IE9ピン留め
還です…

N様のブログみたいだなぁ~(笑)。
ピントがうまく合ってくれない。

午後、仕事に出向いたら、No2のI氏と若いO君が、「ハッシー、これ…」と細長い包みを出す。
「えっ?」。「誕生日、しかも“還暦”でしょ。ささやかに用意させてもらいました」と…。
びっくりした。
ありがたく頂戴して我が領土へ向かうと、今度はチョコレートが3箱。
ロッテの『ラミー』が2つと『バッカス』が1つ。これはもっと若い連中からの、やはりメッセージつきで…。

うれしいものですね。
明日は休みだからのんびりと飲らせてもらうことにします。

この仕事場、一昨年に前任者が突然辞め、八方手を尽くして人探しをしているとき、知人を介して何とかならないか?と連絡をしてきた。
こちらの空いている曜日を知らせると、合わせるからすぐに入ってくれとのことで、世話になるようになった。
呑ん兵衛のI氏は、「一番困っているときに助けていただいて…」と一席設けてくれ、さらにこんなプレゼントまで…。
ボクからすれば空いている時間を埋めてくれた“有難い所”と、逆に感謝しているのだが…。

お互いに大事にしあっていけば、もっとよい仕事ができるだろう。大切にしよう。

“赤”っていうのは、“還”にかけたO君の茶目っ気だろうなぁ~。
# by luehdorf | 2011-12-24 20:26 | 酔っ払い | Trackback | Comments(14)
還イヴ
あと4時間足らずになってしまった。
ちょうど30年前の23:45を思い出す。「鳥かつ」で、短冊の上の時計を見上げて「あと15分で“三十”になっちゃうよぉ~」と言いながらチューハイを飲んでいた。
そのことがついさっきの出来事のように思い返せるのだ。

