「ほっ」と。キャンペーン

カテゴリ:スポーツ( 9 )

ハッシーの体操教室(運動力学の観点から…)

伸膝前転というマットの運動がある。前回りをする際、膝を伸ばしたまま立ち上がるのである。これ、結構難しいもので、小学校時代、「膝の脇に手を着け!」とか言われた。でもうまくやると手を着かずに立ち上がれるのである。
大学時代の体操実技のとき、指導者は金子明友といって、ヘルシンキオリンピックの代表になった方。当時はFIG(世界体操連盟)の技術部長かなんかやっていたのではなかったか。とにかく、技術論では世界ナンバー1の人だった。
言われたことはただひとつ、少し速い前転をやってかかとが着く瞬間に上体を開き気味に起こしてしまえ、と。体操経験者の何人かがやったらあっさりとできた。肝心なのは上体を起こすタイミングで、それさえつかまえられれば誰にでもできるのだ。
先生の説明は力学そのもので、回転のモーメントを前向きの力にしているのだから、上体を開いてやや後ろに起こせば合力は上向きに働くのだ、と。その合力が上向きになるタイミングのつかまえ方だけがキモ。
目からうろこだった。
実は跳び箱だってそう。普通に足を開いて跳ぶ開脚跳びでいい。
まず、上にドンと乗ってしまうコは、走ってきた勢いを踏み切りの前で殺し、さらに踏み切りが前にかからないからちょうど跳び箱に乗ってしまうのだ。こういうコには跳び箱なしの状態で踏み切り板を踏ませ、両足踏み切りでできるだけ遠くに跳ぶ練習をさせる。
次が着手。これ、ほとんどが前にいこうという意識があるものだから、またの下で手を掻くようになる。これがダメ。実は意識としては走ってきた方向に突き返すようにするのだ。そうすれば先の伸膝前転と同様に上向きの合力が働いて上体が起き、足が入ってくることでスムーズに着地に持っていけるのだ。
意識と身体はなかなか連動しないから、突き返しができないことで前にのめることが多い。そこが分かってくるまでは指導者が跳び箱の先に立って肩を支えてやれば危険はない。
高校時代、物理は苦手な教科のひとつだったが、こんなことから力学的な見方の必要性を感じたものだった。
鉄棒の車輪は典型的な単振動の延長。振幅を大きくしていくうちに腰を少し曲げ(これを腰を「とる」という)、半径を小さくしてやることで鉄棒を越えて回るのだ。腰をとるときには体を締め(力を入れて緊張させるんですな)、上方から下りてくるときには腰から下を緩める(これを「抜き」という)ことで半径を大きくする。この「抜き」と「締め」が体操やる上でのひとつのキモと言える。
円運動をしている物体の支えをとると接線方向に飛んでいく。これが車輪からの宙返りの基本原理。高さを必要とするには離れるときのスピードが関係するから、最後の車輪では振り下ろしのときに腰のとりを大きくしていきなり抜く。そのタイミングが合えば前上方に雄大に宙返りできるのである。
ところがこのタイミングが問題で、ぴたりと合ってしまうと高さは出るのだが回転のスピードは落ちてしまう。だから2回の宙返りはいいのだが3回にはちと苦しい。そこでかつての3回宙返りは、両膝を思い切り開いて体の回転半径を小さくすることで回転スピードの不足を補っていた。
今の技術を見ていると、下りに入る前の車輪が極端な横楕円軌道を描くさばきになっている。これは真下を通過するときの半径を小さくすることで円運動の回転速度を上げようとすることがひとつ。もうひとつは手を離すタイミングをわずかに早くして、このタイミングのずれで宙返りの回転速度を速めようとしているようなのだ。この技術の開発がなければ、伸身の月面や新月面の誕生はなかっただろう。ただ、このわずかに早い手離しは、覚えたての人間が失敗して飛ばされるときと同じなので、知ってるものが見ているとちと怖いときがある。
こんな感じで力学の観点からいろいろと論ずることはできるのだが、生身の人間がやっていることなので難しいことが多々ある。
ひとつは空中に浮いた時点でのいらぬ身体の緊張である。これは回転を殺すひとつの要因になる。どちらかといえばリラックスしてそれまでの流れに身を任せてしまえばいいのだが、支えのない状態であると瞬間に緊張するのだ。これは繰り返しやることで慣れを生じさせるしかない。
高校2年の夏の合宿、同僚が吊り輪で2回宙返りをやれと言われた。ボクが伸身宙返りの1回ひねりというC難度の下り技をやっていたのだが、ヤツは鉄棒の下りで後方宙返りをやるのにひねりが苦手で、吊り輪ではB難度の下りしかもっていなかったからだ。
厚い補助マットやら補助ベルトなどを用意して練習が始まった。さすが宙返りの感覚はいいヤツだから30分ほどで形になってきた。そしたら3年の先輩とコーチに来ていた大学生の先輩が、「お前もやれ」と…。
いやでしょう。「オレ、ガンツ(1回ひねり)を持ってるからいいですよ」よ言ったのだが、「メシを食わせないぞ!」。何ということを言うのだろうか。メシを食いたさに補助ベルトをつけてぶら下がった。そしてなるようになれって夢中で離して膝を抱えた。何とか足から着地していた。
「いいじゃん」とか言われ、何回かやると補助ベルトなしでいくようになっていた。そして気づいた。離すときの指の感触で、「早かった!抱えてよう」とか「少し遅い、早く開かなきゃ」と回っているうちに判断できるのである。そして、回転中に瞬間に目に入るマットや天井が、着地をとるときの助けになることも…。
結局は試合では使うことがなかった(だってボクの後方伸身宙返り1回ひねりは、仙台の大学生にベタほめに褒められるほどよかったし、3年になったときには単発で2回までひねってたんだから…)けど、とてもいい経験をした。
身体をリラックスさせながらもつま先は緊張させて伸ばしておく。こんな生体の反射をぶっ壊すことに心血を注ぐのが器械体操なのですが…。
[PR]
by luehdorf | 2011-12-07 01:40 | スポーツ | Trackback | Comments(10)

