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お土産から感じたこと

 前の住いの外壁修理のため、ベランダに置けず他へ預けていた鉢植え類が戻ってきた。実生の清見オレンジが丸裸になっているからよく見たら、クロアゲハの終令幼虫がついていた。こつこつと増やしたパンダカンアオイの根元のスミレに食い痕があるので、もしやと思って葉っぱを裏返すと、ツマグロヒョウモンの幼虫が、大きいのやら小さいのやらしっかりとついていた。嬉しいお土産である。
 今年は9月からこっち、やたらとツマグロを見た。昨年は10月半ばに日大病院の駐車場を翔ぶのを見ただけだったから、ちゃんと都内に定着したんだなって思いで眺めていた。
 ナガサキアゲハも含め、南方系のチョウの進出に、「地球の温暖化」がどうたらいう話を聞くが、本当に地球は温暖化してるんだろうか? 以前、池田清彦著「やぶにらみ科学論」を読んだとき、そのなかに「地球温暖化論はいかがわしい」という章があって、池田さんらしい切り口でその危うさを論じていた。その後思うところがあって、「地球温暖化(伊藤公紀著)」、「CO2地球温暖化説は間違っている(槌田敦著)」などを手にし、特に後者では、自然科学者は蓄積されたデータの正しい読み取りが大切で、そこをまげて多勢についてはいけないという、確固とした姿勢を学ばされた。槌田先生の論証の根拠は、他の学者連中も当然知っているものなのだが、そこから導き出される説は明らかに少数派である槌田先生の方が、何も知らない人間(=マスメディアなどに「刷り込まれ」てそれを信奉している人間と対極にある)を納得させるものであると思えた。
 大体、ツマグロヒョウモンを例にすると、こいつは1996年までには長野県に入り込んでいた。信濃毎日新聞社から出た、「信州の蝶(1996)」には越冬幼虫の記録があることが記されている。いくら暖かいといったって、長野のどこが東京よりも暖かいんだろう。静岡から山越えするよりも、太平洋岸を東に移動して東京を目指す方が合理的に思える。だから地球が暖かくなったから勢力を拡大してきたんじゃなく、種自体の耐寒性が上がったからだって言ってもおかしくないんじゃないか。それをみな「地球温暖化」のなせる業と断じる世の風潮には首を傾げてしまうしかない。ボクはツマグロに対しては、ガーデニングブームが分布拡大を促進したという珍説を挙げる。だって、園芸店にはビオラのポットが所狭しと並べられていて、ツマグロの格好の産卵場になってるから。
 槌田先生は今の、CO2が悪いんだよっていう世相は、ファシズムであると言っている。それにより、異説は学術誌にその論文掲載さえ拒まれるのだとか。そんなのはもう科学じゃない。ある事柄に複数の説が生じるのは珍しいことではない。それに対して論議をし、検証をして結論を導くべきで、少なくともCO2による地球温暖化というのは、初めに結論ありきだったのではないかという感が拭えない。
 スミレを食うツマグロの幼虫を慈しみながら、「急に寒冷化したらどうするんだろうな?」ってことでも想像してようか。
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by luehdorf | 2006-10-29 18:42 | チョウなど | Trackback | Comments(4)