幸いに仕事が早く終わった。
23:45まで「鳥かつ」にいて、「あと15分で“還暦”になっちゃうよぉ~」ってやってこよう。

# by luehdorf | 2011-12-23 19:57 | 酔っ払い | Trackback | Comments(2)
ハッシーの体操教室(運動力学の観点から…)
伸膝前転というマットの運動がある。前回りをする際、膝を伸ばしたまま立ち上がるのである。これ、結構難しいもので、小学校時代、「膝の脇に手を着け!」とか言われた。でもうまくやると手を着かずに立ち上がれるのである。
大学時代の体操実技のとき、指導者は金子明友といって、ヘルシンキオリンピックの代表になった方。当時はFIG(世界体操連盟)の技術部長かなんかやっていたのではなかったか。とにかく、技術論では世界ナンバー1の人だった。
言われたことはただひとつ、少し速い前転をやってかかとが着く瞬間に上体を開き気味に起こしてしまえ、と。体操経験者の何人かがやったらあっさりとできた。肝心なのは上体を起こすタイミングで、それさえつかまえられれば誰にでもできるのだ。
先生の説明は力学そのもので、回転のモーメントを前向きの力にしているのだから、上体を開いてやや後ろに起こせば合力は上向きに働くのだ、と。その合力が上向きになるタイミングのつかまえ方だけがキモ。
目からうろこだった。
実は跳び箱だってそう。普通に足を開いて跳ぶ開脚跳びでいい。
まず、上にドンと乗ってしまうコは、走ってきた勢いを踏み切りの前で殺し、さらに踏み切りが前にかからないからちょうど跳び箱に乗ってしまうのだ。こういうコには跳び箱なしの状態で踏み切り板を踏ませ、両足踏み切りでできるだけ遠くに跳ぶ練習をさせる。
次が着手。これ、ほとんどが前にいこうという意識があるものだから、またの下で手を掻くようになる。これがダメ。実は意識としては走ってきた方向に突き返すようにするのだ。そうすれば先の伸膝前転と同様に上向きの合力が働いて上体が起き、足が入ってくることでスムーズに着地に持っていけるのだ。
意識と身体はなかなか連動しないから、突き返しができないことで前にのめることが多い。そこが分かってくるまでは指導者が跳び箱の先に立って肩を支えてやれば危険はない。
高校時代、物理は苦手な教科のひとつだったが、こんなことから力学的な見方の必要性を感じたものだった。
鉄棒の車輪は典型的な単振動の延長。振幅を大きくしていくうちに腰を少し曲げ(これを腰を「とる」という)、半径を小さくしてやることで鉄棒を越えて回るのだ。腰をとるときには体を締め(力を入れて緊張させるんですな)、上方から下りてくるときには腰から下を緩める(これを「抜き」という)ことで半径を大きくする。この「抜き」と「締め」が体操やる上でのひとつのキモと言える。
円運動をしている物体の支えをとると接線方向に飛んでいく。これが車輪からの宙返りの基本原理。高さを必要とするには離れるときのスピードが関係するから、最後の車輪では振り下ろしのときに腰のとりを大きくしていきなり抜く。そのタイミングが合えば前上方に雄大に宙返りできるのである。
ところがこのタイミングが問題で、ぴたりと合ってしまうと高さは出るのだが回転のスピードは落ちてしまう。だから2回の宙返りはいいのだが3回にはちと苦しい。そこでかつての3回宙返りは、両膝を思い切り開いて体の回転半径を小さくすることで回転スピードの不足を補っていた。
今の技術を見ていると、下りに入る前の車輪が極端な横楕円軌道を描くさばきになっている。これは真下を通過するときの半径を小さくすることで円運動の回転速度を上げようとすることがひとつ。もうひとつは手を離すタイミングをわずかに早くして、このタイミングのずれで宙返りの回転速度を速めようとしているようなのだ。この技術の開発がなければ、伸身の月面や新月面の誕生はなかっただろう。ただ、このわずかに早い手離しは、覚えたての人間が失敗して飛ばされるときと同じなので、知ってるものが見ているとちと怖いときがある。
こんな感じで力学の観点からいろいろと論ずることはできるのだが、生身の人間がやっていることなので難しいことが多々ある。
ひとつは空中に浮いた時点でのいらぬ身体の緊張である。これは回転を殺すひとつの要因になる。どちらかといえばリラックスしてそれまでの流れに身を任せてしまえばいいのだが、支えのない状態であると瞬間に緊張するのだ。これは繰り返しやることで慣れを生じさせるしかない。
高校2年の夏の合宿、同僚が吊り輪で2回宙返りをやれと言われた。ボクが伸身宙返りの1回ひねりというC難度の下り技をやっていたのだが、ヤツは鉄棒の下りで後方宙返りをやるのにひねりが苦手で、吊り輪ではB難度の下りしかもっていなかったからだ。
