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安全に…

2月にサイクルコンピュータを導入し、11月28日で総走行距離が2274kmになった。旧メーターの不具合で5,60kmほど少ないのだが“消費税”以下の誤差だから無視してもいいだろう。
自転車乗りを再開したのが昨年9月で、今年1月までの5ヶ月はメーターなしで走っていたのだが、週当たりの走行距離を計算してみると少なく見積もっても1000kmを超える。1年3ヶ月で3000kmを走れたのは間違いないだろう。

itsukiさんや呑むさんがいろいろと案じてくれるので現状を詳述してみたい。

まず、四半世紀前と比べて“コワイ”のは「自転車」なのである。道路の右側を平気で逆走してくるヤツ、歩道から後方確認もしないでいきなり車道に飛び出してくるヤツ、脇道から一時停止をしないで右折してくるヤツ…。そしてとにかくひどいのがケータイをいじりながらとかヘッドホンをつけてとかの連中(これは当然のことながら四半世紀前にはいなかった)がやたらと目につくことなのである。
今、ピストレーサーがやり玉に上がっているが、本当のところは上に挙げたような輩の方が数が多く、一番厄介な存在なのだ。
それに比べたら車はずいぶんとマナーが良い。こちらが守ることはただひとつ、「明確な意思表示」である。
車での「意思表示」には、ウィンカーはもちろんのこと、クラクション、前照灯のオン・オフあるいはパッシング、ハザードランプと様々あるが、自転車も後方の目視をきちんと行うことと手信号による「意思表示」で立派にコミュニケーションがとれるのである。
それらを励行していると反応が良いのがタクシーである。昨今、ドライブレコーダーが搭載されているから、きちんと距離を置いて手信号を出している自転車に突っかかったなら自分が全面的に不利になることが分かっているのであろう。
路上駐車の車を避けるために右に寄るとき、アクセルオフにしたとはっきり分かるのがタクシー(これに加えて大型トラックも結構好意的である。エンジン音が下がるのでよく分かる)で、通過後に直ちに左へ戻り、脇を抜ける瞬間に右手で軽く御礼の挨拶をすればOKなのである。時として左手で“了解”の挨拶をしてくれる運転手もいる。信号待ちの車の前に出るときも同じ。きちんとアイコンタクトをとってから前に出る旨を手で示せばうなずいてくれる。
要は「お願いね」という気持ちをきちんと伝えればいいのである。でもこれができている自転車は10%にも満たない。その数少ない「仲間」と同じ道を走るときにはとても楽しく走れる。
夏前のこと、青梅街道を新宿に向かっているときに前を行く自転車に追いついた。きちんと手信号を出しているのでそのままついて行き、路駐の車を避けようと後方確認をする際に、先に後ろでブロックをして「後ろOK!」と声をかけた。彼は右手で“ありがとう”の仕草をし、以降、同じ状況のときに「OK」を繰り返し、快調に新宿西口まで走った。直進する彼と代々木方面へ抜けるボク、最後の交差点で「後ろで楽させてくれてありがとう」と声をかけると、「こちらこそ後ろを見てもらって…」と笑い返してきた。
路上で行き交っただけなのに、この短い会話で疲れが吹っ飛ぶ楽しい思いに包まれた。
自分勝手に走っていたら事故を誘発するだけなのである。自転車に乗るならまず、そこのところをきちんと考えるべきだと思うのだ。

