。球技も同様で、2種目登録したうちの1種目だけやればいいってことで、先輩たちが言っていた「実技は形式」が裏づけられて気分が楽になった。
昼食を抜き、体育館に行って1時間ほど器械に触って汗をかいたらしっかり酔いは抜けた。気分が良くなって寮に戻り、Sさんに、「今日は呑まないんですか?」って聞いたら、「お前、バカ!味しめやがって」と叱られた。
翌々日、田舎に戻る前に、皆さんにお世話になった挨拶をすると、「今度は入学祝いをやってやるからな」と苦笑交じりで言われたものだった。
発表前の“合格祝い”を企画なさったOさん、今は北関東のI大学の教授としてご活躍。顔色で心配してくださったTさんは、全国高校校長会の会長までおやりになって昨年定年。ウィスキーは割るもんじゃないとおっしゃったMさん、故郷広島で教鞭をとり、広島県高体連の柔道部の委員長、そして障害をもつ子どもたちへの柔道の指導と力を尽くされていたのだが、3年ほど前に鬼籍に入られた。我が先輩のSさん、大学を終えてから鍼灸を志し、高田馬場で開業なさっている。
皆さん、40年以上前に、受験生に酒を教え、とんでもない呑ん兵衛を作り上げてしまった出来事を覚えてらっしゃるだろうか?当然、忘れてんだろうなぁ。
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# by luehdorf | 2012-11-15 01:50 | 酔っ払い | Trackback | Comments(7)

駅弁(Part 2)

1個残っていました。『桜エビとジャコの海物語』。
中はこんな感じです。
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右下、バランの所にあるのがクルミの甘煮。こんなのが?と思うのだがなかなかにいい。味つけはあまり濃くはないのだが、桜エビの炒め煮は少し甘く、ジャコは醤油だけ(エビとの境、中央辺りに実山椒の佃煮が…)とアクセントをつけてあるのがうれしい。
かき揚げは添付の醤油をかけて食べた。

甲府に着き、タクシー乗り場の脇で一服。その後に駅ビルに入ってみた。
フードコートの中に酒屋があった。さすが甲州、ワインをずらぁ~と並べてある。ワインに関しては“バカ舌”であるのは、毎年の“G”で実証されているから、他には?と思って見てみると、甲州の蔵の酒、そして焼酎が並べてあった。四合瓶が4本セットの『甲州味比べ』(だったかな?)は、4つの蔵から選りすぐった純米酒が…。
帰りに呑めるようなワンカップはないかと探すと、ありました。
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どちらも醸造用アルコールを添加した本醸造だけれど、まぁ帰りの電車で呑むのだからいいか。
右は大月市の蔵「笹一」のもの。ここには女性の日本酒ソムリエがいて、いろいろとアドバイスをしてくれる。
R20を大月から笹子トンネルに向かう登りの途中にあり、休日などは駐車場に露天が出たり、イベントをやったりと、一生懸命な蔵である。
このところ、下の道を使うことが少なくなったので、なかなか寄ることができないでいる。車で寄ると呑めないのもつらい。でも“杉玉”のぶら下がる季節だしなぁ~。
左は白州町(現北杜市)の蔵「七賢」。白州の町外れのR20からちょっと北に入ったところにあり、何年か前からレストランで日本酒に合う食事を出している。せっかく蔵に行くなら呑んでみたいし、でも車だと…。何とかしたいと思っているのだが…。

笹一のはしっかりとした味で、少々味の強い肴でも受け止めてくれそうである。比べて七賢は軽め。すぅ~と通っていく呑み口のさわやかさがあった。
まだ4,5種類の地酒のワンカップがあったから、来週以降の楽しみとして…。
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# by luehdorf | 2012-11-14 01:04 | いろいろ | Trackback | Comments(5)