厚い補助マットやら補助ベルトなどを用意して練習が始まった。さすが宙返りの感覚はいいヤツだから30分ほどで形になってきた。そしたら3年の先輩とコーチに来ていた大学生の先輩が、「お前もやれ」と…。
いやでしょう。「オレ、ガンツ(1回ひねり)を持ってるからいいですよ」よ言ったのだが、「メシを食わせないぞ!」。何ということを言うのだろうか。メシを食いたさに補助ベルトをつけてぶら下がった。そしてなるようになれって夢中で離して膝を抱えた。何とか足から着地していた。
「いいじゃん」とか言われ、何回かやると補助ベルトなしでいくようになっていた。そして気づいた。離すときの指の感触で、「早かった!抱えてよう」とか「少し遅い、早く開かなきゃ」と回っているうちに判断できるのである。そして、回転中に瞬間に目に入るマットや天井が、着地をとるときの助けになることも…。
結局は試合では使うことがなかった(だってボクの後方伸身宙返り1回ひねりは、仙台の大学生にベタほめに褒められるほどよかったし、3年になったときには単発で2回までひねってたんだから…)けど、とてもいい経験をした。
身体をリラックスさせながらもつま先は緊張させて伸ばしておく。こんな生体の反射をぶっ壊すことに心血を注ぐのが器械体操なのですが…。
# by luehdorf | 2011-12-07 01:40 | スポーツ | Trackback | Comments(10)
大きなお世話…
福岡国際マラソン、生で見ることはできなかったがニュースで見て驚いた。
川内優輝がまた日本人でトップ!
一昨年、箱根の山下りで学連選抜のメンバーとして走るのをチラッと見て、「学習院にこんなのがいるんだ」と思ったっけ…。そして今年の2月に東京マラソンで3位、大邱の世界陸上の代表になってしまった。
仕事を午前中だけやって後はトラックやロードを走ってる、アマチュアとは名ばかりの連中とは異なり、公務員の仕事をきちんとしながら練習時間を工面しているランナーだ。
本人が言う、練習時間が絶対的に足りないから、休日にレースに出ることでその不足分を補っているというのは理にかなっていることだと思う。それをまた、陸連のマラソン部長(大塚製薬の監督?)だとかが難癖をつけている。「レースを走り過ぎ」だとかさらには「タイムがどうたら…」と…。
おいおいちょっと待て、きちんとしたスケジュールでレースに合わせてきたはずの、テメェの子飼いの連中の不甲斐なさに対する反省はなしかよ。コーチもトレーナーもついていない環境で、手探りでそして自己流でここまでやったヤツをまずは褒めろって…。さらに自分らのやり方のどこかに綻びがあるんだってことにも気づかなきゃならないだろ…。
川内君のトレーニングの様子をTVで見たけれど、普段はクロカンを取り入れているようだ。不整地を走ることでバランスを崩したりすることへの対応を体に覚えさせることができるし、自然なインターバルトレーニングとなっている。女子のチームでこれを取り入れているところがあったけど、トラックでのタイムアップに繋がっていると聞いた。
大体、陸連って、駅伝やら何やらのブームで、岸記念体育会館に入っている団体で一番金のあるところでしょ? だったら、川内君に専属トレーナーでもつけてやってもバチは当たらないと思う。
本人の意地なのだろうが、あくまでも一人の“市民ランナー”としてオリンピックを目指しているようだが、それはそれで面白い。エライさんが余計な横槍は入れてはイカンと思う。
かつて女子マラソンがブームになり始めた頃、たった1回だけいい記録を出した若いオネェちゃんをオリンピックだとか世界選手権に出して何度失敗し、そしてそのコたちを潰してしまったのか?(あの頃いろいろ言ってたのは、メルボルンの三段跳び代表の小掛照二さんだったなぁ。去年だかになくなったか…)
川内君のメンタルはすごく強いように感じる。そして愚直なまでに一本気である。メダルなんて余計なことは言わずに、今回の結果だけで代表にしてやればいい。それは近代オリンピックの祖、ピエール・ド・クーベルタンの言ったこと、「オリンピックは参加することに意義がある」そのままであるからだ。
走る、跳ぶ、投げるという最も原始的なスポーツである陸上だからこそ、彼のような“一般人の代表”を産み出せるのだとも思うし…。
# by luehdorf | 2011-12-06 17:16 | スポーツ | Trackback | Comments(4)
安全に…
2月にサイクルコンピュータを導入し、11月28日で総走行距離が2274kmになった。旧メーターの不具合で5,60kmほど少ないのだが“消費税”以下の誤差だから無視してもいいだろう。
自転車乗りを再開したのが昨年9月で、今年1月までの5ヶ月はメーターなしで走っていたのだが、週当たりの走行距離を計算してみると少なく見積もっても1000kmを超える。1年3ヶ月で3000kmを走れたのは間違いないだろう。

