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一億総病人化?

 4年ほど前、「140㎜Hg-90㎜Hg」と基準の下げられた「高血圧」がまた基準を下げるんだとか…。前回の変更では日本中で高血圧患者が3倍になったそうなのだが、今度の変更ではどうなるのか。収縮期(最高血圧)で128㎜Hgが境界だとか言われているが、それを超えて「高血圧ですよ!」ってなった人に、医者はどのような治療をするのだろうか? まさか早速降圧剤の処方をすることはないだろうと思うが、はてさて…。そんなことしたら、日本中が低血圧になってしまい、冷え性が増えたり、活動性が低下したりと、とんでもないことになりゃせぬか。
 大体、血液データによる健康診断の結果報告なんて、分析値をコンピュータに放り込んで、ボーダーをコンマ1でも超えれば「アウト!」って言うもんなんじゃないの? 前日までの生活の様子なんて全く考慮に入れられてないんでしょ。十何年か前、無理やりに健診を受けさせられて、肝機能がひっかかった。医者の友人に電話してみると、「お前、前の日ちゃんと寝た?」、「ほぼ徹夜」、「それだよ。2、3日ゆっくり休みゃぁ戻るよ」ってチョン。やばいかなと思ってちょっと怯えていたボクは、輪をかけて無茶しましたよ。でも何てことない。
 我がパートナーは昨秋、48週に及ぶインターフェロン治療を終えC型肝炎ウイルスを駆逐した。事後の経過もよく、まぁ完治であろう。しかし、インターフェロンはリュウマチ患者との相性が余りよくなく、時として「肺の線維化(医学用語では『繊維』じゃないんだよね)」が生じると言う。彼女もその例外でなく、レントゲンで小さな影が見つかり、別口で呼吸器内科にまで通った。喀痰検査ではシロ、しかしレントゲンの影を見た医者は、「80%の確率で肺癌」と言った。9ヶ月の経過観察の結果、影が肥大することはなくて一応無罪放免になった。しかし、レントゲンに現れた小さな影だけで癌を予告する医者ってどういうもんだろうか。女医と聞いたとき、ボクはテレビでタレントを脅かす「○木数子」を想像してしまった。
 失礼を承知で書くが、どうも医者や医療機関は病気を作っていないか? いみじくもパートナーは、「医者にかかると変なもん見つけるんだよね」と言った。糖尿の境界値も下げると言う話も聞こえてくるが、そういうことをしてたら「健康」な人間なんてほんと一握りになっちゃうでしょ。
 ボクは医者にかからない、そして健疹や検診を受けないことが健康である唯一の手段であると言うことを悟った。
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by luehdorf | 2007-01-30 23:58 | 酔っ払い | Trackback | Comments(1)

放言

その1 
 1984年、そうロスアンジェルスオリンピックの年である。ボクの勤める塾に、在日朝鮮人の非常勤講師、鄭君がやってきた。歓迎会で頼んだつまみがお互いに「ホヤ」だったことから意気投合し、火曜日はハングルのお勉強(=焼肉屋での飲み)、金曜日は音楽のお勉強(=飲んでカラオケ)と学校にいた頃よりもお勉強に励んだ。
 そんなある日、イレギュラーに居酒屋で飲んだとき、モツの煮込みに一味唐辛子を振っていると、「ハッシー!『リーボック』っていうスポーツシューズのメーカーはね、同胞の『李』さんと『朴』さんがつくったからその名前をとってんだよ!」と言う。「フ~ン」と半分納得しながら、頭の中には危険信号が点滅した。そして気づいたボクは、「じゃぁ、『李』さんも『朴』さんも在日で、ハングルを使えない人なの?」と返した。鄭君は、「バレちゃった!」と何やら怪しいエキス入りの酎ハイを飲み干した。
 そう、韓国語なら「イ」さんと「パク」さんにならなけりゃいけないのだから…。

その2
 若い女性の胸がこの20年ほどとてつもなく成長を遂げている。オヤジ共(勿論ボクもその一員)がそんな話題に盛り上がっているとき、ふと「アレンの規則」を思い出した。そう、「高緯度地帯に棲む生物ほど突出部が小さくなる」というやつである。
 ボクは「世に巨乳が増えているのは『地球温暖化』のせいで、放熱量を増すためである」と熱弁した。ウケた。
 ホントかよ。
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by luehdorf | 2007-01-27 01:25 | 酔っ払い | Trackback | Comments(0)