大きなお世話…

福岡国際マラソン、生で見ることはできなかったがニュースで見て驚いた。
川内優輝がまた日本人でトップ!
一昨年、箱根の山下りで学連選抜のメンバーとして走るのをチラッと見て、「学習院にこんなのがいるんだ」と思ったっけ…。そして今年の2月に東京マラソンで3位、大邱の世界陸上の代表になってしまった。
仕事を午前中だけやって後はトラックやロードを走ってる、アマチュアとは名ばかりの連中とは異なり、公務員の仕事をきちんとしながら練習時間を工面しているランナーだ。
本人が言う、練習時間が絶対的に足りないから、休日にレースに出ることでその不足分を補っているというのは理にかなっていることだと思う。それをまた、陸連のマラソン部長(大塚製薬の監督?)だとかが難癖をつけている。「レースを走り過ぎ」だとかさらには「タイムがどうたら…」と…。
おいおいちょっと待て、きちんとしたスケジュールでレースに合わせてきたはずの、テメェの子飼いの連中の不甲斐なさに対する反省はなしかよ。コーチもトレーナーもついていない環境で、手探りでそして自己流でここまでやったヤツをまずは褒めろって…。さらに自分らのやり方のどこかに綻びがあるんだってことにも気づかなきゃならないだろ…。
川内君のトレーニングの様子をTVで見たけれど、普段はクロカンを取り入れているようだ。不整地を走ることでバランスを崩したりすることへの対応を体に覚えさせることができるし、自然なインターバルトレーニングとなっている。女子のチームでこれを取り入れているところがあったけど、トラックでのタイムアップに繋がっていると聞いた。
大体、陸連って、駅伝やら何やらのブームで、岸記念体育会館に入っている団体で一番金のあるところでしょ? だったら、川内君に専属トレーナーでもつけてやってもバチは当たらないと思う。
本人の意地なのだろうが、あくまでも一人の“市民ランナー”としてオリンピックを目指しているようだが、それはそれで面白い。エライさんが余計な横槍は入れてはイカンと思う。
かつて女子マラソンがブームになり始めた頃、たった1回だけいい記録を出した若いオネェちゃんをオリンピックだとか世界選手権に出して何度失敗し、そしてそのコたちを潰してしまったのか?(あの頃いろいろ言ってたのは、メルボルンの三段跳び代表の小掛照二さんだったなぁ。去年だかになくなったか…)
川内君のメンタルはすごく強いように感じる。そして愚直なまでに一本気である。メダルなんて余計なことは言わずに、今回の結果だけで代表にしてやればいい。それは近代オリンピックの祖、ピエール・ド・クーベルタンの言ったこと、「オリンピックは参加することに意義がある」そのままであるからだ。
走る、跳ぶ、投げるという最も原始的なスポーツである陸上だからこそ、彼のような“一般人の代表”を産み出せるのだとも思うし…。
[PR]
by luehdorf | 2011-12-06 17:16 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

安全に…

2月にサイクルコンピュータを導入し、11月28日で総走行距離が2274kmになった。旧メーターの不具合で5,60kmほど少ないのだが“消費税”以下の誤差だから無視してもいいだろう。
自転車乗りを再開したのが昨年9月で、今年1月までの5ヶ月はメーターなしで走っていたのだが、週当たりの走行距離を計算してみると少なく見積もっても1000kmを超える。1年3ヶ月で3000kmを走れたのは間違いないだろう。