itsukiさんや呑むさんがいろいろと案じてくれるので現状を詳述してみたい。

まず、四半世紀前と比べて“コワイ”のは「自転車」なのである。道路の右側を平気で逆走してくるヤツ、歩道から後方確認もしないでいきなり車道に飛び出してくるヤツ、脇道から一時停止をしないで右折してくるヤツ…。そしてとにかくひどいのがケータイをいじりながらとかヘッドホンをつけてとかの連中(これは当然のことながら四半世紀前にはいなかった)がやたらと目につくことなのである。
今、ピストレーサーがやり玉に上がっているが、本当のところは上に挙げたような輩の方が数が多く、一番厄介な存在なのだ。
それに比べたら車はずいぶんとマナーが良い。こちらが守ることはただひとつ、「明確な意思表示」である。
車での「意思表示」には、ウィンカーはもちろんのこと、クラクション、前照灯のオン・オフあるいはパッシング、ハザードランプと様々あるが、自転車も後方の目視をきちんと行うことと手信号による「意思表示」で立派にコミュニケーションがとれるのである。
それらを励行していると反応が良いのがタクシーである。昨今、ドライブレコーダーが搭載されているから、きちんと距離を置いて手信号を出している自転車に突っかかったなら自分が全面的に不利になることが分かっているのであろう。
路上駐車の車を避けるために右に寄るとき、アクセルオフにしたとはっきり分かるのがタクシー(これに加えて大型トラックも結構好意的である。エンジン音が下がるのでよく分かる)で、通過後に直ちに左へ戻り、脇を抜ける瞬間に右手で軽く御礼の挨拶をすればOKなのである。時として左手で“了解”の挨拶をしてくれる運転手もいる。信号待ちの車の前に出るときも同じ。きちんとアイコンタクトをとってから前に出る旨を手で示せばうなずいてくれる。
要は「お願いね」という気持ちをきちんと伝えればいいのである。でもこれができている自転車は10%にも満たない。その数少ない「仲間」と同じ道を走るときにはとても楽しく走れる。
夏前のこと、青梅街道を新宿に向かっているときに前を行く自転車に追いついた。きちんと手信号を出しているのでそのままついて行き、路駐の車を避けようと後方確認をする際に、先に後ろでブロックをして「後ろOK!」と声をかけた。彼は右手で“ありがとう”の仕草をし、以降、同じ状況のときに「OK」を繰り返し、快調に新宿西口まで走った。直進する彼と代々木方面へ抜けるボク、最後の交差点で「後ろで楽させてくれてありがとう」と声をかけると、「こちらこそ後ろを見てもらって…」と笑い返してきた。
路上で行き交っただけなのに、この短い会話で疲れが吹っ飛ぶ楽しい思いに包まれた。
自分勝手に走っていたら事故を誘発するだけなのである。自転車に乗るならまず、そこのところをきちんと考えるべきだと思うのだ。