よ~く考えよう

 「自然保護」って本当にできるのか?
 地球上に生命が誕生したのは35億年前…、なんてことが生物の教科書には書いてある。その後の流れを見てると、みんな繁栄そして絶滅なんだよね。ってことは今少なくなってる種ってのは、繁栄の時期を終えて静かに消えていく、いわばこれまでの生物がたどった「必然」の道程にあるってことじゃないのかな?なんてことを最近は思うようになった。だから、「自然を大切に」とか「貴重な(これが一番嫌いな言葉!)生物の保護を」なんてスローガンを聞くと虫酸が走る。そんなことに一生懸命な人に、「ゴキが少なくなったら保護するんですか?」、「「オオスズメバチは何で助けないんですか?」って聞いてみたい。どう答えるんですか?
 ある生物の数が少なくなっていく、これって必然ではないかと思う。150年近くも真理とされている、C.ダーウィンの「自然選択説」が正しいなら、まさにその通りでしょ。「自然」に、「お前はダメ」って選ばれなかった種は滅びるしかないんですから…。何もそんなに我々ヒトの活動の結果そうなったなんて、責任を感じる必要はないんではないかと思うのだ。
 ウソっぽいんだよ、「地球に優しい」とか言う文句は。何をそんなに偉ぶってるのって言いたい。偉そうにしてながら、まだ地震がいつ来るかさえ分からないでしょ。コンピュータを使って大丈夫ったって、揺れて壊れない道路すら作れないのが我々なんですよ。もっと謙虚にならなくちゃぁ。「自然」は我々が過保護なまでに守ってやろうとしなくったって、十分回復する能力を持っているんですよ。
 ボクの住む板橋区、ユスリカ対策のために新河岸川の堤防にはブラックライトが並んでいる。ユスリカって言っても別に「恐喝」もしないおとなしい蚊なのに、ましてや吸血もしないのに、「蚊」というだけで嫌われる。それでいながら「トンボが翔ぶ~」だと。トンボはユスリカを食うって。餌がなかったらトンボは増えないって…。トンボは電池で翔ぶんじゃないから、彼らの食うものだって確保してやらなきゃいけないんじゃないのかな? 勝手に「不快昆虫」とかの肩書きをつけてユスリカを排除する。どこか変ではないですか?ましてユスリカは汚かった水界がきれいになり始めたって言う、指標生物じゃないですか。
 そろそろ「ヒト至上主義」を捨て去る時期に来ているのではないか。そもそも我々は、藍色細菌(ラン藻)が大繁栄して光合成をし、大量に酸素を放出したという「大気汚染」の結果を利用して生活活動のエネルギーを得ているんだから。
 自分(ヒト)は他の生物とは違うっていう考えはとてつもなく大きな誤解があると思う。ヒトだって単なる地球上に生きる「種」の1つなんだよ。
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by luehdorf | 2006-10-28 01:55 | チョウなど | Trackback | Comments(2)

イヤァな世の中

 朝のワイドショーを見るともなく聞いていると、児童の指導に自信を持てなくなった若い女教師が自殺したとか…。親が「子育てもしたことないくせに…」とか色々突っ込んでたらしい。でも、これってはっきり「イジメ」じゃないの? 子育てしたことのない女性が小学校教員になれないんじゃ、小学校教員はみんなババァがやれってこと? 大体今の親御さんたち、ホントに自分がやってきた子育てに対し、きちんとやれたって自信を持って言える人が何パーセントいるの? ガキンチョたちの生態観察をすれば、そんなことはっきりしてるよ。
 高校生になっても挨拶ひとつきちんとできない。ほんのちょっとの時間でも座り込んでしまう。所構わずものを食い、挙句に包みや何かをふっ散らかしていく。
 ボクは昔の横丁のガンコ親父が好きだから、目に余れば言わしてもらってる。昨年の出来事だったけど、本屋で本を探して歩いてたら正面から来た高校生が寄ってくるんだ。こっちがよけたのに何の目的か肩をぶつけてにらんで来た。すかさず外に引っ張り出して、「お前さん、S高校だな、その制服は」って先制パンチをかまして、「ちょっと学校までつきあえよ。人にわざとぶつかって喧嘩売るようなこと教えてんのか聞いてみたいから」と言ったら、そいつも顔色が変わったけど、もう一人いたのが半泣きになって「すみません!」だと。分もわきまえないことをやる若いのが増えたよね。
 面白くないことがあったら、周りに人がいないかどうかを見て足元の石っころを蹴飛ばせばいい。じゃなけりゃ、腕立て伏せと腹筋を100回ずつやればいい。こっちなら体も鍛えられる。
 こんな世の中だから何があるか分からないんで、あんまり口出すなって言う人もいるけど、どうにも我慢できないことってあるんだ。義務を分からないやつ、最低のマナーもないやつ、そんな人間を育てたのは誰なのさ。「親は子の鑑」って言ったっけ? でも「子どもも親の鏡」で親をちゃんと写してるもんだ。「親バカ」は許容範囲だけど「バカ親」は許せない。
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by luehdorf | 2006-10-26 02:07 | Trackback | Comments(2)

