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プリンターテスト…

プリンターを購入した。
以前のが☆になって2年、仕事の関係はメモリースティックに取り込んで、仕事場でプリントアウトすれば事足りるので、あまり不便は感じていなかった。
今回思うところがあってデジカメを買った。それならついでにプリンターも入れるべきだということになった次第なのだ。
カメラでの画像は年明けからにするとして、セットアップした後に文書や写真のプリント、そしてコピー、スキャナーの機能をテストしてみた。
スキャンしたのは「青春画像」。
’69のインターハイ予選での床・規定、入りの「後転とび腕立て伏臥」、すなわちバック転して手を着いた状態で、からだを伸ばしたまま腕立て伏せの肘を伸ばした姿勢になるのである。
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床は好きでもなかったし得意だとも思っていなかった。何せ「疲れる」種目だから…。
ただこの規定問題はボクの肌に合っていたみたいで、前年のデビュー戦のとき、トップバッターでチーム最高点を叩き出した。途中に入っている「伸腕屈伸倒立(勢いをつけずに肘を伸ばした姿勢からゆっくりと倒立に上げる)」が当時の高校生にはキツかったみたいで、みなフラフラ、バタバタしていた。配点も結構大きかったようで、この技がきちんと決まらないと1点以上減点されるみたいだった。
力技はボクの得意とするところであるから、この技で失敗したことはなく、ことさらゆっくりと演技して、余裕を見せたものだった。
そのため、跳んだり走ったりと忙しくて好きでない床だったのに、点数は稼げたのであった。
写真の入りの技も、普通のバック転なら低くスピードのあるこなしをしなければならないのだが、伏臥で受けるために上に思い切り跳んでいる。膝の開きは踏み切ったときの余波で、つま先はきちんとそろっているから減点の対象にはならないだろう。
今のようにビデオなんかない時代、あとでこの画像を見せられて、「結構やれてる」と思ったものだった。
2枚目は吊り輪の練習風景から…。
「後方懸垂回転」という技で、ボクは自由問題の入りと終末に使っていた。この技からそのまま振り下ろして倒立に上げると、当時の最高級難度Cがもらえた。入りにそれをやり、終末はこれから後方の伸身宙返り1回ひねりでこれもC。高校生が自由問題で要求されていた難度は4つのBと5つのAだったから、Cを2つ入れていると結構見栄えのする演技になったものだった。先日のアジア大会でサウジアラビアの選手の吊り輪が映されたけど、40年前の自分が勝っている、と正直思った。
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得意種目というのは意識しなくても最高の技術が身につくもののようで、この瞬間、手首がきちんと落ちて輪を押している。この「輪の押し」がなかなかできないのだという。
足先の乱れもないし、いい体操やってたんだなぁ。
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by luehdorf | 2010-12-30 18:03 | いろいろ | Trackback | Comments(8)

驚いた…!

朝の出がけに宅配が…。田舎の父親からで、親子とはいえ連絡して礼の一つもと思って電話した。
開口一番、「いやぁ、町会議員になって忙しいんだ」と…。
ナニィ!確か4年前、隣町との合併が本決まりになったときに辞めたはずではなかったか…。
確かに以後も議会の傍聴を続け、「議会便り」みたいな報告をしてはいた。そしてそれが議員たちへのプレッシャーになっているのだとも聞いた。何せ議員報酬だけが目当てみたいなヤツの行動・言動をそのまんま書いてるんだから…。そしてそのようなことが目に余るようだったら「また立つ」とも聞いていた。
しかしホントにやるとは…。年が明けて6月には84になるのだから…。
思えば30年ほど前、千葉動労の問題で出した文書が動労本部の癇に障り、除名処分を食らったのが発端だった。続いて家族組合の上の方にいた亡きオフクロが、動労の支持母体である政党の地方支部の「官僚体質」を非難して衝突し、まだ仕事をやっていた親父の身代わりみたいな感じで町議選に出馬して次点で敗れた。(このときの親父のフォローがしっかりしていなかったのが後のオフクロの精神的な揺れにつながったと思っている)
それから15年、72になった親父は町議に立候補した。オフクロが亡くなって3年、弔い合戦だろうとボクは思った。そして生きてるときになぜやらなかったとも…。そんな思いが選挙の手伝いに行くということに少しブレーキになった。
結果は下位ではあったものの当選し、ぬるま湯の中、のうのうとやっていた町議会に波乱を起こしていった。老いの一念だったのか…。
一番は議員の期末報酬の撤廃である。「議会なんか毎日開いてるわけじゃないのに、何で年度末に皆勤手当てみたいな報酬が税金から出て来るんだ」というのが彼の主張。当初はみんなに無視され、署名を集めての住民請求にまで発展した。当時、共産党代議士の事務所で働いていたいとこは「ウチの党の議員までがオヤジさんの提案に反対したから、風当たりが強くって…」と苦笑していた。
結局は町長からの提案という「和解策」が講じられ、彼の主張はほぼ通った。
以後は2期目に上位当選をし、「風雲児」いや「風雲ジジィ」で議場を席巻したようである。(当時の彼の質問記録を見るとそれがはっきり分かる)
町の役場の課長クラスには中学の同期が2,3人いるのだが、以前は手ぶらで議会に出てきていたのが法律書を携えて来るようになったのだと…。リンゴ農家をやっているチョウ友だったSが、「あいつら、アンタのお父さんのおかげで『学校に行ってたとき以上に勉強をやらされてる』ってボヤいてる」と面白そうに喋っていた。
5年前の春に心臓を患い、少し健康に自信をなくしたのであろう。合併が本決まりになったときに、「これからは好きな釣りでもやってのんびりしたいし…」と引退を示唆した。しかしこの言葉を聞いたボクは「ちょっとそれおかしい。あなたはこれまでも好き勝手ばかりやってきてるでしょう」と反論した。脇の飼育係は「血って、争えないものなんだねぇ~」。確かに…。二人とも反論できなかった。
合併の頃には「町長選に出ろ」とかの話もあったらしく、いとこは「そうなったら党派に関係なく応援するしかないもんなぁ~」と言っていた。本人もいくらかはその気があったみたいだが、一緒に釣りをしていたら「釣りの方がいいなぁ~」と…。
辞めて4年、相当気に入らないことがあってまた出たのであろう。ネットで議事録を覗いてみると「闘争心」は旺盛である。これなら老人特有のビョーキになるることはないだろうから、その面では一安心。ただ電話で「さきおとといから一昨日まで釣りをしていて昨日が議会だったから疲れた」と…。夜釣りをやって仮眠し、朝からまた釣りをしたというのである。勘弁してくれ。「お前だって、夜遅くまで酒呑んで朝からチョウチョ採りするんだろう?」って言うけど、二周りほど若いんだから…。アンタと一緒に魚釣りに行く「若い人」は65オーバーじゃないかぁ~。
ステントの入った冠動脈の状態も悪くはないと言う。好きなことをやって倒れるなら本望でしょう。ウルサイ「ジジィ議員」で頑張ってくれ。多分オフクロも空の彼方から応援してると思うよ。
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by luehdorf | 2010-12-01 00:35 | いろいろ | Trackback | Comments(12)