itsukiさんや呑むさんがいろいろと案じてくれるので現状を詳述してみたい。

まず、四半世紀前と比べて“コワイ”のは「自転車」なのである。道路の右側を平気で逆走してくるヤツ、歩道から後方確認もしないでいきなり車道に飛び出してくるヤツ、脇道から一時停止をしないで右折してくるヤツ…。そしてとにかくひどいのがケータイをいじりながらとかヘッドホンをつけてとかの連中(これは当然のことながら四半世紀前にはいなかった)がやたらと目につくことなのである。
今、ピストレーサーがやり玉に上がっているが、本当のところは上に挙げたような輩の方が数が多く、一番厄介な存在なのだ。
それに比べたら車はずいぶんとマナーが良い。こちらが守ることはただひとつ、「明確な意思表示」である。
車での「意思表示」には、ウィンカーはもちろんのこと、クラクション、前照灯のオン・オフあるいはパッシング、ハザードランプと様々あるが、自転車も後方の目視をきちんと行うことと手信号による「意思表示」で立派にコミュニケーションがとれるのである。
それらを励行していると反応が良いのがタクシーである。昨今、ドライブレコーダーが搭載されているから、きちんと距離を置いて手信号を出している自転車に突っかかったなら自分が全面的に不利になることが分かっているのであろう。
路上駐車の車を避けるために右に寄るとき、アクセルオフにしたとはっきり分かるのがタクシー(これに加えて大型トラックも結構好意的である。エンジン音が下がるのでよく分かる)で、通過後に直ちに左へ戻り、脇を抜ける瞬間に右手で軽く御礼の挨拶をすればOKなのである。時として左手で“了解”の挨拶をしてくれる運転手もいる。信号待ちの車の前に出るときも同じ。きちんとアイコンタクトをとってから前に出る旨を手で示せばうなずいてくれる。
要は「お願いね」という気持ちをきちんと伝えればいいのである。でもこれができている自転車は10%にも満たない。その数少ない「仲間」と同じ道を走るときにはとても楽しく走れる。
夏前のこと、青梅街道を新宿に向かっているときに前を行く自転車に追いついた。きちんと手信号を出しているのでそのままついて行き、路駐の車を避けようと後方確認をする際に、先に後ろでブロックをして「後ろOK!」と声をかけた。彼は右手で“ありがとう”の仕草をし、以降、同じ状況のときに「OK」を繰り返し、快調に新宿西口まで走った。直進する彼と代々木方面へ抜けるボク、最後の交差点で「後ろで楽させてくれてありがとう」と声をかけると、「こちらこそ後ろを見てもらって…」と笑い返してきた。
路上で行き交っただけなのに、この短い会話で疲れが吹っ飛ぶ楽しい思いに包まれた。
自分勝手に走っていたら事故を誘発するだけなのである。自転車に乗るならまず、そこのところをきちんと考えるべきだと思うのだ。

警察もヌルい。立ち番のお巡りまはるで“墓石”か“記念碑”で「立ってるだけ」ある。
踏切で警報が鳴り始めたから止まった。そこをジーさんの乗った自転車が右側走行で渡ってきた。目の前を通過されてもウンでもスンでもない。
「ねえ、お巡りさん。何で今の自転車の逆走をきちんと注意しないの?」と声をかけた。そこで「あっ」と気づいたのだろう、しどろもどろしてまともな返答は返ってこない。「大体さぁ、踏切の中の“グリーン”の帯の所は自転車が走っちゃいけない部分じゃないか。そこを走ってきてんだぜ」と続けた。「あっ、でもあそこは“歩道”ですから…」。見事に引っかかった。「君は“税金泥棒”って言われても仕方ないな。あそこは『通行可』の歩道ではないはず。多分向こうにある標識の下の補助標識に『ここまで』があるはずだよ。だからそこの“グリーン”を乗ってきた自転車に君は赤切符を切らなきゃいけないんじゃないの?」…。通行人がニヤニヤして見ているから、「勉強して」とだけ言っておいたが…。
巣鴨へ出向くのが週に一日になったから見なくて済むようになったが、板橋警察署の警察官の自転車の乗り方のいい加減さにはあきれた。
目の前で信号無視して左折、追いかけて行って「信号無視!」と言うと、「自分の認識では…」とか言う。「じゃぁ信号が赤でも『自分の認識』でOKならいいってこと?」と聞いて、やっと「申し訳ありません、気をつけます」。
夜、ライトが右側を走ってくる。こちらが避けずに左を行くと、柵で仕切られた歩道(これ「自転車通行可」ではありません)に入り込んだ。近くに来てよく見るとお巡りだから、「どっち走ってんのよ」と言うと、「いや最初から歩道を…」とか意味のない言い訳をする。こちらのライトが見えてから入った(向こうが街灯の下だったからよく見えた)ことをまずきちんと認めさせてから、「この道のどこに『通行可』の標識があるのか、当然言えるよね」と続けたらもう答えられない。だってありっこないんだもの…。
きちんと市民に教えていかなければならない警察官がこの有様だから、まともな自転車の乗り方が普及するなんて夢物語としか思えない。
とにかく対自転車のもらい事故だけは食わないように注意していく。6月の事故で、“アブナイ”車の判別の能力もついたみたいだし、車に対してはきちんと挨拶をして共存のお願いをしながら…。
[PR]
by luehdorf | 2011-11-29 00:55 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

