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擬態は…?

 ある日突然「あれ?」と感じた。擬態に関してである。
 擬態は、生物が他の生物やものに似せた色彩や形態を持つことによって身の安全を図るものであるとされていて、コノハチョウが木の葉の色や形に似ているような「隠蔽的擬態」などが例に挙げられている。あとは「ベーツ型擬態」、自身は毒性も何も持たないのだが、毒性を持っていたり食べるとまずい味の他種に似たものとなることで、捕食者からの攻撃を避ける意味があるのだとか…。この場合、真似される方をモデル、真似る方をミミックと呼ぶようである。そして「ミューラー型擬態」、毒性を持っていたりまずい味の異なる種が似通うことで捕食者の学習(こんなのは食えないという)の効果をアップさせるのだと…。
 「ミューラー」の場合は納得できる点もあるのだが、「ベーツ」に関して「待てよ?」となった。
 まず、ミミックが食われることで捕食者が学習するなら、モデルはミミックの個体数よりもやたら少なくなければならないはずである。もしも逆ならば、捕食者は「こんなにうまいもん…」とか思って、どんどん食われる羽目になる。たまにミミックに当たっても、「あっ!ハズレだった」くらいにしか思わないだろう。ちょうど飲み屋でシシトウの焼いたのを食っていて、辛いのにブチ当たって「うわぁ、当たり!」とか叫ぶボクらと同じように…。
 そうするとミミックの個体数はどうしたってモデルの10%にも満たないところで抑えられなければならなくなる。これって種の繁栄と言う点で有利なのだろうか?
 さらには、ミミックの分布にだって影響してくるのではないだろうか。ミミックはモデルの生息地を離れたところでは擬態の効果が得られないはずだからである。昨今、生息地を北に拡大しているツマグロヒョウモンのメスも、カバマダラに擬態しているというような記述を読んだことがあるが、いまのツマグロの北上のスピードはそんなことを気にもしてないような…。
 最大の疑問は、被食者側がそのように捕食のプレッシャーを軽減するほうに進化していったのに、捕食者にはまるで進歩というものがなかったのか?という点である。すなわち、被食者の変化に伴って捕食者が「これは食える。これはダメ」と見分ける目をもつように進化をしなかったのはなぜなのかということである。
 別に捕食者である鳥などの立場を弁護するわけではないのだが、今の論調では捕食者が余りにアホみたいに感じられて仕方ない。
 ボク自身は、ニッチ(生態的地位)を同じくするものの形態や生態が似通っていく、収斂(収束進化)のなせる業であると思いたいのだが…。
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by luehdorf | 2009-02-04 15:55 | チョウなど | Trackback | Comments(11)