警察もヌルい。立ち番のお巡りまはるで“墓石”か“記念碑”で「立ってるだけ」ある。
踏切で警報が鳴り始めたから止まった。そこをジーさんの乗った自転車が右側走行で渡ってきた。目の前を通過されてもウンでもスンでもない。
「ねえ、お巡りさん。何で今の自転車の逆走をきちんと注意しないの?」と声をかけた。そこで「あっ」と気づいたのだろう、しどろもどろしてまともな返答は返ってこない。「大体さぁ、踏切の中の“グリーン”の帯の所は自転車が走っちゃいけない部分じゃないか。そこを走ってきてんだぜ」と続けた。「あっ、でもあそこは“歩道”ですから…」。見事に引っかかった。「君は“税金泥棒”って言われても仕方ないな。あそこは『通行可』の歩道ではないはず。多分向こうにある標識の下の補助標識に『ここまで』があるはずだよ。だからそこの“グリーン”を乗ってきた自転車に君は赤切符を切らなきゃいけないんじゃないの?」…。通行人がニヤニヤして見ているから、「勉強して」とだけ言っておいたが…。
巣鴨へ出向くのが週に一日になったから見なくて済むようになったが、板橋警察署の警察官の自転車の乗り方のいい加減さにはあきれた。
目の前で信号無視して左折、追いかけて行って「信号無視!」と言うと、「自分の認識では…」とか言う。「じゃぁ信号が赤でも『自分の認識』でOKならいいってこと?」と聞いて、やっと「申し訳ありません、気をつけます」。
夜、ライトが右側を走ってくる。こちらが避けずに左を行くと、柵で仕切られた歩道(これ「自転車通行可」ではありません)に入り込んだ。近くに来てよく見るとお巡りだから、「どっち走ってんのよ」と言うと、「いや最初から歩道を…」とか意味のない言い訳をする。こちらのライトが見えてから入った(向こうが街灯の下だったからよく見えた)ことをまずきちんと認めさせてから、「この道のどこに『通行可』の標識があるのか、当然言えるよね」と続けたらもう答えられない。だってありっこないんだもの…。
きちんと市民に教えていかなければならない警察官がこの有様だから、まともな自転車の乗り方が普及するなんて夢物語としか思えない。
とにかく対自転車のもらい事故だけは食わないように注意していく。6月の事故で、“アブナイ”車の判別の能力もついたみたいだし、車に対してはきちんと挨拶をして共存のお願いをしながら…。
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by luehdorf | 2011-11-29 00:55 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

原点回帰…

高1の生物の授業、細胞分裂の際のDNA複製について、「これは新しい指導要領で入ってきたことなんだけど…」と、染色体中のDNAの“二重らせん”構造、そしてDNA塩基であるアデニンとチミン、グアニンとシトシンの“相補的結合”による複製の仕組みについて教えられた。
そのときは、「へえぇ~、うまくできてるもんだ」と感じたのだが、分子レベルで生物を見るということに違和感があり、深く突っ込もうとしなかった。だって、「生物の最小単位は細胞」と習ったのに、分子ってのはそれより小さくて非生命体なのだから…。
この傾向は「動物生態」の研究室に潜ったことでさらに強くなった。生態学は分子生物とは逆にマクロに見るもので、種すら無視して生態系中の役割でカテゴライズする。たとえば生産者、消費者っていうように…。これがとっても性に合った。だから「分子生物」とは距離を置いてきた。
10年とちょい前、仕事の関係で「高校生物」と向き合う必要が生じた。生理や生態はいい。しかし、発生や分子は…。
まず、発生。高校のときもそうだったのだが、なぜにウニの発生を拡大した図で細々と追わなければならないのかが解せなかった。だから「ウニは『発生』の過程よりも成体の精巣や卵巣の方が重要だ」とか「ウニの採れない長野県や山梨県の連中には入試で不利だ」とか言い続けていた。
分子については上述したように、「分子は生物じゃない」と…。
しかし飯のためにはそんなことは言ってはいられない。何か興味を惹くものがないかと考えつつ自学を始めた。少しずつ目を開かされることが生じてきた。
発生ではシュペーマンなどの技術についてだった。イモリの受精卵での移植では、あんな小さいものの特定の部分を切り取って別の卵へ植えるという作業がどれだけ困難なものなのか。高校時代、テキストなどには大きく示されているから気づかなかったが、改めて見てみると凄いことをやってたんだと感じさせられた。
分子については、かの福岡伸一大先生が「生物学史上最もエレガントな実験」と称する、メセルソンとスタールの実験手法をなぞったときだった。
DNA複製に関しては、「二重らせんがほどけて一本鎖になり、分かれたそれぞれが鋳型となって新しい二本鎖ができる」という、いわゆる“半保存的複製”が行われているのは今や常識だ。しかしワトソンとクリックが“二重らせん”の仮説を発表した後、複製の仕組みに関しては、二本鎖がそのままコピー元となって新しい二本鎖が生じる「保存的複製」やDNAがランダムに切れてそれが複製される「分散的複製」ってのだって考えられるよね、っていうことから、「半保存的複製」が行われていることの証明が必要になったのだ。これを何ともすばらしい方法で解決したのがメセルソンとスタールで、1958年に窒素の同位体を使ってあっさりと証明してしまった。神戸大学の入試問題(確か’00年)にこの実験の手順をなぞる設問があり、それを解いていて「これすごい!」と感じ、分子生物にハマることになってしまった。
とにかくこの2人がなぜノーベル賞をもらえなかったのかが疑問に思えるくらい“カッコいい”ものなのである。
以降、’70頃からこっちの分子生物の流れを必死で追いかけた。あまり夢中になって夜中遅くまでやっていると、目を覚ました飼育係に、「受験生よりも頑張ってんじゃないの?」と励ましなのか皮肉なのか分からない声をかけられることもあった。
先日、本屋の棚を目で追っていると ↓ があった。分子で生物を見ることの、いわば原点である。福岡氏が仰る「ウラ」については述べられていない(当たり前か…)ものの、あの仮説に達するまでの“産みの苦しみ”みたいなものは、「合コン」の合間もDNAの虜になってたんだというような筆致のわずかな隙間から感じられた。
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そして次の課題はC.ダーウィンの『種の起源』である。
これはずっと以前に岩波の八杉先生の訳を読んだのだが、どうにもつらい作業だった。そこで、あるところで原著第5版のぺーパーバックを見つけ、辞書を片手に取り組んでみたものの、ダーウィンの文章ってのは回りくどくって分かりにくい。訳が悪いのではないのだということを30ページほどやって気づき、放り投げてしまった。
最近、池田清彦さんがどこかで、「大体において、生物学者でもダーウィンをちゃんと読まずに『種の起源』の中身はあぁだこうだと言ってる場合が多い…」と書いているのを見て、生物学者ではないがまるで自分のことを言われているような気がしてしまった。
幸いに光文社から新訳が出ているので、まずこいつをやっつけようと思っている。
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by luehdorf | 2011-11-22 01:22 | 読書 | Trackback | Comments(11)