警察もヌルい。立ち番のお巡りまはるで“墓石”か“記念碑”で「立ってるだけ」ある。
踏切で警報が鳴り始めたから止まった。そこをジーさんの乗った自転車が右側走行で渡ってきた。目の前を通過されてもウンでもスンでもない。
「ねえ、お巡りさん。何で今の自転車の逆走をきちんと注意しないの?」と声をかけた。そこで「あっ」と気づいたのだろう、しどろもどろしてまともな返答は返ってこない。「大体さぁ、踏切の中の“グリーン”の帯の所は自転車が走っちゃいけない部分じゃないか。そこを走ってきてんだぜ」と続けた。「あっ、でもあそこは“歩道”ですから…」。見事に引っかかった。「君は“税金泥棒”って言われても仕方ないな。あそこは『通行可』の歩道ではないはず。多分向こうにある標識の下の補助標識に『ここまで』があるはずだよ。だからそこの“グリーン”を乗ってきた自転車に君は赤切符を切らなきゃいけないんじゃないの?」…。通行人がニヤニヤして見ているから、「勉強して」とだけ言っておいたが…。
巣鴨へ出向くのが週に一日になったから見なくて済むようになったが、板橋警察署の警察官の自転車の乗り方のいい加減さにはあきれた。
目の前で信号無視して左折、追いかけて行って「信号無視!」と言うと、「自分の認識では…」とか言う。「じゃぁ信号が赤でも『自分の認識』でOKならいいってこと?」と聞いて、やっと「申し訳ありません、気をつけます」。
夜、ライトが右側を走ってくる。こちらが避けずに左を行くと、柵で仕切られた歩道(これ「自転車通行可」ではありません)に入り込んだ。近くに来てよく見るとお巡りだから、「どっち走ってんのよ」と言うと、「いや最初から歩道を…」とか意味のない言い訳をする。こちらのライトが見えてから入った(向こうが街灯の下だったからよく見えた)ことをまずきちんと認めさせてから、「この道のどこに『通行可』の標識があるのか、当然言えるよね」と続けたらもう答えられない。だってありっこないんだもの…。
きちんと市民に教えていかなければならない警察官がこの有様だから、まともな自転車の乗り方が普及するなんて夢物語としか思えない。
とにかく対自転車のもらい事故だけは食わないように注意していく。6月の事故で、“アブナイ”車の判別の能力もついたみたいだし、車に対してはきちんと挨拶をして共存のお願いをしながら…。
# by luehdorf | 2011-11-29 00:55 | スポーツ | Trackback | Comments(6)
原点回帰…
高1の生物の授業、細胞分裂の際のDNA複製について、「これは新しい指導要領で入ってきたことなんだけど…」と、染色体中のDNAの“二重らせん”構造、そしてDNA塩基であるアデニンとチミン、グアニンとシトシンの“相補的結合”による複製の仕組みについて教えられた。
そのときは、「へえぇ~、うまくできてるもんだ」と感じたのだが、分子レベルで生物を見るということに違和感があり、深く突っ込もうとしなかった。だって、「生物の最小単位は細胞」と習ったのに、分子ってのはそれより小さくて非生命体なのだから…。
この傾向は「動物生態」の研究室に潜ったことでさらに強くなった。生態学は分子生物とは逆にマクロに見るもので、種すら無視して生態系中の役割でカテゴライズする。たとえば生産者、消費者っていうように…。これがとっても性に合った。だから「分子生物」とは距離を置いてきた。
10年とちょい前、仕事の関係で「高校生物」と向き合う必要が生じた。生理や生態はいい。しかし、発生や分子は…。
まず、発生。高校のときもそうだったのだが、なぜにウニの発生を拡大した図で細々と追わなければならないのかが解せなかった。だから「ウニは『発生』の過程よりも成体の精巣や卵巣の方が重要だ」とか「ウニの採れない長野県や山梨県の連中には入試で不利だ」とか言い続けていた。
分子については上述したように、「分子は生物じゃない」と…。
しかし飯のためにはそんなことは言ってはいられない。何か興味を惹くものがないかと考えつつ自学を始めた。少しずつ目を開かされることが生じてきた。
発生ではシュペーマンなどの技術についてだった。イモリの受精卵での移植では、あんな小さいものの特定の部分を切り取って別の卵へ植えるという作業がどれだけ困難なものなのか。高校時代、テキストなどには大きく示されているから気づかなかったが、改めて見てみると凄いことをやってたんだと感じさせられた。
分子については、かの福岡伸一大先生が「生物学史上最もエレガントな実験」と称する、メセルソンとスタールの実験手法をなぞったときだった。
DNA複製に関しては、「二重らせんがほどけて一本鎖になり、分かれたそれぞれが鋳型となって新しい二本鎖ができる」という、いわゆる“半保存的複製”が行われているのは今や常識だ。しかしワトソンとクリックが“二重らせん”の仮説を発表した後、複製の仕組みに関しては、二本鎖がそのままコピー元となって新しい二本鎖が生じる「保存的複製」やDNAがランダムに切れてそれが複製される「分散的複製」ってのだって考えられるよね、っていうことから、「半保存的複製」が行われていることの証明が必要になったのだ。これを何ともすばらしい方法で解決したのがメセルソンとスタールで、1958年に窒素の同位体を使ってあっさりと証明してしまった。神戸大学の入試問題(確か’00年)にこの実験の手順をなぞる設問があり、それを解いていて「これすごい!」と感じ、分子生物にハマることになってしまった。
とにかくこの2人がなぜノーベル賞をもらえなかったのかが疑問に思えるくらい“カッコいい”ものなのである。
以降、’70頃からこっちの分子生物の流れを必死で追いかけた。あまり夢中になって夜中遅くまでやっていると、目を覚ました飼育係に、「受験生よりも頑張ってんじゃないの?」と励ましなのか皮肉なのか分からない声をかけられることもあった。
先日、本屋の棚を目で追っていると ↓ があった。分子で生物を見ることの、いわば原点である。福岡氏が仰る「ウラ」については述べられていない(当たり前か…)ものの、あの仮説に達するまでの“産みの苦しみ”みたいなものは、「合コン」の合間もDNAの虜になってたんだというような筆致のわずかな隙間から感じられた。