体操・世界選手権

内村航平の強さは本物だった。
8月の試技会で足首を捻挫し、床と跳馬はほぼ1ヶ月に渡って力を入れた練習ができなかったのだという。そして本番前の本会場練習では、2本目のタンブリングでふくらはぎに違和感を覚えてストップ。試合で大きな怪我をしなければいいのだがと思っていた。(床だけは怖くて録画したものをすぐに見られず、他で結果を知ってから見ていた) そして、参加選手中ただ一人、種目別の跳馬以外の計23種目を通し切った。
個人総合の金は当然である。彼が“オールラウンダー”を志向した結果なのだから…。このままなら来年だって誰も太刀打ちできないはずである。圧巻だったのは種目別。出場した5種目すべてでDスコア、いわゆる難度点を上げてきた。
床では1本目に後方2回宙返り3回ひねりというG難度、これでいつもより0.2のアップ。あん馬ではマジャール・シュピンデルなどを入れていた。途中で落ちたけれども、この種目はこれしかないというスペシャリストが揃っているから、半ば遊びで、「落ちることなく全部が通れば儲け…」みたいな感じでやっていたようだった。吊り輪では最初に伸身逆上がりから中水平というF難度と組み合わせの力技を入れ、平行棒ではベーレを屈伸で行っていたし、銅メダルを取った鉄棒では、カッシーナ(伸身のコールマン)というGと、前方浮腰回転ひねり倒立から伸身の閉脚トカチェフ…。団体の予選・決勝とは異なった構成に、「普段コイツはどんな練習をしてるんだろう?」と思った。
通常、彼ほどのレベルになると、2年くらいは構成を変えない(だって最高レベルに達しているんだから…)もので、せいぜい抱え込みの姿勢を屈伸にするとかの難度アップを図るくらいなのだ。それが個人戦の翌日にあんなことをやるもんだから、他の選手の驚きはいかほどだったろうか。
今回は予選で失敗した跳馬のヨー2(前転跳び伸身宙返り2回半ひねり)だって、来年は、今回韓国のヤンの金メダルの切り札となったヨー2にさらに半ひねりを加えた、前転跳び伸身宙返り3回ひねり(Dスコア7.4!)をやってしまいそうな予感がしている。
個人総合と吊り輪で銅メダルを取った山室光史、社会人になってとても安定してきた。平行棒・鉄棒などでDスコアのアップを考えなければならないが、今回のメダルを励みにしてきっとやってくれるだろう。
跳馬銅の沖口誠、今のままでは来年のロンドンはきついのではないか。吊り輪と鉄棒の大いなる強化が必要だと思う。膝の故障で今回の代表選考に不出場の植松、そして今回補欠だった高校3年生の野々村が、沖口が代表に滑り込む要因となった“スペシャリスト枠”の大きなライバルとなるはずだから…。
田中兄弟、弟佑典は初代表ということから少し大目に見てもいいが、兄ちゃんは確か3回目の世界戦なはずである。勝負弱い。去年の失敗がトラウマになっているのだろうか? 種目別平行棒の入りの技、前振り上がり後開脚抜き伸腕倒立で、指をタイツに引っ掛けたとかで器具上落下とみなされる大過失。これは最大で1点の減点だから、あそこさえきちんとやっていれば楽々の金メダルだったのだ。メンタル面の強化を図ってもらいたい。
キャプテンの小林研也、遅咲きだが本当にいい選手になった。来年は29歳、前に挙げた植松、野々村それに加えて床で3回半ひねりをもつ埼玉栄の加藤など下からの突き上げは激しいものがあるだろうが、同年の中瀬卓也もまだ踏ん張っていることだし、オリンピックの代表選考を厳しいものにしてもらいたい。
日本が世界の頂点に立った、1960年のローマオリンピックから継承されてきた「美しい体操」はしっかりと守られている。中国のスペシャリスト達はすごい技はやるけれども、離してまた持ったとき、足がばらけたり肘が曲がったりなどの小さな過失がある。これは1つにつき0.1~0.2ずつ減点されるのだから、Dスコアが少しばかり高くたってEスコアで十分勝負できると思う。特に屈伸体勢における爪先がきちんと伸びているのは日本とドイツぐらいだった。Eジャッジだって体操経験者、しかも国際審判員は、競技者として国際大会の出場経験がなければ受験資格すらない。ロンドンではその辺りだってきちんと見てくるだろう。
それに比してDジャッジはお粗末だった。内村のリー・ジョンソン(後方2回宙返り3回ひねり)をルドルフ(後方2回宙返り2回ひねり)と判定したのだという。GとEでは価値点が0.2違うだろうが。まして、それまでの1本目は後ろ跳びひねり前方屈伸2回宙返りでルドルフと同じE難度。種目別決勝なんていうときに使い慣れない同難度の技を使うか?しっかり目を見開いて数えてもらいたいものだ。
確かに3回ひねりは分かりにくい。たとえば内村の終末技である後方伸身宙返り3回ひねり。これは1970年の世界選手権の2次選考会で、監物永三さんが初めてやった技である。場所も同じ東京体育館。新米の体操部員だったボクは、「そろばんができる人は本部に来て」と協会の女性職員に言われ、正面の本部席にいた。そこで記録集計をするのである。簡易電卓なんぞまだない時代、そろばんができるヤツはこんなときに重宝がられた。
1次選考の上位6人は床からスタート。練習が始まった。監物さんが勢いのよい助走からロンダード、バック転そして宙返りをひねった。エッと思って脇の同僚と目を見合わせるとまじめな顔をして指を3本立てている。思わず頷いた。そう2回ひねりとは全く異なる流れになっているのだ。だから3回ひねりまでは分かるはずなのである。まだ誰もやっていないが、4回ひねりになったらビデオ判定を導入する必要があるかもしれない。
かつてあん馬の技術が向上し、演技と難度の両方を同時に見るのが困難だということで、難度審判を入れることになった。それまでは2つの技を組み合わせると難度が上がるだけだったのだが、組み合わせの仕方で加点する方法が採用されたからである。他の種目はいざ知らず、停止が減点となるあん馬では、次々に行われる技を瞬時に分析して、難度が規則で要求された通りであるか、そしてどの組み合わせが加点対象になるのかを判定し、実施の判定をする審判に伝えなければならないというものだ。だから最初から最後まで全ての技を速記し、演技後にすぐに頭の中で再現していく能力が求められる。この難度審判に国際体操連盟から指名されたのが、オリンピック個人総合2連覇のあの加藤澤男さんだった。さすが加藤さん、見後にこの難役を成し遂げてくれたものだったっけ…。
速記といえば、高校時代に先輩から審判の手ほどきを受けるときにうるさく言われた。だから今でもあん馬以外の種目では演技を頭の中で再現できる。
思い出すのは大学2年のとき、もう体操からはドロップアウトしていたから、夏の国体予選のとき、自校の応援席に隠れていた。ところがその年に宮城の教員になった大学の先輩が目ざとくボクを見つけてしまった。本部席に行って何かを話していると思ったらいきなりマイクでの呼び出し。審判が足りないから手伝えとのこと。仕方なく吊り輪の2審として席に座った。主審はⅠ学園のS先生。その先生の学校の2番手かなんかの演技後、ボクを手招きする。ピンときた。そして「ハッシー!低いよ0.3上げて…」と言う。やはりそのことだった。ボクが「難度が足りてないんじゃないですか?」と言うと、「そんなことはない」と答える。そこで手にした速記メモをもとに演技を最初から再現し、「ですからBが1つ足りてませんよね。その分の減点があるからこれなんですけど…」とボクのジャッジペーパーを指差した。速記もしないでいい加減に採点していたS先生は、あわてて他の2人を呼んで修正をし、結局はボクの出した点数が決定点になった。高校生の競技が終わった後、「お疲れ様でした」と挨拶をすると、「全部速記して見てたんだな。審判講習を受けて国内1種を目指せばいいのに…」と言葉をかけられた。でもその頃、意識は体操から完全にチョウチョに移っていた。