ビョーキだな…

自動改札の投入口へ放り込んだ切符が放出口から飛び出し、何気なく手にとろうとして「ドキッ!」とした。
↓ の通りだったからである。
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そう、発券番号と発券時刻が同一だったのである。「1441」が並んで目に入り、「何だぁ!」ってことになった。
降車駅で駅員に頼み、無効印を押してもらって持ち帰った。
実はこれだけではない。昔の硬券(駅員がパンチで手切りしていた硬い切符)や「東京都区内発、東京都区内着」のループ切符(遠距離逓減を狙って自分でルート作成した。窓口の駅員はイヤな顔ひとつ見せず、ソロバンで総距離を計算していたっけ…)などもいまだに持っている。
自分では「鉄」ではないと思っているのだが、同僚の「乗り鉄」に言わせれば「十分に『鉄』ですよ」とも…。

やはり父親が機関士であったことの影響があるのだろうか。
小学校にあがる頃、親父の乗務の日に弁当を持ってついていったことが何度かある。50年以上も前の話だからもう時効。SLの運転席に乗せてもらうためである。
貨車入れ換え用のC11、そして客車用のC57に貨物用のD51に乗った記憶がある。機関助手のお兄ィちゃんにスコップを持たされて石炭の投入もやらされた。古いタイプの釜蓋は、確か手で引っ張らないと開かなかった。それがやがて釜前のステップを踏むと蓋が勝手に開くようになっていたっけ。
汽笛も古いのは上から下がっている逆T字のひもを引くのであったが、あるとき、あるべきところにひもがなく、足元に見慣れぬペダルがあったので踏んでみたらいきなり汽笛が鳴った。慌てたのは親父で、「バカ!勝手に汽笛を鳴らすんじゃない」と本気で叱られたっけ。そして汽笛は鳴らし方でいろいろな合図になるんだということを教えられた。踏切や鉄橋・トンネルの通過の際の長い一声、事故の際の乱打…というように。

そう言えば、まだ電化前の東北本線を走っていたディーゼル特急「やまびこ」の運転席にも乗った。
仙台で読売と南海のオープン戦があり、当時、組合専従で仙台に単身赴任していた親父が、一緒に帰るから見に来いと切符を送ってくれたのだった。当然客車に乗るものと思っていたら、仙台で交代した乗務員の方が親父の同僚で、「久しぶりに話をするならこっちだろう」とこっそりと運転席へ…。
高い運転席と前照灯の明るさに驚いた。周りは真っ暗なのにはるか前方の線路上がくっきりと見える。時折眼が緑に光って走り去るタヌキなんかを見ることができるんだもの…。

何も起きなかったからよかったものの、今なら…。

今週金曜日、「2011.11.11」。1が6つ並ぶのである。20を省略して「11.11.11」と表記する鉄道会社はないだろうか。JRのSuica領収証は2011で地下鉄は元号表示だし…。
そんなことを考えていたら、 ↑ の切符の存在と昔の「イケナイこと」を思い出した。
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by luehdorf | 2011-11-08 01:29 | いろいろ | Trackback | Comments(9)