ルードルフィアフリークとして

 ギフチョウの仲間、いわゆるルードルフィア(Luehdorfia)を初めて手にしたのは、1967年の4月、宮城県の田尻町(現大崎市)、加護坊山でだった。友人のSが、そこでの記録を知っていたのか知らなかったのかは覚えていないが、高校に入学した春、環境が変わったことによるちょっとした昂揚状態で出かけたときの出来事だった。高校を終えるまでの3年間、毎春通ったが、結構数も採れるし「楽なチョウチョ」というイメージだった。だから東京に出てきても、あまりギフには興味がなかった。
 30も目前になった頃、奥多摩で出会った若いチョウ屋に、谷汲(岐阜県)と石神峠(静岡県)の話を聞いた。田舎の感覚で、「まぁ楽なもんさ」と東京発23時何分かの大垣行き鈍行に、自転車を担いで乗り込んだ。そこそこの成果を挙げ、「こんなもんか」と今度は富士川の流域に出かけた。完敗した。大体において、ネットを持った連中が斜面をえっちらおっちらと登っていく意味が分からなかった。だって、宮城のヒメギフは道端をパタパタ翔んでんだから…。そう、後ろに山を控えた田んぼの縁を何で飛ばないんだって思った。色々と調べてみると、山頂占有性を見越して開けた尾根で待つのがいいのだとか…。地形図をもとにロケーションハンティングをした。ここぞと思った場所で見事に成果を挙げたときのことが快感になり、はまった。そして毎年、3月末から6月まで、ギフの姿を追い求めている。
 あれほど採れた郷里のポイントは、スギの間伐もせず伸ばし放題だったため、見事なスギ林に景観を変え、全く姿を見ることができなくなった。地形図を見ると、尾根を伝って東にいった涌谷町域によさそうなところが2,3ある。あと何年やれるか分からないが、チョウ採りの晩年は、宮城のヒメギフをまたネットに入れてみたいものだ。
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by luehdorf | 2006-10-25 00:05 | チョウなど | Trackback | Comments(0)

得意種目は「吊り輪」です…

 体操の世界選手権(デンマーク)を見た。今回から採点方法が変わり、難度得点のAと実施の際の過失を減点するBの合算による採点方法になった。見ていて思ったことは、B審判の技量が低いんじゃないか?ってことだ。足割れ、静止でのバーの握り替え、不十分なひねりでの車輪の歪み…、こういうのは小過失としての減点が1つの技ごとにあってしかるべきなのだが、果たして体操後進国(失礼な言い方だがあえて…)の審判はきちんと捉えられていない。
 何年か前のアジア大会の吊り輪。池谷(兄)が後方車輪からの倒立できちんと止められず、前に倒れ、振り上り倒立で「ゴマかし」た。倒立が静止して前に倒れるのはこれは技だが、倒立で止まっていないで戻るのだから明らかな過失である。ところが審判はそれを判断できなかった。主審の加藤(澤男)さんはさすがにそれを見逃さず、9.2をつけたのだが、残りの3人が9.7~9.8を出してしまう。当然、加藤さんの点はカットされ、決定点は9.7とかになっちゃう。何たることか、である。確かに演技構成において、「逃げ」を用意することはある。しかしそれも流れを自然にしなければ、見ているものに「アレ?今のヘンだな?」と感じさせてしまうものである。特に審判には…。
 30年前のモントリオールで、あのナディア・コマネチが10点を連発したことでおかしくなった。あの頃から、技の派手さにだけ目がいき、小さな過失を無視する傾向が出てきた。だって、コマネチの段違い平行棒の終末、「後方足裏支持振り出しからひねって後方宙返り(ケステのひねり後方宙)」でのあの足割れはどう見たって0.1~0.2の減点だよ。平均台だって2,3ヶ所でバランスを崩してるし。いつの間にか体操は「きれい」に難しいことをやるんじゃなく、ドタバタとサーカスみたいなことをやって最後の着地が決まれば満場の拍手で「10点」てな感じになってきた。今回からの採点方法は、30年経ってようやく、体操の本道を取り戻そうと言う動きに見えるが、それには国際審判員の技量の向上を図らなくてはならないのではないか。
 スペシャリストが跋扈する体操界、個人総合をとった楊威と富田は貴重なオールラウンダーだ。とりわけ富田の体操は「美しさ」でいったら比類がない。カビの生えた言葉かもしれないが、「日本体操の伝統」を継承している。オリンピック、世界選手権で連勝していた頃の「きれいな線」の日本の体操は、旧ソ連がずっと追いかけたものだった。だからモントリオールの覇者のニコライ・アンドリアノフは、遠征で日本に来ると、塚原(父)さんや加藤さんなどと居酒屋で飲みながら奥義を吸収しようとしたんだ。ロシアのネモフはその集大成だった気がする。そんな観点から見れば、中国は肖欽のあん馬にちょっとそれが見えるが、後はいまひとつである。
 くれぐれもA得点重視にならず、B得点をきちんと採点する流れになってほしいものだ。
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by luehdorf | 2006-10-20 14:05 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

どっちに合わせるか?

