原点回帰…

高1の生物の授業、細胞分裂の際のDNA複製について、「これは新しい指導要領で入ってきたことなんだけど…」と、染色体中のDNAの“二重らせん”構造、そしてDNA塩基であるアデニンとチミン、グアニンとシトシンの“相補的結合”による複製の仕組みについて教えられた。
そのときは、「へえぇ~、うまくできてるもんだ」と感じたのだが、分子レベルで生物を見るということに違和感があり、深く突っ込もうとしなかった。だって、「生物の最小単位は細胞」と習ったのに、分子ってのはそれより小さくて非生命体なのだから…。
この傾向は「動物生態」の研究室に潜ったことでさらに強くなった。生態学は分子生物とは逆にマクロに見るもので、種すら無視して生態系中の役割でカテゴライズする。たとえば生産者、消費者っていうように…。これがとっても性に合った。だから「分子生物」とは距離を置いてきた。
10年とちょい前、仕事の関係で「高校生物」と向き合う必要が生じた。生理や生態はいい。しかし、発生や分子は…。
まず、発生。高校のときもそうだったのだが、なぜにウニの発生を拡大した図で細々と追わなければならないのかが解せなかった。だから「ウニは『発生』の過程よりも成体の精巣や卵巣の方が重要だ」とか「ウニの採れない長野県や山梨県の連中には入試で不利だ」とか言い続けていた。
分子については上述したように、「分子は生物じゃない」と…。
しかし飯のためにはそんなことは言ってはいられない。何か興味を惹くものがないかと考えつつ自学を始めた。少しずつ目を開かされることが生じてきた。
発生ではシュペーマンなどの技術についてだった。イモリの受精卵での移植では、あんな小さいものの特定の部分を切り取って別の卵へ植えるという作業がどれだけ困難なものなのか。高校時代、テキストなどには大きく示されているから気づかなかったが、改めて見てみると凄いことをやってたんだと感じさせられた。
分子については、かの福岡伸一大先生が「生物学史上最もエレガントな実験」と称する、メセルソンとスタールの実験手法をなぞったときだった。
DNA複製に関しては、「二重らせんがほどけて一本鎖になり、分かれたそれぞれが鋳型となって新しい二本鎖ができる」という、いわゆる“半保存的複製”が行われているのは今や常識だ。しかしワトソンとクリックが“二重らせん”の仮説を発表した後、複製の仕組みに関しては、二本鎖がそのままコピー元となって新しい二本鎖が生じる「保存的複製」やDNAがランダムに切れてそれが複製される「分散的複製」ってのだって考えられるよね、っていうことから、「半保存的複製」が行われていることの証明が必要になったのだ。これを何ともすばらしい方法で解決したのがメセルソンとスタールで、1958年に窒素の同位体を使ってあっさりと証明してしまった。神戸大学の入試問題(確か’00年)にこの実験の手順をなぞる設問があり、それを解いていて「これすごい!」と感じ、分子生物にハマることになってしまった。
とにかくこの2人がなぜノーベル賞をもらえなかったのかが疑問に思えるくらい“カッコいい”ものなのである。
以降、’70頃からこっちの分子生物の流れを必死で追いかけた。あまり夢中になって夜中遅くまでやっていると、目を覚ました飼育係に、「受験生よりも頑張ってんじゃないの?」と励ましなのか皮肉なのか分からない声をかけられることもあった。
先日、本屋の棚を目で追っていると ↓ があった。分子で生物を見ることの、いわば原点である。福岡氏が仰る「ウラ」については述べられていない(当たり前か…)ものの、あの仮説に達するまでの“産みの苦しみ”みたいなものは、「合コン」の合間もDNAの虜になってたんだというような筆致のわずかな隙間から感じられた。
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そして次の課題はC.ダーウィンの『種の起源』である。
これはずっと以前に岩波の八杉先生の訳を読んだのだが、どうにもつらい作業だった。そこで、あるところで原著第5版のぺーパーバックを見つけ、辞書を片手に取り組んでみたものの、ダーウィンの文章ってのは回りくどくって分かりにくい。訳が悪いのではないのだということを30ページほどやって気づき、放り投げてしまった。
最近、池田清彦さんがどこかで、「大体において、生物学者でもダーウィンをちゃんと読まずに『種の起源』の中身はあぁだこうだと言ってる場合が多い…」と書いているのを見て、生物学者ではないがまるで自分のことを言われているような気がしてしまった。
幸いに光文社から新訳が出ているので、まずこいつをやっつけようと思っている。
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by luehdorf | 2011-11-22 01:22 | 読書 | Trackback | Comments(11)
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Commented by K.M at 2011-12-01 17:54 x
ダーウィンの種の起源の訳書…。
まわりくどくてやたら眠くなって、いつまでたっても全然ページが進まないって、全くもって共感いたします。