自然は頑迷な存在

 山梨県の日川の上流に葛野ダムが作られて何年になるのだろうか? それ以前からカミキリやキベリタテハの採集に出向いていて感じることは、ダムができて以後、極端にこれらの個体数が少なくなったということである。
 ダム建設が行われる前、ペンションSの若オーナーF氏と、「動植物に影響はないんかなぁ?」みたいな話をした。彼は環境アセスの結果から、なるたけダメージの少ない方法をとるみたいだから大丈夫ではないかと言っていた。ダムができて2年後の夏、「ハッシー!、ついに尺ヤマメ…」と言う。なんでも、ダム下流の川虫の生育がよく、ヤマメが例年になく大きいんだとか…。そしてこの現象は現在まで続いている。ボクはダムに多量の水を溜めたことで、冬の水温の低下が抑えられたり、下流の流量が減少したり、はたまたバックウォーター部での有機物沈殿による富栄養化などが重なって、川虫の生育にプラスになる要因が生じ、ひいてはヤマメの餌が増加、そして…、と考えている。
 一方、チョウチョなどに対しては、比熱の高い水が大量に溜まっていることで、冬季の気温低下の抑制やそれに伴う湿度の変化が周辺の微気象に変化をもたらして、彼らが「いやぁ、ここは住みにくくなったからどっか他へ行こう」ってなっちゃったりしてるんではないかと思っている。古くからSに来ているチョウ屋たちの夜の会話は、「ホント、少なくなったよね」。
 そもそも、木を伐って何か人工物を作れば、それ以前より変わってしまうのは当然のことで、「こんな生物がいたから、そのあたりは残します」って、集合住宅で暮らす人間じゃないんだから、「そのあたり」にだけ隔離された生物が、「あぁ、分かった」って世代を繋いでいくはずがないと思う。
 自然保護とか環境保全とか、安易に考えてるみたいだけど、ボクは自然は頑迷でボクらのように簡単には妥協しないもんだと理解している。だからコントロールしようなんて考えることが間違っているとしか言えない。
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by luehdorf | 2007-01-27 00:56 | チョウなど | Trackback | Comments(1)

日本酒の楽しさ

 3日に1冊のノルマを課し、年間120冊以上を読破するという目標を掲げたのは2001年だった。1冊読了するごとに手帳に記し、何とか6年を過ごした。
 昨日読み終わったのが「闘う純米酒」(平凡社)で、埼玉蓮田の「神亀」の小川原さんのドキュメントである。20年近く前、高校の同級であったH山の誘いで、ここの新酒を蔵で飲む集まりに出向き、目を見開かされた。アル添をしない純米酒、本当の日本の酒なんだって思った。だから周りが利き猪口の酒を口に含んで脇のバケツに吐き出すのを見て、「何てもったいないことを」と、次から次へと飲んでいってえらく酔っ払ってしまった。以来、自分で買う酒は純米限定になった。その日の気分で、あっためて良く、冷やして飲もうとこっちの勝手だからである。一番の好みはぬるめの燗か、熱くつけたのを置いといた燗冷まし。つまみは何でもOKである。この本にあった、酒盗の純米酒洗いはいずれやってみよう。自分でつくった塩辛と違い、酒盗の妙なうまみ(添加物の化学調味料)はとても邪魔で、積極的に買って食う気がしなかったものだから…。
 2週間ほど前、姪っ子が少しずつ楽しもうと思って買った「菊姫」の純米を、飲兵衛の父親に一晩で飲まれてしまったと言って怒っていた。いいよ、日本酒のしかも純米を楽しもうって言うんなら今度一緒にやろうと慰めておいた。
 この本を肴にまじめに飲んでみるか。
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by luehdorf | 2007-01-24 00:47 | 読書 | Trackback | Comments(2)

隔離は保護か?