とにかく来年のオリンピックまで、今回の代表もそして新たに代表を目指す選手たちも、怪我をしないで励んでもらいたい。そして1次選考は年明けになるのだろうが、少しでも難度の高くなった演技を見せてもらいたいと思う。
[PR]
by luehdorf | 2011-10-19 02:10 | スポーツ | Trackback | Comments(8)

夏の思い出1…衝動買い

旧盆の頃、余りにも暑いので朝食を駅前の喫茶店で済まそうということになった。
クーラーの効いた店でのんびりと食事(パートナーはトーストとスクランブルエッグ、サラダのセット。ボクはカレーライス!)をしアイスコーヒーを飲んでの帰り、陽射しはとんでもないものになっていた。
家の近くの自転車店の前まで来ると、ご主人が開店の準備をしている。
暑さのせいなのか、突如衝動が湧き起こった。
「カタログ下さい!」。
家に帰りついて5分、決めてしまった。すぐに電話をし目当てのものが手に入るかどうかを尋ねると、在庫を確認すると言うことで待つこと10分、「カラーが赤ならすぐに入りますが…」と…。
熟慮すること15秒(?)、「すぐ取り寄せてください」。
よくよく考えれば数えで「還暦」、赤でいいではないか。
午後になって店に出向き、トークリップ(ペダルと足を縛り付けるヤツですな)やボトルホルダーなどのオプションの打ち合わせ。トークリップは誰かが色つきを使っているのを見たことがあるので調べてもらうと「赤」があるという。ボトルホルダーも…。
メーカーや販売店が盆休みに入ると言うので組み上げに2週間ほどかかるのだと…。仕方がない。一日千秋の思いで待って、9月の1日に出来上がった。
それがこれ…。
e0100711_20431035.jpg