そして次の課題はC.ダーウィンの『種の起源』である。
これはずっと以前に岩波の八杉先生の訳を読んだのだが、どうにもつらい作業だった。そこで、あるところで原著第5版のぺーパーバックを見つけ、辞書を片手に取り組んでみたものの、ダーウィンの文章ってのは回りくどくって分かりにくい。訳が悪いのではないのだということを30ページほどやって気づき、放り投げてしまった。
最近、池田清彦さんがどこかで、「大体において、生物学者でもダーウィンをちゃんと読まずに『種の起源』の中身はあぁだこうだと言ってる場合が多い…」と書いているのを見て、生物学者ではないがまるで自分のことを言われているような気がしてしまった。
幸いに光文社から新訳が出ているので、まずこいつをやっつけようと思っている。
# by luehdorf | 2011-11-22 01:22 | 読書 | Trackback | Comments(11)
ビョーキだな…
自動改札の投入口へ放り込んだ切符が放出口から飛び出し、何気なく手にとろうとして「ドキッ!」とした。
↓ の通りだったからである。

そう、発券番号と発券時刻が同一だったのである。「1441」が並んで目に入り、「何だぁ!」ってことになった。
降車駅で駅員に頼み、無効印を押してもらって持ち帰った。
実はこれだけではない。昔の硬券(駅員がパンチで手切りしていた硬い切符)や「東京都区内発、東京都区内着」のループ切符(遠距離逓減を狙って自分でルート作成した。窓口の駅員はイヤな顔ひとつ見せず、ソロバンで総距離を計算していたっけ…)などもいまだに持っている。
自分では「鉄」ではないと思っているのだが、同僚の「乗り鉄」に言わせれば「十分に『鉄』ですよ」とも…。

やはり父親が機関士であったことの影響があるのだろうか。
小学校にあがる頃、親父の乗務の日に弁当を持ってついていったことが何度かある。50年以上も前の話だからもう時効。SLの運転席に乗せてもらうためである。
貨車入れ換え用のC11、そして客車用のC57に貨物用のD51に乗った記憶がある。機関助手のお兄ィちゃんにスコップを持たされて石炭の投入もやらされた。古いタイプの釜蓋は、確か手で引っ張らないと開かなかった。それがやがて釜前のステップを踏むと蓋が勝手に開くようになっていたっけ。
汽笛も古いのは上から下がっている逆T字のひもを引くのであったが、あるとき、あるべきところにひもがなく、足元に見慣れぬペダルがあったので踏んでみたらいきなり汽笛が鳴った。慌てたのは親父で、「バカ!勝手に汽笛を鳴らすんじゃない」と本気で叱られたっけ。そして汽笛は鳴らし方でいろいろな合図になるんだということを教えられた。踏切や鉄橋・トンネルの通過の際の長い一声、事故の際の乱打…というように。

そう言えば、まだ電化前の東北本線を走っていたディーゼル特急「やまびこ」の運転席にも乗った。
仙台で読売と南海のオープン戦があり、当時、組合専従で仙台に単身赴任していた親父が、一緒に帰るから見に来いと切符を送ってくれたのだった。当然客車に乗るものと思っていたら、仙台で交代した乗務員の方が親父の同僚で、「久しぶりに話をするならこっちだろう」とこっそりと運転席へ…。
高い運転席と前照灯の明るさに驚いた。周りは真っ暗なのにはるか前方の線路上がくっきりと見える。時折眼が緑に光って走り去るタヌキなんかを見ることができるんだもの…。

何も起きなかったからよかったものの、今なら…。

今週金曜日、「2011.11.11」。1が6つ並ぶのである。20を省略して「11.11.11」と表記する鉄道会社はないだろうか。JRのSuica領収証は2011で地下鉄は元号表示だし…。
そんなことを考えていたら、 ↑ の切符の存在と昔の「イケナイこと」を思い出した。