駅弁

甲府へ行くようになり、5年ぶりに電車の時間に合わせた行動をするようになった。ぎりぎりに着いて、それ!仕事だ、というのも落ち着かないので、少し早めに着くようにしている。
家を出るのが正午過ぎ、昼食をどうするかがネックになる。自宅の最寄駅周辺や池袋では何かつまらない。
新宿で山手線から中央線に乗り換えるとき、南口側通路に色々な所の駅弁の売店があるのに気づいた。
覗いてみると、大好きな『深川めし』があった。アサリを薄い醤油味で煮込んだものの炊き込みご飯に、10cmほどのハゼの甘露煮が2尾(これがウマイんです)、煮アナゴが2切れ、そしてべったら漬けと小ナスの辛子漬けが添えられただけの、いたってシンプルなお弁当。
以前、水戸に通っていたときに、上野駅でよく買っていたものだから懐かしくなってつい手を出してしまった。

今回はちょっと違ったものに手が伸びた。
ケースの中の7割ぐらいは「肉系」。冷たくなった肉が苦手なものだから「魚系」を物色した。「やっぱり『鯵の押し寿司』かなぁ?」と眼をやった隣にあったのがこれ。
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申し訳ありません。N様のように中もしっかりとお見せするべきなのでしょうが、この後にすぐ発車してしまい、揺れる中ではうまく撮れませんでした。

桜エビを甘く炒ったのとしらすを醤油で煮たのをダシで炊いたご飯の上に半々に乗っけたもので、しらすの方には小さな実山椒の佃煮が添えられ、これがいいアクセントになっていた。そして玉ねぎと桜エビのかき揚げ、クルミの甘煮、梅干と大根の漬物というラインナップ。
『深川めし』は米の量が少ないので物足りなさを感じることがあったのだが、これは十分に満腹感を味わえた。

来週はどうしようか?

(おまけ)
帰りは甲府発20:02か20:30。1時間半をタバコも喫えずにボォ~っとしてるなんてつまらない。角のハイボールとつまみを2品買い込んで、車内販売で「真澄」を追加する、というのが定番になっている。八王子と立川の間辺りでこれらが終わり、本か新聞を読みながら「喫いたい」気持ちを紛らわす。
そして最寄り駅に降り立ったときにやっとつけるタバコがこれ、「至福の1本」なんです。
 
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# by luehdorf | 2012-11-09 00:30 | いろいろ | Trackback | Comments(8)

雨…

降る雨が音を吸収するのだろうか。やけに静かな夜だ。時折聞こえるのが、湿った路面をタイヤが叩く音。
周囲が静かだと落ち着かない性質(タチ)なものだから、仕事にも身が入らなくなっていろいろな所へ寄り道をする羽目になる。
You Tubeでこれに引っかかった。