 「採ること」を禁じて保護であるかのような論ばかりがまかり通っている。みな抵抗もなくこういった風潮を受け入れているようだが、果たして…。
 多くの採集禁止地は「ダメ」というだけである。いわば世話をしない動物園状態。こんなことで本当に保護ってできるのだろうか? 
 いよいよギフチョウのシーズンも間近になってきたので、こいつについて考えてみると、基本的には里山のチョウで、幼虫が食うものもそんなところの下草である。だから常にヒトの手による伐採や下草刈りで、林床にまで光が入るような環境整備が必要なのである。現実にこのような整備をして保護の施策を行っているところは寡聞にして知らない。以前、ある地の保護団体の連中がガタガタとうるさいから、前述のようなこともやらないで何が保護だよって言ったら、アンタ達がやれだと。一向に構わない。ネットと一緒にノコギリ、ナタそしてカマなんかを持っていけばいいんだから。だから、やってもいいよ、その代わりそこで増えたギフは採るよって返すと、それもダメだという。バカだねぇ、増え過ぎたら間引いてやんなきゃ却ってまずいじゃないか。日光や丹沢のシカに見られるように、増え過ぎて農地やなんかを荒らすようになったら今度は「有害」ってか。まぁ、ギフが増え過ぎてシカやサルみたいな被害は出ないだろうけど…。
 「採っちゃダメ!」と隔離し、何かのCMじゃぁないが「見てるだけ」では保護にも何にもならない。その種に合った周辺の整備をしてやらなきゃいけないんだ。これは決して簡単なことでなく、草原性の種ならその草原の保全がまず優先されるし、オオムラサキなんかだったら、食樹のエノキだけでなく樹液の出るクヌギやコナラの林、それも結構な広さのあるものが必要となってくる。そういう視点のない保護論は、牛や豚を食肉のために殺すのはOKだが、崖の中腹にひっかかったノラ犬はかわいそうだから助けろっていう自然観と大して変わらない。
 大体において、採集圧に屈するようなその地の個体群は、採らなくたっていずれ短い期間で滅びるようになってしまってるとボクは思う。それは採られたから滅びるんではなく、C.ダーウィンが150年ほど前に言った「自然の選択」なんですよ。つまり、「適者」になれなかったってこと。
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by luehdorf | 2007-01-22 13:50 | チョウなど | Trackback | Comments(0)

採集禁止への処し方

 忙しすぎて更新もままならなかった。'07の年頭にあたって覚悟を記しておこう。
 「採って」いるとネックになるのが、地方自治体の条例などによる「採集禁止」という枷せである。ギフチョウに関していえば、山形県の大石田が最初だったんではないだろうか。外国人の陶芸家かなんかが、採ることはいけないとかいって町を煽ったように聞いている。川前というポイントは小山のすそに田んぼが広がったところで、山に人の手は入っていないものの、畦道のコシノカンアオイや奥に入った休耕田の脇のウスバサイシンに、ギフやヒメギフの卵がたくさんついていて、決して危うい状況ではなかった。変な産み方をしてるな? と思って3卵持ち帰り、雑種が出たのもその頃だ。だから大石田が採集禁止になるということを聞いて、最初に感じたのは「何でなの?」ということだった。
 確かにその2,3年前、朝日新聞の「青鉛筆」に「大石田のギフやヒメギフがワンペア5万円で…」みたいな記事が載った。「何をたわけたことを」と都内の標本屋を周ってみたが、1頭2,000円もしなかったことを記憶している。こんないい加減な報道から、白馬だ飯田だと採集禁止を掲げる所が増えてきた。白馬に至っては、オリンピックのジャンプ台建設に伴う環境アセスメントの結果、「いない」といっときながらの「採集禁止」。これじゃ「採り屋」に、「いないものをどうやって採るんだ!」って開き直られるのは当たり前で、訳のわからんこと夥しい。その他の地も、「保護してる」と看板には書くものの、具体的な方策がとられていない。山梨県の旧富沢村のあるポイントなんか、20年近くの間に日本の林野行政の貧困さの象徴であるスギがボウボウに伸びて、あれじゃギフが世代を繋いでいくことなんてできっこないっていう状況になっている。
 こんな決めに対して、ボクはソクラテスじゃないから、「悪法も法」と諾々と従うつもりもないし、「ダメなものはダメ」という教条的思想も持ち合わせていないから、堂々と「採らせて」戴く。唯一、赤城のヒメギフには手を出さない。地元のチョウ屋が食草やら卵、そして幼虫や成虫のカウントをしっかりとやっているからである。このようなデータ集積は、いずれ赤城のヒメギフが人の手を借りずとも、環境整備をするだけで増えていくかあるいは消えてしまうのかという命題への重要な解答を産む貴重な仕事であると考えるからだ。それを邪魔してはならないのは「採り屋」の最低のマナーであると思う。
 ある県の担当官が、「行政が自然破壊をするのは許されるが、採集者が採るのは許されないこと…」やらの発言をしたとか。バッカじゃなかろうか。「貴重だ」とかなんとか情緒的なことばをくっつけて勝手に条例を制定しときながら、自分らだけはその埒外だと…。こういう権力の濫用には、力を持たないボクらはゲリラ的に対抗していくしかない。池田清彦氏が山梨大にいた頃、山形のチョウアカの話題になったとき、「オレはさ公務員だからヤバイんだよ。だからさ場所教えるからお前行って来いよ」と卵の採集をそそのかした。いいですよ。ボクは何も失うもんなんかないって思ってるから、きっちりと採らせてもらいます。
 3月26日、本年の振り初めを山梨県南部町で…。
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by luehdorf | 2007-01-11 14:02 | チョウなど | Trackback | Comments(0)