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酔眼で斜めから見てみた…

 某宅配便の会社が、鉄道コンテナによる輸送やアシストつき自転車での配達をし、クルマを使う割合を減らしたから、「環境にやさしい…」とかのCMをうっていた。ホントにそうか?
 鉄道を動かす電気を作るのに石油が使われてるでしょ。だったら間接的に二酸化炭素を出してるじゃん。これって、自分の手を汚さずに他人に悪さをさせる「教唆犯」みたいなもんじゃないかなと思う。
 本当に環境にやさしくしようと思ったら、経済とか産業の「活動」を低下させるしかないはずで、国全体で、車を走らせず、暑くてもエアコンをつけず、夜9時になったら全部電気を消すなんていうどっかの国みたいなことをしなければならない。そうすれば石油の消費量は激減するから、二酸化炭素の放出量も下がるのだ。
 でもそんなことはできっこないよね。石油燃やしてどんどん便利になってきた今の時代を江戸の世まで退行させるなんて…。どうやったって石油に依存して、何十年か後にこれが枯渇するまで突き進む。そういう流れはアイマーの「定向進化説」を実証しているように見える。
 じゃぁ、代替エネルギーとしてまずは「水素」とかいって、ホンダがクルマのCMを流してる。どこから水素を持ってくるの?空気中に遊離している水素は全くないでしょ。誰かが水を分解すりゃ水素ができると言った。確かにそうだ。しかし水をどのようにして分解するのかという方法が全く見えていない。電気分解するとしたら、その電気はどのようにして作るの?石油を燃やすしかないんでしょ。高温による熱分解?どうやってその高温をつくるのだろう。結局は石油を使うしかないんじゃないか。ゴミを燃やすっていったって、そのゴミの元は石油を燃やしてつくられているんだし…。だから、コストがかかるだけで絵に描いた餅なんだよね。
 さらに渋谷の「シェスパ」の爆発で驚いたことが…。汲み上げた泉水中に含まれるメタンはセパレーターで分離して大気中に放り出しているんだと…。メタンて確か「温暖化係数」が二酸化炭素の20倍くらいだったような記憶がある。「地球温暖化が…」とかいいながらメタンは垂れ流しだったんだ。
 まぁ、あっちもこっちも体のいいことばっか言ってみぃんな尻抜けだ。
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by luehdorf | 2007-07-05 01:46 | 酔っ払い | Trackback | Comments(2)

エゾゼミの採集法

 高3のときであったか、Sと蔵王に出かけた。キベリタテハを狙ってのことで、ボクらが張りついたのはあまり広くない切り通しの崖の部分だった。2人が一度にネットを振れるほどはいなかったので、「一振りチェンジ」と決め、自分の番になると必死で目を凝らしたものだった。
 午後になり、峨々温泉を見下ろす道を歩いていると、辺りの木々でエゾゼミが鳴いていた。
 「なぁ、ちょっと…」と声をかけ、1本の木にそっと近づいて蹴とばした。「ギ、ギ、ギ~…」とエゾゼミが落っこってきた。「ア~オラヤ~!(宮城県北の感嘆詞)」と驚愕したSは、「なして(どうして)落づてくんの?」…。
 小学2年の夏、仙台市の郊外にある親父の実家にいた。今は仙台放送の社屋が建っている辺りが松林で、そこから聞き覚えのないセミの声が聞こえてきた。「あのセミなに?」と聞くと、「松ゼミだ。採りに行くか」。網を持ち、麦藁帽子をかぶってついて行った。あまり太くない松の木の下に行き、セミがいるのを確認した親父は、おもむろに木を蹴った。そうするとエゾゼミが「下に凸」の放物線を描いて落ちてきた。どうして?と立ちすくんでいると、「早く拾え!」と言う、慌てて草にしがみついて登ろうとしているエゾゼミを捕まえてかごに入れた。胸背部の「W」が印象的だった。どうして網なしで採れるのかを聞くと、頭を下にして止まっているから落ちてくるのだと。Sとのときはそのことを思い出し、ボク自身は初めて試みたことだった。蔵王のエゾゼミには迷惑なことをしたが、2人してずいぶんと蹴落とし、遊ばせてもらった。
 そんなSとの採集行から四半世紀以上も経ち、穂高の宿で田淵行男先生の署名入りの「山の意匠」を見せられた。その中にコエゾゼミについて記された部分があり、「木を蹴とばすと落ちてくるくせにうるさい…」と。「エッ!」と思った。親父の採集法と同じだったからである。ひょっとしてこれはエゾゼミを採るのに「ノーマル」な方法なのか。
 親父が虫採りに興味があったとは聞いていない。ただセミ採りは得意分野みたいで、松島で斜面から立ち上がった木にいきなり手を持っていき、「アッ!逃げられた」と残念そうにしたことがある。「何がいたの?」と聞くと、「松ゼミの小さいヤツ。ほら、あっちで鳴いてるだろ」と言う。聞こえてきたのはチッチゼミの声。子供時分にエゾゼミとともに松林で採ったことがあるらしいのだが、エゾよりも難しかったそうである。
 エゾゼミの蹴とばし採集法、どのようにして知ったのかはまだ聞いていない。今年傘寿を迎えたのだから、何かある前に一度きちんと聞いてなければ…。そして山に行ってエゾゼミの声を聞いたら、久し振りに蹴とばしてみよう。
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by luehdorf | 2007-07-03 22:27 | チョウなど | Trackback | Comments(0)

自然とのつきあい方

 一人で林道を歩いていると、下の斜面から物音がした。後ずさりする間もなく顔を出したのはカモシカだった。先方もいきなりの対面に慌てたらしく、後脚を滑らせて腹ばいになり、こちらを見ながらもがいて立ち上がると、道を横切って駆け上がっていった。クマじゃなくて良かった。
 考えてみればこちらが「闖入者」なわけで、あちらの縄張りに入って驚かせているんだ。彼らにすればいい迷惑であろう。
 帰りの道すがら、「クマ除けの鈴」なんてもんも、彼らにとっちゃ鬱陶しいものなのではないかと思ってしまった。クマだって個性があるだろうから、飯を食ってたり昼寝を楽しんでいるときに、「ホ~ラ、ヒト様がやってきたんだよ~」ってな感じで音を発せられたら、「邪魔すんなよ~」って怒るヤツがいてもおかしくはない。いや、いて当然である。そしてそんな手合いに「よくいらっしゃいました」って逆にお迎えに来られたらと考えたら、背筋が寒くなった。
 だってこれが反対になったらクマたちにとっては死活問題なのだから…。ちょっと見下ろした先に畑があり、労せずして餌を摂れる。彼らにとって食うことは生きることだから、それが楽にできるところに出て行くに決まっている。それで人里に下りれば姿を見せただけで銃を持ったヒトに追い立てられ、運が悪けりゃ「ズドン!」である。そこには「絶滅危惧種」なんてカテゴリーは無意味になり、「有害獣」(例え畑なんかを荒らしたりしてなくとも)というくくりが待っている。この天国と地獄ほどの差のある扱いは、みんなヒトの都合なのである。
 だから、野生生物のエリアにボクらが入ったときに、クマの都合で考えられたらと思うと、とても恐ろしいことだ。
 チョウチョやなんかに気がいって、無防備になってしまっている自分を省みた。耳、鼻、目そして空気の肌合いを感じる感覚を鋭敏にし、自然は決して優しくはないということを再認識しなければならないと…。
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by luehdorf | 2007-07-01 02:05 | チョウなど | Trackback | Comments(2)