初めて聞いたとき、出だしの雷鳴のSEが気に入ってしまった。東京へ出てきてすぐ、レコード売り場でシングル盤を見つけて思わず買ってしまったっけ…。

これは'67だったろうか…。若山弦蔵さんの低音で、「牛でも知ってる『カウシルズ』…」とこの曲のスポットCMがラジオから聞こえてきたものだった。

5,6年前、この曲の歌詞を目にすることがあった。雨の日に傘を持ってない女の子をバス停でナンパしたっていうんで、いい時代だったんだなぁって思った。

そして朝がこうだったらいいね。

この『伝書鳩』っていうグループ、リーダーは今は演歌系の大作詞家と言える荒木とよひささんだった。当時('76だったかな?)、この曲の販促キャンペーンで日本中を周っていたらしい。
8月の終わりだったろうか、苗場プリンスホテルで某化粧品メーカーが美容師の卵連中を集めたイベントをやった。その前にJTBのバイトで1ヶ月ほどいたボクは、ホテルの営業担当から、そのイベントの際にキャンプファイアーをやってくれないかと頼まれた。JTBのバイト料の倍以上の日当を提示されたから、二つ返事で引き受けて出かけていった。
昼時にファイアーの"井桁"を組んで薪を重ねるなんていう作業をしていると、「一人で大変だねぇ」と声をかけてきたのがお三方。そして「僕らの歌なんだけどもらってくれる」と楽譜つきの歌詞カードを渡された。話をしてみると、お三方の出番はボクの後。「頑張って盛り上げておきます」。
陽が落ちてから100人ほどがこっちに集まってきた。ボンボン燃やして様々なゲームをやったら、火の効果ってのはすごいもので、みんなノリノリになってきた。面白がって出番前のお三方までがやってきた。
そこで、我が研究室"秘伝"の罰ゲームつきのゲームを仕掛け、荒木さんを引っ掛けた。罰ゲームは"ゴキブリ・ワイパー"。みんなが「ゴキブリ、ゴキブリ」と叫ぶときに四つん這いで歩き、「ワイパー、シュー!」と言ったら仰向けになって手足をバタつかせて断末魔のゴキを演じるというものである。
荒木さんはノリがよくってしっかりとやってくれた。だから観客にも大ウケで、他の会場からも人がやってくるほどの盛り上がりようだった。当然、『伝書鳩』のミニ・コンサートもその流れで進行。ホテルに戻ると、「楽しかったし、いっぱい来てくれてよかった」とほめてくださった。
その後、あちらが3人で1人足りないんだけど、ということでおつきあいをし、バイト料に同じくらいのボーナスが加わったっけ…。
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# by luehdorf | 2012-10-24 02:11 | いろいろ | Trackback | Comments(10)

車窓から…

9月からこっち、山梨・甲府での仕事が入り、週一で通っている。
新宿から乗った電車、八王子を過ぎてからの景色に既視感がないのに愕然とした。日野春、入笠そして松本とその北、チョウチョ採りではずっとこの線に乗っていたはずなのに…。
上野原の辺りで気がついた。いつも新宿を深夜に発つ夜行列車ばかり使っていたからだった。
朝の新宿を発ったのはただ1度だけ。寮でお世話になったSさんが結婚をするというのでお呼びがかかって塩尻まで出向いたときだった。でもそのとき、朝が早いものだから徹夜で積木遊びをし、そのまんまスーツだけを着て乗ったんだっけ。だから発車するかしないかのうちに眠ってしまい、目覚めて時計を見て焦った。塩尻の到着時間の5分ほど前なのに妙な谷間を走っている。後部4両が辰野で切り離しになって名古屋方面に向かうことを知らなかったのだ。慌てた。次の飯島で降りて上りに乗り換え、急行券のチェックに来た車掌に事情を説明して、“誤乗”ってことで急行料金の支払いを免れた。式場にはホントぎりぎりに着き、Sさんの同級生で、同部屋でお世話になったHさんに「どうしたんだよ。どこかで迷子になってんのかと思った」と案じられたっけ。
そんなだから、車窓を流れる風景はとても新鮮なものだった。
大月近くになって左を流れる桂川は結構な川幅のある川だし、笹子トンネルに向かう登りではR20とクロスして、大好きな蔵「笹一酒造」をはっきりと見ることができる。(そういえば新酒フェアのお誘いの葉書が来てたなぁ…)
トンネルを抜けると中央道ともクロスして北寄りに進んで塩山に着く。この後の甲府までがなかなか楽しめる。山梨市と石和温泉の間、高い建物がないと南の方向(御坂山地あるいはその前衛?)に、地理で習った『扇状地』をしっかりと見ることができるからだ。谷筋が盛り土をしたかのようになっていてそこに集落ができている。扇の要の部分にも家が建っている。確か堆積物は河口付近とは異なる“礫(小石)”だから水はけはとってもいいはずで、てっぺんに近い家なんかは、上水道が通る前はどんな方法で水を確保していたのだろうかと考えたりして…。
新宿・甲府間120km強を1時間30分もかかり、その間禁煙を強いられるのがちと苦痛ではある。しかし、エキナカのド・トールで買ったLサイズコーヒーをゆっくりと楽しみながら景色に目をやるのもなかなかいいものではある。

明春からの継続も決まった。仕事は夕方からだから、朝早く車で出れば、ほぼ半日はチョウチョ採りができる。大菩薩や昇仙峡の奥はもとより、県境を越て入笠にだって…。
山並みが見えなくなると、そんなことを考えながら電車に乗っている。
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# by luehdorf | 2012-10-18 00:39 | いろいろ | Trackback | Comments(2)

あ~あぁ~!