ブリジストン社のアンカーというシリーズの「R7」というタイプである。
これまでにブリジストンの「ユーラシア」を2台乗りつぶしているが、どちらもランドナーというちょいと太目のタイヤをはいた自転車だった。今回のようなロードレーサーに乗りたい気持ちがあったのだが、あの頃のロードはチューブラーというタイヤをはいていて、パンクするとリムからはがして予備のやつをまたリムに貼り付けるという作業がとても面倒に思えて仕方なかった。
チューブタイヤならタイヤレバーでタイヤを外してチューブを取り出して水調べし、パンク修理キットで穴をふさげばものの15分ほどで終わる。
事実画鋲を拾って初めてパンクしたとき、道沿いに屋台を出していたラーメン屋にバケツと水を借り、すぐに直して「おじさんありがとう。一杯食べさせてください」と言ったら、「もう直したのかぁ~」って驚いていたものだった。
でも今回のロードはチューブタイヤをはいている。ずいぶんと細いチューブタイヤを作れるようになったものだ。
9月2日、暑さで目を覚ましたのが5時半、「今日も暑いよぉ~」というパートナーの声を聞き、「ちょっと走ってくる」と近くの公園へ出向いた。
陸上競技場、フットサル場そして野球場の周りを回るコースが1周870mであるとの表示がある。そこを11周し、最後に陸上競技場の外を1周するとほぼ10km。久しぶりだったので「流す」感じで走ってみたがいい汗がかけた。特に最後の3周は東と西の直線できつめにダッシュしたのだが体が自転車にしっかり乗っていた。
以来、雨に見舞われた日と帰りが遅くなった日を除いてきちんと乗っている。身体強健派の血が騒ぎ始めたようなのだ。
大塚、池袋そして高田馬場の仕事には着替えを担いで乗っていっている。もう少し気温が下がったら代々木にも乗っていこうと思っている。
ロードレーサーは軽量化の意味もあって泥よけがついていない。だから雨の日や濡れた路面では後輪のハネが背中に「一本線」を描く。そこで脱着式の泥よけも準備した。きつい雨じゃない限り頑張れそうだ。
嬉しかったことが一つ。最初に乗った日の夕方、太もも、ふくらはぎそして尻の筋肉に張りがきた。いわゆる筋肉痛だ。昨年、ボクの一つ上のMさんが「肩と腰と尻が痛くって…」と言っていた。よく聞くと、日曜日にボウリングをやったのの筋肉痛が3日後に出たと言うのである。「そりゃぁ、もうジジイだってことですよ。ボクは運動したその日に筋肉痛が出ますから…」と言ったのが実証されたからである。
まだ筋肉は若いぞぉ~!
[PR]
by luehdorf | 2010-09-15 22:29 | スポーツ | Trackback | Comments(3)

追悼 小林繁氏…

1973年10月11日、前日夜から明け方まで、「緑のマット」の上での闘いにいそしんでいたボクは、午後になって目を覚ました。というよりも、寮内に響くラジオの音で目を覚まさせられた。どこの部屋なのだろうか、ガンガンと響いてくる。「5対0…、阪神タイガースの…」、断片的に聞こえる様子からは読売の形勢が悪いようだ。
そういえば、朝まで一緒に遊んでいたマツが、「今日は大変な日なんだよ。後楽園に行かなくっちゃ…」と言っていた。少しは眠ってから行ったんだろうなぁ~、と思いながらうつらうつらしていた。そうすると「よし!5対3!」という大きな声が聞こえた。完全に目が覚めた。歯ブラシをくわえてカラーTVのある後輩の部屋へ出向いた。案の定、2人して野球を見ている。「昨日はどうだったんですか?」という問いかけに、右手でOKサインを作って答え、廊下の水場でうがいをして戻ると、「長嶋がケガをして引っ込んじゃったんですよ」と…。サードには日ハムから移籍した富田が入っていた。
確か5回表、阪神の攻撃のときにピッチャーを変えようとしていた。「小林を出せよ!」とボクはTVに向かって叫んでいた。夏過ぎに夕食を食べながら見た、彼のピッチングの印象が強かったからである。でも出てきたのは高橋良昌(現中大監督)。「川上さんは実績重視だからなぁ」。確かに東映→日ハムと結構な実績はあったが、この年は中継ぎで大分失敗していたはずだった。そしてポコポコと打たれてリードを広げられた。8回の裏に代打萩原の同点スリーランが出て、その後の9回表に小林が出てきた。小気味のいいピッチングで三者凡退。それを見た後輩が、「こんないいピッチャーがいたんですか」と…。
試合は結局10対10の引き分け。後楽園に行ったマツは、萩原のホームランのとき、どこかの見知らぬオッサンと、ライトスタンドで手を取り合って「やった!やった!」とジャンプしていたのだとか…。

不思議なサイドハンドだった。これより前のサイドあるいはアンダーハンドのピッチャーといえば、大洋の秋山登さん、南海の杉浦忠さんが挙げられる。秋山さんは小さめのステップでボディスイングを効かせたアンダーハンド。杉浦さんは軸足から先足へ体重をきれいに移しながらそこに遅れて腕がついてくる体重移動型。ゆったりとした感じなのだが、全盛期の手元で伸びる球は、’59のペナントレースでの38勝4敗、勝率.905が示す通り。
小林はこの2人とは違っていた。軸足を少し曲げ、それを伸ばす勢いでピチッとくる。売れっ子になる前の明石家さんまがよく真似をしていたが、軸足を曲げるところまではまあまあでも後はいけなかったね。そういえばこのころ、林間学校の最後の晩に、「小林繁」、「小林繁の真似をする明石家さんま」というのをやって子どもたちからとても受けたことがあったっけ…。
’75に長嶋巨人で最下位。翌年からの2年間、小林は投げに投げた。そして沢村賞を受賞。このときだって、確か310勝の別所(このとき以来呼び捨てです)は、「本格派じゃない」といって反対したはずだ。オーバースロー=本格派、サイド、アンダースロー=技巧派、なんて誰がこんなカテゴライズをしたんだ?小林は真っ向勝負の本格派ピッチャーだったぜ。
その後、あの「空白の一日」に巻き込まれて阪神へ移籍。この事件はボクが読売ファンを止め、強固なアンチ読売になるエポックメーキングなことだった。よくやった。この年22勝!確か2度目の沢村賞。このときはだぁれも反対できなかった。
彼一流の美学を貫いて30そこそこで引退。引退後はいろいろなことがあったみたいだが、近鉄でコーチをやり、昨年からは日ハムの2軍コーチ。今年は1軍コーチに昇格だったというのである。
やり残したこともいっぱいあるだろうけど、あなたは「カッコ」よかった。ゆっくりと休んでください。
合掌。
[PR]
by luehdorf | 2010-01-20 00:36 | スポーツ | Trackback | Comments(20)