ま、合理的にまとめられた熟成した理論を知ってから、手探り状態の過去の文章を批判するのは後出しじゃんけんではありますが…。

人間の祖先はアダムとイブで…なんて人と戦うのはあほらしい。はいはいそうですね~ってなっちゃいますね~。

私はダーウィンに好意的で、はっきり言えなかったのではないかと思っています。

いまでも、弱肉強食じゃ~ 適者生存じゃ~ 自然淘汰じゃ~ 女は家庭じゃ~…

なんてやっぱり言えないですもんね~ってw
Commented by luehdorf at 2011-12-01 23:10 x
K.M様
正直に申しますと、私、ダーウィニストならぬ“ウォーレシスト”でございます。
嫌いな生物学者を挙げよ、と言われれば、真っ先にダーウィン、それに続けてワトソンとクリックなのです。
発端は30年近く前に出た『ダーウィンに消された男』(A.ブラックマン)という本でして、東南アジアにいたウォーレスがダーウィンに論文を送り、その内容に驚愕したダーウィンが自説を書き上げるまで発表を留保していたのではないか?という疑問を、様々な資料をもとに時系列にしたがって述べたものです。
まぁ、「パクリ」じゃねぇの?ってな内容なのですが…。

ワトソンとクリックにも同じような疑惑があり、染色体中でのDNAの構造に悩んでいるとき、彼らと一緒にノーベル賞をもらったウィルキンスが、仲の悪かった、部下のフランクリンのX線回折写真をこっそりと見せたことが、“二重らせん構造”にたどり着く大きなヒントになったのだ、ってのをどこかで…。

でも、“喰わず嫌い”もなんだから、少しは食べてみようかな?っていうミョーな好奇心が芽生えたのですよ。

読んだ後なら「こーだからキライ!」って大声でいえるじゃないですかぁ~(笑)。
Commented by K.M at 2011-12-02 18:16 x
なぁ~るほど!
ダーウィンが不憫な老後を送ったってのは己の人格に起因してたって考えれば合点がいきます。

歴史は戦勝者が書き直すってところもあるし、個人史は文系の人にまかせますわ…。

訂正させて下さいませ。ダーウィンが好きなのではなく、進化論が好きってことにさせて下さい。発見者な~んてど~でもいいっす…。

学術理論は大好きですが、名誉欲に取り付かれた成果の取り合い足の引っ張り合いの学術界はど~も好きにはなれません。今も昔も同じなのかな~。

金メダリスト必ずしも人格者ならずってこともあるのかな?
Commented by luehdorf at 2011-12-03 01:42 x
K.M様
>歴史は戦勝者が書き直す…
御意です。勝者が正義になってしまうものであると思います。

ボクはとてもへそが曲がってますので、いわゆる“教科書”に記載されているものも、「はす」に見る傾向があります。
ずっと疑っているのは“擬態”。
以前にも書いた記憶があるのですが、食ってまずいマダラチョウに擬態したって、マダラチョウよりも個体数を多くしたら“学習効果”がなくなるから、そいつらよりもずっと少ない数でいなければならないはずで、そしたら種の繁栄なんて絵に描いた餅。
所詮、ヒトの目の錯覚と思い込みのなせる業でしょ、って思ってるんですけどね。