11日朝、読売新聞を開き、口に入れたコーヒーを噴き出すほど驚いた。白抜きの『iPS心筋を移植』の見出しが一面にでかでかと載っていたから…。
1面そして3面の記事を読めば、オイラのような素人には「な~ぁるほど…、そうやったのね」と思わせる内容だが、動物実験はいきなりブタ。そうかなぁ?マウスでは何でやんなかったの?そしてブタでやった結果はどうして公表しなかったの?と疑問が湧いてきて、ヤバイのかも知れないなぁって思ってたらかくのごとき大騒ぎ…。
森口たらいう御仁は、何が目的でこのような“妄想”を口走ったのか分からないが、一番お粗末なのはこれを書いた記者、そして一面トップにすえることを決めた編集の責任者であろう。誤報であることを認め、小さく「おわび」を載せた後、14日に「日経だって毎日だって…」みたいな検証記事が出た。何?それで自分たちの責任回避をするつもりなのかな。
「ipsによる心筋の実験データはありますか?」と、慶応だって奈良県立医大だって阪大だって、iPSの研究者に、「こんなことが…」ってお伺いを立てれば、「知らないよ。記事にするのはマズいんじゃないの…」ってアドバイスをもらえたはず。何も功を焦らずにきちんと裏づけをとればよかった事なのだから…。
今の新聞記者って、そういう基本すらちゃんとやらないんだねぇ。
さらに笑えるのは、おかしい!ってなってからのメディアの姿勢。まるで“正義漢”気取りなんだもの。みんなして吊るし上げている。いい加減にしろよ、お前さん方のその“風見鶏的”な態度はまっぴらごめんだね。やってることはガキどもの“イジメ”と大差ない。(森口某を擁護するつもりは全くないけれど…)
大体において、『医科歯科の看護科』の出だということだけで、いわゆる“医療行為”ができないことは明白なのだから、ヤツの言っている「心臓の30箇所あまりに注射して…」の件も、「アンタにはできないでしょ?」って突っ込めばジ・エンドなのだ。
それなのに「パスポートがど~たら」、「資格がど~たら」とぐじゃぐじゃやっている。あんな会見なんぞ、「きちんと説明できてないから終わりね」って、さっさとメディアが引っ込んじゃって、「コイツ、大嘘つきですよ」ってだけ報道すればいいだけなのですよ。レポーターだカメラクルーだとわざわざアメリカまで大人数を送って、何とも時間とカネを浪費していることか。
あんな大ボラふきのことははどうでもいい。脇のホントに甘い読売を何で叩かないかネェ。“メディアの“互助会”なのかなぁ。
今の時代、ネットを使って簡単に色んなことが調べられるでしょう。「◎◎にこんな論文を…」って言われたら、それを探すのなんて昔に比べたらずっと楽なはず。
それすらせずに、相手の言うことを鵜呑みにしてたのでは、「振り込み詐欺に気をつけろ!」ってなキャンペーンを張られたって、「お前こそ騙されんじゃネェよ」っていう突っ込みが入ろうというものである。
そしてあの『読売』が『東スポ』とあまり変わらないという気がしてきて、この後の購読の更新をどうしようかと迷っている次第。
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# by luehdorf | 2012-10-15 23:40 | 酔っ払い | Trackback | Comments(2)

四半世紀+1年…

“アンパンマン”という重要なキーワードを記してくれたにも関わらず、何とも不覚であった。
初めて会ったのは彼が小学校3年生のときであったか…。母上とともにやってきて、少し臆しながらもこちらの問いかけには笑顔を見せて答えてくれた。