 1974年の夏だった。ボクが所属するサークルは、東北周遊券を目一杯使う目的の奥羽山脈+早池峰山の採集合宿を行っていた。
 焼石岳に始まり、早池峰、岩手山そして八幡平。途中脱落OKの気楽な採集行だった。焼石は夏油から入って経塚山経由、金明水避難小屋泊の本峰ピストンの予定だった。夏油から4時間ほどで経塚のピークに着いた。なだらかな草つきのピークにはベニヒカゲが乱舞していた。採り屋はF田、H合、O島の3年トリオと2年生1人、そして体育の4年という何とも毛色の変わったムシ屋であるボクの計5人。そ~れとばかりにネットを振り始めた。すぐに「ツ抜け」したボクは20弱で避暑に来ているアカトンボと遊び始めた。
 1時間ほどたっても残りの4人はネットを振っている。もう3桁はいったろうと思い、撮り屋のS野に、「あんなに採ったら展翅板が間に合わないだろ?」というと、「あいつらは展翅板に合わせて採るんじゃないんです。採った数に合わせて展翅板を用意するんですよ」。
 何という発想だろうか。彼らが大量の三角紙を用意していたのはそれでだったのか。ボクはいつも三角缶の中の分だけを考えていたのだから驚いたのなんの。そうすると箱だって採ったチョウチョの数に合わせて用意するのか。舎費が月額100円の自治寮住いの身にはとても真似のできることではないと思った。
 そんな思いはいまだに消えず、この春、20年ほどお付き合いさせていただいている兄貴分、「テツ兄」から携帯展翅板をもらったので、何本かの展翅板を買い足したが、ボクの持ってる展翅板で一番古い奴は、'62年頃に仙台の藤崎デパートで買ったもの。飴色に変色してとってもいい味を出している。何せ上板が可動式なんだ。三角紙の予備こそ持っていくようになったが、今でも「展翅板が間に合うかなぁ?」と考えながら採っている。基本はワンペア+採卵用のメス。
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by luehdorf | 2006-10-20 01:35 | チョウなど | Trackback | Comments(0)

再びカミキリを…

 「へなちょこカミキリロード(市川和雄著)」を一気に読み終えた。
 30年以上も前、潜りこんだ研究室がカミキリブームで、カミキリをやらない奴はヒトにあらずみたいな雰囲気だった。ガ屋のKさんもチョウ屋のボクも、メッカ桧枝岐へ拉致されたし、特に年少のボクは、左利きのため右と左の区別が瞬時にできないTさんのナビゲーターとして重宝がられ、「チョウチョなんか時代遅れなんだョ」と朝っぱらから叩き起こされ、いすゞベレットの助手席で、「そっちです…、こっちです…(右、左って言うと逆に行くから)」とハンドルの前で指差してたもんだった。
 でも初心者が桧枝岐みたいな所へ行ったのが不運だった。だって、図鑑を見たら珍しいとか書いてあるのが楽チンで採れるからだ。そして増長してしまう。「カミキリって簡単じゃん」。3年で熱が冷めてしまった。電動かんなを買って得意になっていた親父と作ったビーティングネットの骨もどっかへやっちゃった。そしてチョウチョに戻って30年…。
 今回、この本を読み、「またカミキリをやるか!」って気にさせられた。そう、背伸びせずにじっくり取り組めばいいんだもん。あのときは周りのベテランに何とかついていこうと、随分と無理をしてたような気もする。ピドニアを一生懸命分類・整理しようとしたもんなぁ…。来年はとりあえずこいつらは無視し、大き目の分かりやすいのから攻めていこう。基本は花しゃくりと材のルッキング。しゃくっていてピドニアがいたらリリースすればいい。ナイターも大菩薩に行ったときだけにする。こんな風にまず領分を決めとけばそんなに無理ではないはずだ。
 まずは春のカエデの開花期に…。ン~ン、楽しみだ。
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by luehdorf | 2006-10-17 02:15 | チョウなど | Trackback | Comments(4)