>金メダリスト必ずしも人格者ならず…
大学の同期に講道館のエライのがいまして、彼も↑の方と同じ熊本の出身。
2ヶ月ほど前、最初に報道されたとき、「あのバカが…」と“週例会”で吐き捨てるように…。
運動の能力と人格は比例しないと思います(笑)。
因みに、ボクのやっていた器械体操でオリンピックの個人総合2連覇のKさんは、京王線・幡ヶ谷にあった…で、…書けません!(爆)
Commented by K.M at 2011-12-03 05:16 x
擬態に対する反論です。一匹強烈に当たれば効果は絶大だと思いますよ。アブが多くてももし一匹がハチかもって思えばつまめなくなるし、数でいえばはるかに毒キノコの方がすくなくても、えたいのしれないキノコは食べるの怖いし…。
私は一度牡蠣に当たってからは牡蠣は全く食べれなくなりました。

数がすくなくても、効果はあると思いますよ…。
Commented by K.M at 2011-12-03 09:59 x
反論じゃなくて、同意です。

ちなみに昔、私がやっていたモーグルの冬季女子初の金メダリストも…。

英雄はやっぱり色を好むんでしょうかねw
Commented by luehdorf at 2011-12-04 10:13 x
K.M様
擬態の2型のうち、“ミューラー”は「収斂(収束進化)」で捉えてOKなのではないかという気がします。
種は異なっても色彩や形態が似たものが、「選択」の結果、残っていったと…。
ただ“ベーツ”に関してはやはり違和感が残るのです。
「こいつら種が違うのに何で同じような格好をしてんだろ?」って考えたとき、益虫と害虫、発酵と腐敗のように、“ヒト”主体の観点から結論を導いてはいないか?ということなんです。
「食う」という本能的な部分において、カエルなんかは“学習”ではなく“反射”で行っていますし、遊牧で砂漠化した中東辺りで食われずに残っているのはシャクナゲなどの毒性植物だけで、これは牛なんかが最初っから食わないからだとか…(この選択の機序には興味があります)。

K.Mさまはカキに当たってダメになったようですが、ボクの知り合いには何度当たってもカキを飽食する“学習効果”のない“ヒト”がいます。
彼は、「カキの毒は何でアルコール消毒が効かないんだろう?」とアホなことを言ってます(笑)。

Commented by luehdorf at 2011-12-04 10:29 x
続けてK.M様
運動能力と“あっち”が盛んであることとの相関性には、しかとした論拠は持ち得ておりません(笑)。
ただ、試合前にどの程度あるいはペースで“解放”するのが効果的であるのかは、スポーツ医学や運動生理学できちんと解明すべき(されてるのかも…)テーマであると思います。
ボクのいた器械体操部、外ヅラは“求道的”だったのですが、中身は結構アブナかったような…。イロイロなことが“内攻”しているのがありありとしてましたから…。

モーグル、ボクは軸の揺れる3Dエアの得意な、北野建設のコのファンです。先日、今季からカムバックとの報道がありました。ソチに出られれば5回目ですか…。メダルをとらせたいですね。
フジTVのあのコは“軽さ”が目立ってまして…。
Commented by K.M at 2011-12-04 20:38 x
なぁ~るほど!
学習効果のないあほな生物の繁栄はベーツ型擬態を否定するってことですね。さらに突っ込んでみると、あほな単細胞生物の世界や植物、細菌に人間様が定義するベーツ型擬態みたいのがみあたらないってのは、天敵が高等な鳥や哺乳類程度の生き物のものにのみ効果はあるいう線はどうでしょうか?
Commented by K.M at 2011-12-04 20:50 x
連投失礼します。
コークセブンは踏み切りで軸がしっかりしていれば、駒の歳差運動の原理で必ず足に着地が戻ってくるという理論を信じて歳差がコントロールできずに痛い思いを繰り返していましたよ~って。
やっぱり運動は理論ではなかなか…。
そのほうの筋では縮んで縮んで縮んで解放がいいとかいう人がいましたわw
Commented by luehdorf at 2011-12-06 15:24 x
K.M様
>高等な鳥や哺乳類程度の生き物のものにのみ効果はある…
御意です。

始めに“擬態”を疑問を感じたのが、「被食者は食われないために形態を進化させた」というのに、捕食者は「食えるものをきちんと見分ける方向に進化しなかった」ように読める展開、すなわち、捕食者はいつまでたっても被食者の「ダマシ」に気づかないアホな存在であるいうような点に“義憤”を感じたからなんです。

捕食者だってそんなにバカじゃないんだぞぉ~!って…(笑)

運動力学への疑問は、先日のマラソンの感想を書いた後にまとめさせてもらいます。
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