第一にやったことは、「ムシ採り」を仕込むことだった。あれが面白い、これもいいと刷り込んでの夏の入笠、採ってきたカミキリを展足していると、外から戻ってきた集団の中の男のコが、「あれ?Nくん」、「Uくんどうしたの?」。
そう、鉄兄ィのクラブの合宿、中学部の顧問として引率してきたのがU先生で、一緒について来た息子さんが同級生だったっけ…。
そんな二人があそこで会ったという偶然が、あの内気な鉄兄ィに自分からこちらに話しかけてくるという、とっても珍しい行動を起こさせたんだ。(あの方、一緒にフィールドへ出て同好の士を見かけると、「ハッシー!、情報とってきて。オレ、初対面はちょっと苦手…」っていう人なのです)
おかげであれからずっとおつきあいをさせてもらってるけど…。

新潟大へ行ったヤツの状況を観察するという名目でギフ採りにも行った。電装系に難のあった前の車、行きに片方そして帰りにはもう一つ、ヘッドライトが切れてフォグランプだけで暮れた関越を走ってきたっけ。
でも旧巻町でしっかりと成果は上げた。桜祭りかなんかをやっていて、その手伝いをやってたオバちゃん。青いエプロンをしてたもんだから翔んできたギフが絡んだ。助手席の彼は血相を変えて飛び出し、その様子に驚くオバちゃんをものともせずにネットインした。

フロント・ファークがサスペンション付きというMTBは小6のときに買ったのではなかったか。以来ずいぶんと一生懸命に自転車での遠出をやっていたみたいだった。
そこで、入笠小屋から小黒川林道を下り、国民宿舎「仙流荘」まで行っての往復を、昼までに帰着したら何かやるよ、って言ったらホントにやり遂げた。証拠としてもってきたパンフレットに、周りから「途中で誰かにもらったんだろ?」とからかわれてむきになっていたのも懐かしい。こちらは汗のかき具合やなんかから相当頑張ったことが分かったから、「賞品!」って言って、確かTシャツを進呈した。
そして翌年の春には石砂山まで行ってしまった。直線距離で片道60kmを超える。「日帰りはムリだろう」と言うと、「やれる」と断言するから、地形図で場所だけは教えたら、すぐの日曜日に行ってきたと言う。板橋から自転車で来たのだと言うと、ネットを持った大人たちが仰天していたとか…。当たり前だ。

初めて会ったとき、精神的にも肉体的にもモロさが見えたのだが、たった3,4年で逞しくなったその変貌ぶりに、色んな動機付けをしてやれば、それに乗った子どもは際限なく成長するものだということを実感させられた。

もう一つ、中1のときであったか。彼とその仲間の面倒を見ていたSが、「Nだけは他のコと違うんです」と…。「どこが?」と問うと、Sの解説に細かに食いついてきて、ロジカルでない点にはきちんとした証明を求めるとか、答えがどうこうでなく解答に至るプロセスを重視すると…。
「あぁ、それは小学生のときにオレが、『答えが出たって意味ないよ。どうやってそうなったのか言ってごらん』てしつこく仕込んだからじゃないか」。
「やっぱりそうですか。アイツはこの姿勢を忘れない限りどんどん伸びますよ」。

彼が高校を終える頃、自分の中にあったモヤモヤを吹っ切るためにボクはフリーランスになった。
それまでに関わってきた若い連中の何人かが、時期を選んでは呑み会を開きボクを誘ってきた。“ガキ大将”だったボクの「暴挙」ともいえる様々なイタズラや互いの失敗を肴にして大笑いをする場。年代も職種もバラバラだから、やがてそれは異業種交流になっていったが…。
そんな折に、彼の同級生に「Nは何をやってる?」と聞くと、「ちょっと『寄り道』をしてるようですよ」と…。
こちらも学生時代に「寄り道」どころでない「大迂回」をした身だから、「そうかぁ」と言うしかない。でも絶対に「寄りっ放し」になることはないと信じてたけどね。

また一つ楽しみができた。子分のショーヘイに声をかけ、その弟ヒロシを通じて次には引っ張り出すつもりである。
覚悟しとけよ。
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# by luehdorf | 2012-10-11 01:41 | いろいろ | Trackback | Comments(0)