アホな条例

 ある掲示板にちょっと気になる書き込みがあったのでその先を覗いてみると、昨年の3月に発効した長岡市の条例で、ギフチョウが保護動物に挙げられ、無許可の採集ができないんだとか…。何で新潟でギフを…、という感が拭えない。だって今日本中で一番ギフの多いところでしょ。シーズンに翔んでるチョウチョでもっとも個体数の多いのがギフチョウなんだから。
 そもそも保護する理由はなんなのか?そしてどのようにして保護するのか?全く明確でないのが気に入らない。「希少生物」との表記があったが、ホントに「稀少」なのか。きちんとした調査もなされずにどこやらの市町村が同じことをやってるからウチも、なんていう感覚なら言語道断である。こんなことをやって現実には指定しっぱなし、つまり「過保護」でおかしくなっているところばかりじゃない?
 山梨県南部町富沢、旧富沢町教育委員会が立てた看板があるのみで何にもしてないから、スギが伸びっぱなしになってる。木を伐って陽当りよくしてやんなきゃカンアオイが育たないし、ギフだって増えないんだって。長野県飯田、保護地域にゴミ処理場かなんか作ってなかったっけ? 環境アセスメントで「いない」とやらの発表しながら現実にはいたんだってところもあるし、訳の分からぬ外国人が煽ったら条例制定したところもあった。田舎ってところは「ガイジン」さんの言うことには弱いから…。
 ボクはゴキブリが早く少なくなんないかって思ってる。そんときに行政は「保護生物」にするんだろうか? また、稀少という観点から見れば、ツキノワグマの方がずっと稀少でしょ。でも彼らが里に下りてくると、大騒ぎされ、挙句の果ては有害害獣とかで駆除される。クマに生まれたばっかりに…。クマ君、来世はギフチョウになるんだョ。
 人間を主体に見て有害とか有益とか、貴重とか不要とかの自然観は捨て去るべきじゃないかな。だから「地球に優しい」とかの思い上がったコピーがメディアに氾濫するんだから。
 そういえば、先の条例にはメダカも指定されていた。小千谷の佃煮屋さんはくれぐれもご注意のほどを。名物の「メダカの佃煮」の原料調達に、夢中になって長岡市域には入り込むことのありませんよう。老婆心ながら。
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by luehdorf | 2006-10-16 12:18 | チョウなど | Trackback | Comments(2)

天然林って?

 浅間山系の地蔵峠と車坂峠を結ぶ道沿いに、「400年のカラマツ天然林」と看板のついた林がある。あんな標高のところにカラマツが自生したとは思えないから、400年前に誰かが植えたんだろう。つまり400年経過したから「天然」と看做すってことなんでしょう。随分といい加減な話であると思う。
 まず、カラマツについてのボクの思いからいうと、決して嫌いではないがありすぎだよ。梅雨時の新芽の先の結露、晩秋の黄色い枯葉のシャワーと確かに季節を感じさせる風情はある。ただ、カラマツの林ってカラマツばっかりでほかの植物が見られない。だからムシも見られない。ヤニが強いのか、何か化学物質を分泌してのアレロパシー(他感作用)なのか…。平地に見られるセイタカアワダチソウの大群落を思い出してしまう。
 長野の他の地域では、戦後すぐの林野行政により、広葉樹を伐採してカラマツを(わざわざ)植えたと聞く。成長が早いからとか、用材として利用しやすいとかで…。それがどのように転換したのかは知らないが、結局ほっぽらかしにされてでっかいカラマツの林だけが残った。ってことは、あと300年ほどで入笠山のカラマツ林も「天然林」てことになるのか。勘弁してほしい。
 天然林てのはクレメンツの「遷移説」を挙げるまでもなく、植物が競争した結果できあがった極相林あるいはその遷移の途中の陽樹林なんかをいうべきだと思う。全部人が手を加え、時を経たから天然だなんて詐欺的だ。
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by luehdorf | 2006-10-13 13:52 | チョウなど | Trackback | Comments(2)

何てこと?

 仕事をしながらニュースを聞いていると知った名前が…。横領容疑で逮捕だと。人は見かけによらないと言うが、とにかく驚いた。また仕事場の同僚Ⅰ氏に、「ハッシーと縁の切れたところは危ないよネ」って言われそうである。そうこれで3件目。最初は脱税、2度目が詐欺紛い、そして今回。オレって危険を察知して逃げ出すネズミなのかな?
 今回の彼は結構親しく話もした関係だ。いつの間にか独立したとかで姿が見えなくなって、久し振りに見たのは連行されるとこ。ちょっと哀れさを覚えた。C型肝炎を患っているとか言っていたから、ヤケになったのかな。
 無事に出ておいで…。
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by luehdorf | 2006-10-12 13:21 | Trackback | Comments(4)