追悼…

 昼過ぎから会議があるとの知らせを受けたので、ちょっと早目に昼食をと思って入った店で、遠藤幸雄さんの死を知った。
 「1964年の東京オリンピックで体操の…」とラジオから流れてきたとき、まさか遠藤さんだとは思わなかった。
 1960年のローマオリンピック、団体総合はソ連に勝ったものの、個人総合では小野喬さんが0.05という僅少差でユーリー・チトフに勝てず、「あの」戦争で返上してやっと巡ってきた東京オリンピックでの、体操個人総合の金メダルは至上命題だった。そのために産み出されたのが「ウルトラC」である。
 当時は、A、B、Cの3難度で、C難度が「最高級難度」だった。「体操ニッポン」の地位を磐石にするために考えられたのが、そのC難度を超える技ということで、それらにつけられたのが「ウルトラC」という呼称だった。
 国内予選で落ちたために日の目を見ることはなかったが、ローマの床運動(ローマの時には「徒手」といっていた)の金メダリスト、相原信行さんが開発した「首はね起きからの十字倒立」、いまはあん馬や床で普通に使われている「下向き転向1080度(カザフスタンのフェドルチェンコの名がついている)」は、実際には使われなかったが、「プロペラ旋回」と称されて、三栗崇さんが挑んでいた。さらに跳馬の「ヤマシタ跳び1回ひねり」、鉄棒の「キリモミ(大伸身とびこし1回ひねり下り)」など、中学に入ったばかりのボクには「何であんなことができるの?」と思われるものばかりだった。
 予選(規定問題)をトップで通過した遠藤さんは、個人総合では吊り輪スタート、鉄棒の終末も「キリモミ」を使わずに順調に得点を積み重ね、最後のあん馬のときには、9.00を出せばよいという状態だった。
 プレッシャーは相当なものだったのだろう。途中で1回停止。終末、「シャギニアン」という連続技で引っ掛けてしまい、結局はB難度での下りになってしまった。得点が出るまでが長かった。主審の脇の得点板がくるっと回って見えたのが9.10だった。悲願達成の瞬間である。
 その後に行われた種目別では、神様といわれたユーゴのツェラールがいたあん馬、「ヤマシタ跳び」の松田(当時もう結婚されて夫婦養子になり、改姓していたはず)さんのいる跳馬以外の4種目で金メダルの可能性があったのだが、個人総合をとるという緊張感から解放されたためか、吊り輪の2回宙返り下りで手つき、鉄棒の「キリモミ」で失敗して平行棒しかとれなかった。
 しかし、体操を、単に難しい技をベタベタとつなげるものではなく、きれいな体線と技を流れるようにつないで余韻を感じさせねばならぬという、いわゆる「日本の体操」の最初の具現者であったことは間違いない。
 それはメキシコ・ミュンヘンと個人総合をとった加藤澤男さん、ロスの個人総合の具志堅幸治、そして昨年引退した富田洋之や鹿島丈博らに脈々と受け継がれてきた。
 高3になる年の春、母校の中学での新体育館のこけら落としに、遠藤さん、早田さん(この方が東京オリンピックの吊り輪の金メダリスト)、三栗さんご夫婦そして松久みゆきさんがおいでになった。器具のセッティングや身の回りのお世話のために卒業生であるボクに声がかかり、高校の体操部総出で出向いた。中学の体操部の連中だけではと思われたか、遠藤さんのお声がかりで我々も床やなんかをやらされることになった。当然みんな舞い上がった。体操少年にとっての「遠藤幸雄」は、野球少年の「ON」と同じなのだから…。
 遠藤さんは演技解説を担当され、時にはユーモアをまじえて楽しい雰囲気を作ってくださった。自分では気づかなかったのだが、伸身宙返りで足が少し割れる癖を注意され、次にそこを修正すると、「言ったらすぐに直す。すばらしいですね」とほめてくださった。
 控え室に戻って皆さんが着替えを終わり、ボクらが御礼に出向くと、「しっかり練習するんだヨ…」と…。
 翌年、小6のときからの思いを達成させ、何とか遠藤さんの後輩になれた。体操部専用の体育館は、こんなところで金メダリストが出たの?と思えるほど古くボロボロだった。しかし、熱いものは感じられた。秋遅くにつぶれて体操からは離れたが、体操が大好きであるのはずっと変わらない。
 あの東京オリンピックのモノクロ映像がその原点にある。
 金メダルをとった、平行棒の前方屈伸宙返りひねり下りよ永遠に…。そして、鉄棒の「前方浮き腰回転倒立」、すなわち「エンドー」はあなたのことを体操ファンの心にずっと刻み込む技です。合掌。
[PR]
by luehdorf | 2009-03-26 12:51 | スポーツ | Trackback | Comments(8)