# by luehdorf | 2011-11-08 01:29 | いろいろ | Trackback | Comments(9)
体操・世界選手権
内村航平の強さは本物だった。
8月の試技会で足首を捻挫し、床と跳馬はほぼ1ヶ月に渡って力を入れた練習ができなかったのだという。そして本番前の本会場練習では、2本目のタンブリングでふくらはぎに違和感を覚えてストップ。試合で大きな怪我をしなければいいのだがと思っていた。(床だけは怖くて録画したものをすぐに見られず、他で結果を知ってから見ていた) そして、参加選手中ただ一人、種目別の跳馬以外の計23種目を通し切った。
個人総合の金は当然である。彼が“オールラウンダー”を志向した結果なのだから…。このままなら来年だって誰も太刀打ちできないはずである。圧巻だったのは種目別。出場した5種目すべてでDスコア、いわゆる難度点を上げてきた。
床では1本目に後方2回宙返り3回ひねりというG難度、これでいつもより0.2のアップ。あん馬ではマジャール・シュピンデルなどを入れていた。途中で落ちたけれども、この種目はこれしかないというスペシャリストが揃っているから、半ば遊びで、「落ちることなく全部が通れば儲け…」みたいな感じでやっていたようだった。吊り輪では最初に伸身逆上がりから中水平というF難度と組み合わせの力技を入れ、平行棒ではベーレを屈伸で行っていたし、銅メダルを取った鉄棒では、カッシーナ(伸身のコールマン)というGと、前方浮腰回転ひねり倒立から伸身の閉脚トカチェフ…。団体の予選・決勝とは異なった構成に、「普段コイツはどんな練習をしてるんだろう?」と思った。
通常、彼ほどのレベルになると、2年くらいは構成を変えない(だって最高レベルに達しているんだから…)もので、せいぜい抱え込みの姿勢を屈伸にするとかの難度アップを図るくらいなのだ。それが個人戦の翌日にあんなことをやるもんだから、他の選手の驚きはいかほどだったろうか。
今回は予選で失敗した跳馬のヨー2(前転跳び伸身宙返り2回半ひねり)だって、来年は、今回韓国のヤンの金メダルの切り札となったヨー2にさらに半ひねりを加えた、前転跳び伸身宙返り3回ひねり(Dスコア7.4!)をやってしまいそうな予感がしている。
個人総合と吊り輪で銅メダルを取った山室光史、社会人になってとても安定してきた。平行棒・鉄棒などでDスコアのアップを考えなければならないが、今回のメダルを励みにしてきっとやってくれるだろう。
跳馬銅の沖口誠、今のままでは来年のロンドンはきついのではないか。吊り輪と鉄棒の大いなる強化が必要だと思う。膝の故障で今回の代表選考に不出場の植松、そして今回補欠だった高校3年生の野々村が、沖口が代表に滑り込む要因となった“スペシャリスト枠”の大きなライバルとなるはずだから…。
田中兄弟、弟佑典は初代表ということから少し大目に見てもいいが、兄ちゃんは確か3回目の世界戦なはずである。勝負弱い。去年の失敗がトラウマになっているのだろうか? 種目別平行棒の入りの技、前振り上がり後開脚抜き伸腕倒立で、指をタイツに引っ掛けたとかで器具上落下とみなされる大過失。これは最大で1点の減点だから、あそこさえきちんとやっていれば楽々の金メダルだったのだ。メンタル面の強化を図ってもらいたい。
キャプテンの小林研也、遅咲きだが本当にいい選手になった。来年は29歳、前に挙げた植松、野々村それに加えて床で3回半ひねりをもつ埼玉栄の加藤など下からの突き上げは激しいものがあるだろうが、同年の中瀬卓也もまだ踏ん張っていることだし、オリンピックの代表選考を厳しいものにしてもらいたい。
日本が世界の頂点に立った、1960年のローマオリンピックから継承されてきた「美しい体操」はしっかりと守られている。中国のスペシャリスト達はすごい技はやるけれども、離してまた持ったとき、足がばらけたり肘が曲がったりなどの小さな過失がある。これは1つにつき0.1~0.2ずつ減点されるのだから、Dスコアが少しばかり高くたってEスコアで十分勝負できると思う。特に屈伸体勢における爪先がきちんと伸びているのは日本とドイツぐらいだった。Eジャッジだって体操経験者、しかも国際審判員は、競技者として国際大会の出場経験がなければ受験資格すらない。ロンドンではその辺りだってきちんと見てくるだろう。
それに比してDジャッジはお粗末だった。内村のリー・ジョンソン(後方2回宙返り3回ひねり)をルドルフ(後方2回宙返り2回ひねり)と判定したのだという。GとEでは価値点が0.2違うだろうが。まして、それまでの1本目は後ろ跳びひねり前方屈伸2回宙返りでルドルフと同じE難度。種目別決勝なんていうときに使い慣れない同難度の技を使うか?しっかり目を見開いて数えてもらいたいものだ。
確かに3回ひねりは分かりにくい。たとえば内村の終末技である後方伸身宙返り3回ひねり。これは1970年の世界選手権の2次選考会で、監物永三さんが初めてやった技である。場所も同じ東京体育館。新米の体操部員だったボクは、「そろばんができる人は本部に来て」と協会の女性職員に言われ、正面の本部席にいた。そこで記録集計をするのである。簡易電卓なんぞまだない時代、そろばんができるヤツはこんなときに重宝がられた。
1次選考の上位6人は床からスタート。練習が始まった。監物さんが勢いのよい助走からロンダード、バック転そして宙返りをひねった。エッと思って脇の同僚と目を見合わせるとまじめな顔をして指を3本立てている。思わず頷いた。そう2回ひねりとは全く異なる流れになっているのだ。だから3回ひねりまでは分かるはずなのである。まだ誰もやっていないが、4回ひねりになったらビデオ判定を導入する必要があるかもしれない。
かつてあん馬の技術が向上し、演技と難度の両方を同時に見るのが困難だということで、難度審判を入れることになった。それまでは2つの技を組み合わせると難度が上がるだけだったのだが、組み合わせの仕方で加点する方法が採用されたからである。他の種目はいざ知らず、停止が減点となるあん馬では、次々に行われる技を瞬時に分析して、難度が規則で要求された通りであるか、そしてどの組み合わせが加点対象になるのかを判定し、実施の判定をする審判に伝えなければならないというものだ。だから最初から最後まで全ての技を速記し、演技後にすぐに頭の中で再現していく能力が求められる。この難度審判に国際体操連盟から指名されたのが、オリンピック個人総合2連覇のあの加藤澤男さんだった。さすが加藤さん、見後にこの難役を成し遂げてくれたものだったっけ…。
速記といえば、高校時代に先輩から審判の手ほどきを受けるときにうるさく言われた。だから今でもあん馬以外の種目では演技を頭の中で再現できる。
思い出すのは大学2年のとき、もう体操からはドロップアウトしていたから、夏の国体予選のとき、自校の応援席に隠れていた。ところがその年に宮城の教員になった大学の先輩が目ざとくボクを見つけてしまった。本部席に行って何かを話していると思ったらいきなりマイクでの呼び出し。審判が足りないから手伝えとのこと。仕方なく吊り輪の2審として席に座った。主審はⅠ学園のS先生。その先生の学校の2番手かなんかの演技後、ボクを手招きする。ピンときた。そして「ハッシー!低いよ0.3上げて…」と言う。やはりそのことだった。ボクが「難度が足りてないんじゃないですか?」と言うと、「そんなことはない」と答える。そこで手にした速記メモをもとに演技を最初から再現し、「ですからBが1つ足りてませんよね。その分の減点があるからこれなんですけど…」とボクのジャッジペーパーを指差した。速記もしないでいい加減に採点していたS先生は、あわてて他の2人を呼んで修正をし、結局はボクの出した点数が決定点になった。高校生の競技が終わった後、「お疲れ様でした」と挨拶をすると、「全部速記して見てたんだな。審判講習を受けて国内1種を目指せばいいのに…」と言葉をかけられた。でもその頃、意識は体操から完全にチョウチョに移っていた。

