カテゴリ:麻雀( 1 )

牌積む日々(1)

 東京に出てきて入った「学寮」、旧陸軍の兵舎をそのまま利用したという貧乏学生の収容施設ではあったが、ボクにとっては天国だった。
 夜になっても明かりの消えることのない不夜城で、4棟80室あまりのどこかで必ず卓が立っていた。極めつけが階段下の倉庫を改造した通称「雀室」で、寮生の上位ランクの人間が打てる場所だった。
 体操を辞めて引きこもり始め、のめりこんでいった。1月末か2月始め、深夜に卓が割れて5年生の先輩と2人、所在無く話をしていた。ドアが遠慮がちに開き、「打ってもらえませんか?」と声がかかった。寮にあるプレハブで飲み会をやっていたボランティアサークルの2人で、3年と1年だった。拒む理由とてないので、ルールの確認だけして早速にゲームが始まった。向こうの3年生が1年生の名を呼ぶのだが、それがボクと同姓なのである。出を聞くと同じ東北、お互いに何とない親近感を感じたのだった。
 その1年生、「タイジ」は、とてつもない打ち手だった。抑制の効いた麻雀で決して無理押しをしない。ボクはといえばまだ力でなぎ倒す麻雀しかできなかった。心の中で「コイツすごいな」と思っていた。
 南場に入って事件が起こった。ボクが5、6巡目に中を叩くと発を続け引きして暗刻にし、筒子が1面子出きあいのところに穴四万、白、九万と引いて、大三元をテンパった。初めての大三元に緊張は極に達し、顔色が変わるのが分かった。3巡後、対面の3年生が摸牌をしながら「ん?」と言って場を見渡した。ボクが叩いた中は4枚目も出ていて出切り、発も1枚走っている。随分長く感じたがほんの1、2秒であったのだろう。その牌が河に切り出された。白だった。
 後になってこの話題になると、タイジは「あの声はでかかったぜ。何せAさん、椅子から50cmは飛び上がったから…」と笑った。
 これを機にタイジは頻繁に寮に来るようになり、やがて寝袋をもってきてボクの部屋に住みついた。もちろん「モグリ」の寮生として…。
 我が部屋2寮9号室、通称「ニック」は、人の出入りが絶えない部屋で、年中雀が鳴いていた。わら半紙に表を書き、半荘ごとの結果を記入していくのだが、ある月には500半荘を超えていた。
 この時期のタイジとのトレーニングは一番の肥やしになった。2人きりのときに4人分の山を作って1人が2人分を担当して打つ、手の進みだけを考えて打っていくと誰かが放銃する。するとそこは次回に配牌もツモも悪くなる。第三期名人古川凱章さんが唱えた「体勢論」が具現しているのである。また一色牌を理牌せずにツモって捨て、聴牌を読むなんてこともやった。極めつけは記録用紙を手作りし、お互いが抜けているときに摸打を記録したのである。これは後に新聞や雑誌などの麻雀の記事の速記のバイトをやったときに役立った。
 様々ないたずらのトレーニングもやった。生意気な後輩2人を相手にしたとき、タイジの山を積む動きがおかしい。サイコロのラインを気にしているので、下家のボクは積み終わった山を直すフリをして、自分の山とヤツの山を2山すり替えた。サイを滑らすように振ったら3が出た。14牌を取り終えたヤツは、それらを伏せて山の手前に置き、山を直す仕草でやっぱりやった。当時一生懸命練習していた「ツバメ返し」である。理牌に夢中になっている後輩たちは気づかない。抜いた下山の14牌を起こしたヤツは、「ん?」という顔をしてボクを見、音の出ない舌打ちをした。結果は親の国士を6巡目くらいに出和って、後輩たちはボロボロで帰っていったのだが、一升瓶を股に挟んで茶碗酒を飲みながら、「十三面待ちを仕込んだのに…」とボヤいていた。
 でも不器用でそういういたずらのヘタなボクの抜きに気づかないなんて…。
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by luehdorf | 2008-01-07 10:46 | 麻雀 | Trackback | Comments(6)