青春画像…

 近頃あちこちで「青春画像」なるものを目にするものだから、何とかならないかと、酔っ払ったついでに色々いじってみたらちゃんと取り込めたので…。

1969年6月のインターハイ予選の規定問題のひとコマです。(と書いて、年が明けると丸40年が過ぎることに気づいて愕然としました)
 場所は仙台市の「宮城県スポーツセンター」、そう金一こと大木金太郎さんがブルート・バーナードの棒切れ攻撃で耳を千切られそうになった所です。
 前方の懸垂回転から後ろ振り上がり、後ろに回って後方肩転位からのほん転逆上がりで脚前挙にきめた瞬間です。この後倒立をし、後転をしながら背面水平そして後方開脚宙返り下りという演技構成でした。下り技の大きさを出すのに苦労した記憶があります。
 右下隅で見上げているのが、この年順天堂大学を卒業し、県北の工業高校に赴任したTさん。指導者のいない我が校のために、チームリーダーとしてそして先輩として、有益なアドバイスをたくさん下さったものでした。
 ボク自身、この演技と前年の国体予選で着地をビタ決めした跳馬がいい思い出になっています。
e0100711_23115373.jpg

 新しい技の習得にあちこちに傷をつくり、また筋力強化のための単調なトレーニングを繰り返す毎日…。そして新技がやっとできるようになったとき、20回でつぶれていた倒立でのプッシュアップが21,22と回数が増えていくときに、何ともいえぬ達成感を味わっていました。
 安全カミソリの刃を筆入れにしのばせ、暇なときには手のひらのタコを薄く薄く削っていたのも懐かしい思い出です。
 田舎の高校生の体操、9点台をもらえれば上々でした。このときは9.25だったかな…。
[PR]
by luehdorf | 2008-11-30 00:48 | スポーツ | Trackback | Comments(15)

得意種目は「吊り輪」です…

 体操の世界選手権(デンマーク)を見た。今回から採点方法が変わり、難度得点のAと実施の際の過失を減点するBの合算による採点方法になった。見ていて思ったことは、B審判の技量が低いんじゃないか?ってことだ。足割れ、静止でのバーの握り替え、不十分なひねりでの車輪の歪み…、こういうのは小過失としての減点が1つの技ごとにあってしかるべきなのだが、果たして体操後進国(失礼な言い方だがあえて…)の審判はきちんと捉えられていない。
 何年か前のアジア大会の吊り輪。池谷(兄)が後方車輪からの倒立できちんと止められず、前に倒れ、振り上り倒立で「ゴマかし」た。倒立が静止して前に倒れるのはこれは技だが、倒立で止まっていないで戻るのだから明らかな過失である。ところが審判はそれを判断できなかった。主審の加藤(澤男)さんはさすがにそれを見逃さず、9.2をつけたのだが、残りの3人が9.7~9.8を出してしまう。当然、加藤さんの点はカットされ、決定点は9.7とかになっちゃう。何たることか、である。確かに演技構成において、「逃げ」を用意することはある。しかしそれも流れを自然にしなければ、見ているものに「アレ?今のヘンだな?」と感じさせてしまうものである。特に審判には…。
 30年前のモントリオールで、あのナディア・コマネチが10点を連発したことでおかしくなった。あの頃から、技の派手さにだけ目がいき、小さな過失を無視する傾向が出てきた。だって、コマネチの段違い平行棒の終末、「後方足裏支持振り出しからひねって後方宙返り(ケステのひねり後方宙)」でのあの足割れはどう見たって0.1~0.2の減点だよ。平均台だって2,3ヶ所でバランスを崩してるし。いつの間にか体操は「きれい」に難しいことをやるんじゃなく、ドタバタとサーカスみたいなことをやって最後の着地が決まれば満場の拍手で「10点」てな感じになってきた。今回からの採点方法は、30年経ってようやく、体操の本道を取り戻そうと言う動きに見えるが、それには国際審判員の技量の向上を図らなくてはならないのではないか。
 スペシャリストが跋扈する体操界、個人総合をとった楊威と富田は貴重なオールラウンダーだ。とりわけ富田の体操は「美しさ」でいったら比類がない。カビの生えた言葉かもしれないが、「日本体操の伝統」を継承している。オリンピック、世界選手権で連勝していた頃の「きれいな線」の日本の体操は、旧ソ連がずっと追いかけたものだった。だからモントリオールの覇者のニコライ・アンドリアノフは、遠征で日本に来ると、塚原(父)さんや加藤さんなどと居酒屋で飲みながら奥義を吸収しようとしたんだ。ロシアのネモフはその集大成だった気がする。そんな観点から見れば、中国は肖欽のあん馬にちょっとそれが見えるが、後はいまひとつである。
 くれぐれもA得点重視にならず、B得点をきちんと採点する流れになってほしいものだ。
[PR]
by luehdorf | 2006-10-20 14:05 | スポーツ | Trackback | Comments(0)