とにかく来年のオリンピックまで、今回の代表もそして新たに代表を目指す選手たちも、怪我をしないで励んでもらいたい。そして1次選考は年明けになるのだろうが、少しでも難度の高くなった演技を見せてもらいたいと思う。
# by luehdorf | 2011-10-19 02:10 | スポーツ | Trackback | Comments(8)
愕!
飼育係は毎夜血圧をチェックする。甲状腺機能亢進症を発症した後、病院での定期の診断の際の血圧が高目に出るからだという。リューマチで通っている医院ではそれがないため、いわゆる“白衣高血圧”ではないかと思っているのだが、とにかく血圧チェックのノートを渡され、定時に測定してきちんと記入するということをやっている。
先週の木曜日、「アンタも計んなさいよ」と血圧計をよこされた。いやだった。6月末の事故の際、救急車の中と病院でと2度計られたのだが、2度とも高く出ていて、「普段、血圧が高目なんですか?」と言われ、まだトレーニングの成果が出ていないのか、と感じていたから…。もっとも、救急隊員は「事故にあったばかりだから少々高くてもねぇ…」と言ってはいたけれども…。
気乗りしないまま腕帯を装着してスイッチボタンを押した。吸気で上腕が圧迫される。排気が始まってオヤッと思った。圧の下がり方がいつもと違う。
測定が終わって完全に排気され、表示された数字を見て驚いた。129-89!拡張期(最低)血圧は若干高目ながら、ほぼ正常な値になっている。「これ狂ってないよね?」と問うと、「そんなことはない」との答え。狂っていると疑ったのは、「計れ」と言われたときにタバコを吸っていて、それを吸い終わってすぐに計ったからである。ニコチンが血管を収縮させるのは明らかなことで、ならばタバコを吸った後なら血圧は高くなるはず。
今一度測定すると今度は130-85であった。やっと結果がついてきた。
自転車に乗ろうと決めた一番の理由は、血圧が下げたいということだったから…。35年以上も前、夏の集中講義の病理学で、「WHOの基準は150-100ですけど、これは発展途上国も含めた数値だから、日本の場合は140-90とするのが適切です。そしてあなたたちの親御さんが150を超えていたら、10年くらいのうちに喪服を着る覚悟をしておいた方がいいですよ…」と聞かされた。そのときはアハハと笑っていた。
50を迎える頃、血圧を計ってみると160-100と出た。オイオイ、こりゃ自分が喪服を着せる側になっちゃうじゃないか。一気にパタンといけば未練もクソもないが、脳血管障害で生残るのはイヤだった。周りにいらぬ苦労はかけることになるし…。さらに左脳側に障害を起こせば、右半身の運動障害は当然のこと、併せて発語障害(失語症とも言われるが、言葉を失うというよりも、分かっていながらそれを言葉にできないのだと…)まで起こす可能性が高いと聞いては恐ろしいことこの上もない。
そんなこんなでの一念発起だった。
とにかくまともな状態になってきたのは喜ばしい限りなので、これをきちんと維持していけるようにさらに励むしかないと思っている。
# by luehdorf | 2011-10-11 16:32 | いろいろ | Trackback | Comments(10)
総括…の続き
夏を無事に経過した。
暑さが本格的になり出した7月23日、渋谷までの往復だったのだが、行きに軽い脱水症状を起こした。家を出るときの気温がそれほどでもなかったので、向こうへ着いてから水分補給をすればいいだろうと軽く考えて走り出した。山手線の外側から攻めて、代々木公園を回り込もうと坂を登って信号で止まったとき、地面に着いた足の感覚がおかしい。そしてキャップのつばからも滴る大量の汗。「マズイ!」とすぐに歩道に上がり、道脇の自販機でお茶のペットボトルを買って小休止し、事なきを得た。
仕事場についてからは、近くのドラッグストアで“OS1”、そしてコンビニで1ℓカップ入りの氷を買い、ドバドバッと注いでキンキンに冷えたやつをガブ飲みして水分を補った。それでもこの日は帰ってから体重を量ると、出がけよりも3kg減。暑さの真っ盛りの運動のすごさを改めて知った次第。
仕事用のズボンとシャツ、着替えのTシャツと汗拭き用のタオル(これは水にユーカリオイルを垂らしたものに浸し、汗を拭いてそれが染みても臭くならないように工夫した)をザックに詰めるから、仕事に必要なものも含めて結構大荷物になった。あとはサイドポケットに梅エキスの入ったキャンディ。
その後少し賢くなって、コンビニの冷凍庫にあるチューブアイスの凍らせたヤツなんかを買って、それをタオルでくるんで持ち歩いた。これは正解。タオルのチューブに当たっている部分が凍り、顔を拭くときなどにものすごく気持ちがいいのである。
さらに飼育係が昨年買っておいたとかいう、保冷剤を入れて首に巻くバンドも見つけた。早速使ってみると首の後ろ、いわゆる“ぼんの窪”の部分がきちんと冷やされるのでとても快調なのである。ただ難点は30分ほどで溶けてしまうことで、「片道切符」なのだ。行った先に冷凍庫があれば好都合なのだが…。
いろいろと対策を講じて8月、9月を乗り切った。8月からは新たな依頼で白金方面へ行くことになり、これで走行距離は伸びた。上京して40年、行ったことがあるのかどうか記憶にすらない、青山とか麻布とかを自転車でカッ飛ぶのは気持ちのいいものだった。
ただ、8月半ばになってメーターに不具合が生じた。本体がおかしいのか、センサーが悪いのか、しっかりと読まなくなってきたのである。ひどいときは往復30km超を走っているのに記録は10km足らず…。自転車屋に伝えると、メーカーにクレームとしてあげて一式取り寄せるという。
結果は本体の不良。メーター自体の総距離数などはリセットされるが登録サイト上では前の機械からの累積になるという。それで一安心。
そして9月30日現在、累積は1590km余りで、機械の不具合で記録されなかった部分を少なく見積もっても1600kmを超える。これで↓の月平均170kmが200kmに伸びてくれた。
まぁ、よく頑張ったと考えよう。
身体がやっと分かってくれたのだろうか、体重にも反映されてきて9月末で3kgほど落ちて安定している。目標は四半世紀前の65kg。まだまだ10kg余りのオーバーだから道は険しい。
でもうまくいきそうな気もしている。それは、疲労感があって身体が重く感じられるとき、日和りたい気持ちを振り切ってとにかく乗って走り出すのである。そして思い切り踏んだりゆっくり走ったりの、インターバル・トレーニングの手法を応用していると、15分ほど過ぎたあたりから次第に快調になってくる。これはいわゆる“ランニング・ハイ”と同じ状況であろう。どうやらやっと“脳内麻薬”が分泌されるようになってきたようだ。
この状態を作り上げられるかどうかが「永続」の課題で、1年で何とか「走る=楽しい」という回路が出来上がったみたいだ。だから目標の達成だって年内とは言わないけれども春までには、と…。
# by luehdorf | 2011-10-04 00:41 | いろいろ | Trackback | Comments(2)
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